ハト横断中  (2004.10.26)

 通りをハトがトコトコトコと、のんびり横断していた。道の中央を過ぎる頃、大型トラックがスピードを落とさずに迫ってきた。ハトは、やや足を速めたが、そのままではトラックにひかれるタイミングであった。ハトは焦って、早回しの映像のように賢明に走り渡り、ぎりぎりでトラックをよけた。

 「飛びゃぁいいだろ!」と思った。^^;


貧乏大臣大大臣  (2004.10.30)

 数え歌とかジャンケンとか、その地域や年代によっていろんなバージョンがありますね。トランプ遊びなんかでもルールは普遍かと思ったら、やっぱりそれぞれに勝手な特別ルールを作ったりするから、地域で違ったり。
 小さい頃良く姉と、一対一で対戦して、1枚ずつカードを切って勝負する「戦争」というトランプ遊びをやっていたけど、ルールは全く覚えていない。そもそも、それ以降他の人で、その遊びを知っている人はいなかった。呼び方が違うのかもしれないけど。大勢でやるカード遊びの定番「大貧民」や「ウノ」なんかも、あちこちで限定ルールなんかがあるし。

 さて、「貧乏大臣大大臣」という指遊びがあるのはみんな知っているでしょう。これは自分の所だけかと思っていたら、結構あちこちであるらしくだいたいの人は知ってる。指の頂点と指の谷間で順番に名前をひと文字ずつ当てはめていって、「い・と・う・り・よ・う・い・ち」なら、その最後の「ち」が「貧乏大臣大大臣、貧乏大臣大大臣」のどの位になっているか?って言うやつですね。ん~~、言葉で説明するのは難しいけど、おそらくみんなわかるでしょう。これは、このバージョン以外は聞いたことがない。でも、なんで貧乏の次がいきなり大臣なんだ?という疑問はあった。

 これ、指遊びだけかと思ったら、どうも車座になってやるゲームでも「貧乏大臣大大臣・・」と当てはめていくゲームがあるらしい。ルールがよくわからないけど。大大臣という言い方が、なんかとても時代を感じるので、かなり古い遊びなんだろうとは思う。おそらく第二次世界大戦前後の頃なのでは?地方によってはいろんなバージョンがあるのかな?町民村長大村長とか^^。


文字の違和感  (2004.11.3)

 最近はとんとペンなんかで文字を書くことが少なくなったので、そういう経験は無くなったけど、以前は時々あったこと。

 ある文字、しかもきわめて簡単な漢字やひらがなを書いていて、なんかその文字の形が本当にそれで良かったんだっけ?という感覚に陥ることがあった。一番多かったと思うのが、「ぬ」「ね」「め」のひらがな。これを書いた文字をじっと見ていると、「ぬ」ってこれでいいんだっけ?という思いがしたり。もちろん正しいのはわかってるし、改めて活字を見ても正しい。でも、その活字を見ても、なんかいつもと形が違うような印象を受けたり。極端なことをいうと、「ぬ」の右下のひねりが逆方向じゃなかったか?という印象。もちろんそれも、そんなわけがないのはわかっているのだけど、なんかおかしい。また、「ぬ」と「め」が逆に思えたり。つまり「ぬ」という音の文字が「め」に思えたり。
 時々、そんなおかしな感覚を持つことがあるのは自分だけなんか?なんて疑問があったりしたけど、そんなことはもうずっと忘れていた。それにパソで文字を打つことが増えてからは、そんな感覚に陥ることは無くなっていた。

 そんなある日(どんな日だ?)、吉本隆明氏(詩人・評論家)の本を読んでいたら、それに近いことが書いてあった。

自分の体験でも活字を見ていて、それがその字であることがどうにも疑わしくなる、変な気持ちになることがあります。たとえば、「眼」という字はどうしてこんな字かなあなどとふと考えると、奇妙な感じにとらわれてしまうんですね。
(吉本隆明著「遺書」)

 前述の自分の書いた内容とは多少ニュアンスは違うけど、感覚的には近いことを書いていると思う。
 そうか、他にもこういう感覚に陥る人はいるんだ、と懐かしく思い出した一件であったのだった。


掃除をするということ  (2004.11.5)

 近鉄生駒線・元山上口で降りて山の頂上まで歩いていくと、千光寺というお寺がある。宿坊もあり、宿泊もできる。何度かそこで、正月に泊まったことがある。正月には護摩焚きの儀式もあり、山伏たちも集まったりする。山伏といっても、普段はサラリーマンなどをしている人たちが、特別なときに集まってくるらしい。
 そこは古いお寺で、鎌倉時代のカルタがあった。元旦には正式なルールに則って(左右にチームに分かれて取る団体戦)、そのカルタをやったりした。和尚が上の句を読み、次に下の句を読んだときに取るのだが、並べられたカルタは判読困難なものばかりなので、取ってから「これ?」と確認する始末であった。

 そこに宿泊すると、早朝、男の客は境内の掃除、女は屋内の掃除をしなければならない。自分は熊手で参拝路などを掃除していた。最初は何となく掃いている。熊手の場合は掃くと言うより、落ち葉をかき集めつつ整えるという感じか。うまくやるにはちょっとコツがいる。そのコツをつかんで、きれいに整えていく。頭は暇で、朝の風景を眺めながら何か考えていたと思う。そのうちに、ただ掃くのではなく、参拝者が気持ちよく歩けるように整えようという気になった。掃除をするというのは、こういうことではないのか?という気持ちになっていった。

 小中学校ではどこでも放課後に掃除をしますね。高校は、自分は私立だったせいか掃除は無く、たしか業者がやっていたのだと思う。公立の場合はどうなのかは知らない。アメリカでは小中学校でも生徒に掃除はさせないと聞いたことがある。そういうのはそういう仕事をしている人がやる。雇用機会を与えるためだと聞いた。記憶違いでなければ、そのようだったと思う。さすがに過剰消費大国のアメリカだと思った。(もちろん「さすが」は皮肉である)
 日本で生徒に掃除をさせるのは、教育の一環としてのはずだろう。経費削減のためではないはずだ。自分の時の記憶では単に掃除をしていたし、その掃除に関して何かを教育された覚えはない。あくまでも単なる掃除であった。でも、本来は自分が汚したものは自分で始末する、という基本的な事以上の意味があるはずなのだ。自分がやらなかったら他の誰かがやることになる。そして、他人が気持ちよくそこで過ごせるようにする。その思想が欠けていたら、学校で掃除をさせるという意義は半減してしまうのではないか。

 以前NHKの特集だったと思うけど、全寮制の高校についての放映をやっていた。共学だけどとても厳しく、並の高校から比べたら軍隊といっても良い。しつけも厳しく、みんな直立不動、トイレ掃除の時は全員一斉に大声で気合いを入れながら便器を「素手」でこすっていた。その高校の卒業式の場面が感動的で、涙ながらに気合いを入れて答辞を読んでいた。「私たちは!いつまでも!校長先生の教え子です!!(ToT)」と、形式的ではなく、本当に尊敬と感謝の念を込めて叫んでいた。
 便器を手でこすってきれいにするなど、最初はジョーダンじゃないと思ったことであろうけど、そのうちに心を込めてそれをやるようになったのだと思う。みんながそのように手できれいにしているのであるから、使うときはそのことに感謝し、きれいに使う心構えも育つのは想像に難くない。

 普段町を歩いていると、たばこのポイ捨ては未だに普通の光景だし、小さなくずなどを何の気なしに路上にすてたり、飲み終わった空き缶を適当な所に置いたり、ご丁寧にあちこちの隙間に挟み込んだりするのも珍しい光景ではない。自分はそこまではできない。まぁ、小さなくずが手元から落ちたら、そのままに行ってしまうことはあるが・・・。町をきれいにしよう!なんて小賢しい気持ちではなく、だれかがそれを片づけなくてはならないというのを実感するからである。だからというわけではないけど、自分の部屋だと、結構いい加減にゴミは投げる。どうせ片づけるのは自分しかいないとわかっているから。^^;

 さて、先ほどのお寺の掃除であるが、翌朝も当然掃除だと思って早く起きて部屋を出ると、居間は誰もおらず電気もついてない。掃除が始まる6時半の時間はとっくに過ぎている。あれ?と、思っているとおかみさん(和尚の奥さん)があわてて出てきた。
「悪い悪い、寝坊した;;;。今朝は掃除無しや。」^^;


健康が一番  (2004.11.9)

 もうずっと行っていないけど、石垣島に行ったときに必ず泊まる宿がある。石垣島のやや北部にあり、宿主は元々は本土の人間だった。
 初めて泊まったのは、初めて石垣島へ行った15年くらい前だったと思う。電話予約してあったので、「こんにちは~」と入っていくと「は~い、伊藤さん?」といきなりわかったようだった。それ以来、沖縄方面へ行くと必ず石垣島へ行き、この宿にも泊まっていた。

 定宿にするようになって何年か後に三十路になった。宿のおばさん(と言っても、当初はまだ40代になったばかりだったと思う)は、「30過ぎて独り者なんて奇人変人よ^^」なんて言っていた。一人旅の宿泊客が多く、多くの者は30過ぎて独身だったのだ。おばさんはどちらかというと、着実に計画して、年齢に応じた生き方を考えていたような感じだった。

 モンゴルの旅にはまって、石垣島へはご無沙汰になっていたが、99年に6年ぶりくらいに石垣島へ行った。玄関に出迎えてくれたおばさんはこちらを見るなり「あ~、太った~?」と言った。こちらはおばさんに「やせたね~」と言った。久しぶりにあったおばさんは、目に見えてやせていた。数年前に胃ガンで胃を全摘出していたのだった。
 生きていく事に関して、あれだけいろいろな理想論を語っていたおばさんは「病気なんてつまらない。健康が一番。」と言っていた。健康であれば、それだけで幸せだと言う。

 おばさん夫婦は以前から、もしどちらかが癌などになったら、絶対に告知しようと約束していたのだという。残りの日々を大事に過ごしたいし、自分だけで処理してしまいたい秘密だってあるかもしれないから。そして胃ガンが判明したとき、その場でおじさんは「おい、胃ガンだって・・・」と告げた。

 胃を摘出した後、全く転移もなく、きわめて優良な患者だったという。胃がないので、食後はしばらく横になることはできない。ジュースを飲んで、うっかり床のものを拾おうとして口を胃より低い位置にしようものなら、「うぉっと;;;」と逆流してくるとか。
 もうほとんど転移や再発の心配はなかったので、胃ガンにまつわる経験を好奇心として聞くことはできた。でもおばさんの「健康が一番」というポツッと語った言葉は、今でも強く心に残っているほど印象的であった。


作品の行方  (2004.11.13)

 絵や作り物などを買ってもらうことが多々あるが、なかなか手放しで喜べないことがほとんどである。そのものを手放したくない、という思いもあるのだが、それ以上に「大丈夫か?」という事がとても気にかかるのだ。

 絵の場合だったら、購買者はその値段を納得して買うのだから値段の価値に関しては良いけど、すぐに飽きてしまわないか?とか、品質の問題はどうか?などが気にかかる。
 品質というのは、たとえば色があせてしまうとか、額が手渡す以前の原因で壊れてしまうとかの事で、要するに、買おうと思ってくれた時点の状態を維持できるのか?という問題である。
 気にしてもしょうがないだろうし、質的な劣化は避けられないこととは思う。それでも、自分は色鉛筆を使うことが多く、色鉛筆は他の画材に比べて光に対する耐性は弱い画材なので、よけいに気になったりする。

 まぁ、絵ならばまだそれほどの重大な問題が起きる可能性は低いし、ある程度予想はできる。もっとも気になるのは、作り物である。竹や木を使うので、気候によって引き起こされる問題もある。竹の場合は割れやすいし、以前作ったものがその後割れたものも多いので、最近は竹製品は作っても売るという事はあまりしない。売るのは絶対に大丈夫だとわかっているモノだけである。それでも100%と言うことはありえないけど。
 木でもゆがんだり壊れたりという事態はさけられない部分があり、その点は非常に気になる。展示会などで売るものは、いわゆる芸術品で、その後の劣化などはしょうがないと割り切る人もいるようだけど、対価をもらって売るからにはどうもそんな気にはなれない。
 特に自分の場合は、作り物は実用品であることが多いので、使えない状態になるというのは致命的である。売ったら売りっぱなしと言うのは、自分の気持ちが許さないのだ。この項のタイトルには「作品」と書いたが、そもそも作り物の場合は作品という意識はない。

 現在、押しも押されぬ芸術家として後世に名を残した方は、当時は職人である場合が多い。技をきわめてきわめて、その信じられないような極致の品物が後世に残り、芸術家と呼ばれているケースである。形はきれいだけど実用的にはイマイチとか、耐久性に問題がある、というものは絶対にない。そんなものは基本中の基本であり、そもそもその人は、最高級の実用品を作る技を極めたのだ。芸術品を作って名を残そうなどと言う、小賢しい気持ちでやっているのではない。その辺が、現代の芸術家さんとは大きく違うところだろう。

 ちょっと話が大きくなりすぎたけど、自分の場合はそこまで大層なことではなく(芸術家になりたいわけでもないし)、気に入ってもらえて人手に渡ったのだから、長くいつまでもその作品なりモノの役割をまっとうしてほしいと思っているのだった。


無駄を覚える  (2004.11.16)

 印刷製版(レタッチ)の仕事で会社員だった頃、新人を数人教えていました。一人前の仕事ができるように育てるわけだが、その目標は言葉で書けば簡単で、「あらゆる失敗を自分で直せるようにすること」でした。製版は今ではパソコンでやるのがほとんどでしょうが、当時はまだまだ手作業による特殊技能で、印刷用のフィルムを作り上げる内容です。

 さて、単に完成品を作り上げる事ができるようにするだけなら簡単なことで、効率の良いやり方を最初から教え、作業のパターンを覚えさせれば良いだけです。これだけなら、一見一人前の仕事ができるように見える人材はできあがる。でも、あらゆる仕事においてプロの神髄は、失敗を最小限に抑え、失敗したときのフォローの仕方にあると思っています。フォローが自力で速やかにできるようになれば、その仕事の技術は一通り習得したと言って良いのではないかと思う。
 そのために、作らなければならない完成見本を示し、それを作り上げる方法は自分で考えさせた。もちろん、最小限の技術を教えた後でのことであり、やらせるのは練習台ではなく実際に納品する本番の仕事である。新人は、教えられた技術を駆使して、自分なりに作り上げる。ハタから見ていたら、とんでもなく効率が悪かったり危ういやり方をしていたりする。それでも、完成品が同じであればオッケーである。
 このような伝え方が良いのかどうかはわからないが、とんでもない失敗をしても教育担当である自分が一切の責任を負うので、何も心配は要らないから自由にやって良い、とした。まぁ、完全に失敗しても、こちらが最初から作り直すのはさほどのことではないからなのだけど^^;。
 ついでに言うと、教えたのはもちろん技術的なことだけではなく、その仕事を納品しに行く営業さんの事を考えること、と言うこともある。

 何度かそのようなことを繰り返すうちに、ちゃんとした製品を作ることができるという自信もつき、自分なりに考えてその中で良い方法を見つけていくことができる。効率が悪かったり危ういやり方をしている、と書いたが、それは一切無駄になることはない。最初から効率の良いやり方を教えていたら経験できない方法を、たくさん経験することができるし、経験を積む中で、その方法が効率が悪いのだと言うことも身体で覚える。
 また、失敗を直すときには、通常の方法以外のやり方が必要になることがあり、無駄だと思える経験が役立つことが多いのだ。つまり、その仕事を行う上で経験するやり方というのは、ひとつも無駄になる経験はない。効率の悪いやり方から始まっても、自分で考えながら経験を積み重ねることで、頭と身体を使って自分自身に応用の利く技術を刷り込むことができる。
 教えた数人は、短期間で一級の仕事ができるようになったので、まぁやり方は間違っていなかったのかと。もちろん、仕事が合わずに辞めていったものもいたが。

 それと同じ事を意識していたわけではないけど、自分が主催している絵の教室でも似たようなもんだった。基本的には、よほどのことがない限りは、その人のやり方でやるのを見る。明らかに失敗するだろうとわかるときでも、やってみた方が良いので黙っている。で、失敗した後に、「こうやった方が良かった」と言う。意地悪っぽいけど、その方が絶対に実になるのである。うまくいく方法だけを習得するというのは意味がないと思っている。失敗した経験があると、どういう事をやるとどうなってしまうか?を心身で覚えることができるからである。それに、こちらが「失敗するだろうなぁ・・」と思っていたものが、予想に反してとても良い結果を生むことも時にはある。そういうときには、それがこちらの実にもなる。

 世の中はあまりにも経済効率主義で、無駄を省こう省こう、効率の良い事ばかりにしようという傾向が強すぎると思う。無駄というのは、とても大事なものだと思うのだった。


Eメールで握手?  (2004.11.18)

 個展開催中のある日、フランス人の母娘が入ってきた。娘は日本人とのハーフらしく、小学生とその妹くらいの感じが二人。上の子が時々質問をしてくる。
「これ、何で描いてるの?」(画材の種類を聞いていた。)
木工の壁掛け時計を指さして「これ、本物??」とか。
本物?ってどういう事かと思ったら、ちゃんと動く時計なのか?ということらしい。

 帰り間際、会場内の作品の作者が小生であることを知ったその子は、目を丸くして「ここにサインしてください」と、買ってくれたポストカードを入れた紙袋を差し出した。会場の管理人と思われていたらしい^^;;。

 また次の時にも案内を出すから、名前を書いていってくださいね、と告げると、お母さんが片言の日本語交じりで「Eメールアドレスで握手してもらえるの?」と言っていた。ん?メアド?握手?と、よく話が飲みこめなかったが、上の子が連絡先を書いていってくれた。なかなか感じの良い親子であった。

 後で、そばで聞いていたツレが言った。
「あん?握手?アクションって言ってたよ。」
 連絡をくれる=アクションがある
という事だったのね^^;;


 身体の各部分が調子が悪いとき、たとえば胃の具合が悪いとき、「胃がおかしい」「胃が悪い」「胃が変」などと言いようがある。でも、頭の場合はなかなか難しい。

 「頭が変」「頭が悪い」「頭がおかしい」「頭が病気」、、、

どう言い回しても違う意味になってしまうぞ。^^;。


日本史が苦手…  (2004.11.24)

 学生時代は社会科が苦手で、その中でも日本史はドツボでした^^;。中学の時は、歴史関係は東西取り混ぜて「歴史」というんだったかな?全く覚えてない。高校では、2年の時に日本史があった。世界史はない。たぶん3年の選択授業にはあったかと。数学・物理は大得意だったけど、日本史は赤点を一度も脱することはかなわなかったのだった^^;。

 我が母校の高校は、大学と同じく1時限が90分授業で、1日3時限だった。得意な科目ならなんともないけど、苦手科目は地獄だったのだ。日本史の授業は苦手な上に退屈で、もう30分くらい経ったか?と思って時計を見ても、まだ10分も経っていないあり様。元々苦手だったと言うよりも、授業が自分にはとても退屈で苦手になったという印象が強い。
 何しろ日本史の先生は、解説をするごとくず~~っと、淡々としゃべっているだけなのだ。「○○は××の政権を敷いて、△△を納めた。・・・・一方、□□は、」ってな具合なのだ。一度オチこぼれてしまったら、もうついて行けないのだった。

 おそらくそれ以来、歴史関係は全くダメなのだった。ほぼ常識に近い日本史関係なども、全くわからん。室町、鎌倉、、、とかの時代順序なんかもちんぷんかんぷんだったり。
 かといって、歴史が嫌いか?というとそうでもない。結構そういう本は好きで読んだりする。ただあくまで、ある時代について、たとえば江戸時代の生活やいろいろな時代背景がおもしろかったり、古代史についての考察がおもしろかったりするのだけど、さぁ歴史の流れを把握して、、なんてことになると、なんだか昔の苦手意識が頭をもたげてくる。

 それにしても歴史に関する試験というものの意味合いには、とても首をかしげざるを得ない。いったい何のための試験なのだろうかと?自分は付属校だったので、大学入試についてはまったく経験がないのだけど、歴史が入試科目にある場合、まるでヤマをうまくはれたかどうかの勝負なんじゃないか?というのを何度か見たことがある。歴史という学問の意義を、学校側がどう考えてるんだ?というところですな。

 時々、歴史関係の本を読んでみたくなって買ったりする。最近、予備校の日本史の人気講師の本を見つけて買ってみた。一般向けにもなっているが、もちろん入試を視野に入れた独自の歴史解釈などが書かれているらしく、結構期待した。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱり、初っぱなから、、なんやら、、、。
全く頭に入ってこない。解釈の仕方がおもしろいのはわかる。ん~~~~~、、でも、なんというか、、、やっぱり授業の歴史なのだ。どうやら、自分の中にはそういうのがトラウマになっているらしい^^;。

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