教官!  (2004.11.28)

 現在、運転免許は車の普通免許と、中型バイクの二つ持っている。原チャリも乗って良いのだが、まだ一度も乗ったことはない。
 バイクの免許は、28の時に通勤用にとった。車の免許は18の時にとったのだけど、そのころの教習所の教官は態度が横柄なのが当たり前だった。逆らうと点数やんねえぞ、という横柄さである。
 自分が通っていたのは、多摩川沿いにあり芸能人も多く通うところだったらしい。過去形にしたけど、もちろん今もある。そこは割合教官の態度が良いという評判であった。で、確かに良かった、、、というか、普通だった。あれが良いということは他がよっぽど酷いのだろう。

 事実、同級生の友人が通っていた、同じ多摩川沿い近くにあった隣のT教習所では、ヒジョーに態度が悪かったらしい。友人は、運転に集中していて、無意識にギヤーのレバーに手をかけっぱなしで運転を始めた。そのとき教官が、その手をパシッとはたいた。
 友人は「なんだよ。やんのかよ。降りろよ。(ー_ーメ) 」と静かに言うと、教官は顔をこわばらせて、以後ほとんど無言だったとか。^^; 友人は乱暴なやつではなかったが、パンチパーマ気味だったし^^;。
 その友人が通っていたT教習所は、全体に教官の態度が横柄なことでは有名だったらしく、その態度に耐えかねた教習生が教習所のコース内で車を路肩に止め「すみませんが、ちょっと降りてもらえますか?」と腰の低い態度で教官をおろした後、その頭を捕まえてボンネットにたたきつけたという事もあったらしい。^^;

 さすがにそんな状況はいつまでも続かず、生徒獲得の営業のためもあり、全体的に教官の態度は非常に良くなった。ん~~、でもやはり、態度が悪かったのがおかしいのだが。自分が通っていたところは、設備も良く、早くから女性教官もいた。その後も増えたようだ。
 教官の態度は良い方だった、と書いたけど、そりゃ中には気に入らないやつもいる。何と言っても偉そうなやつだ。今でもよ~~~~く覚えている場面がある。教官が「ハイ、そこを右折してぇ」と言ったときに、間違って一瞬左折のウインカーを出してしまった。そのときに教官が言った。「わかんないの??右折はみぎ、左折はひだりぃ」。フロントガラスにたたきつけたろうかと思ったぞ。(▼д▼)

(そういえば、車の免許をとりに車で通っているやつが時々いるらしい。そういうことはやめてくださいね、という注意が学科授業中にあったっけ^^;)


味覚  (2004.12.2)

 一般に酒飲みは辛党で、ダメな人は甘いものに目がないと言われる。かの矢沢永吉は、実は全く酒はダメで、甘いものに目がないという。でも、酒飲みでも甘いものが大好きなのは多い。逆もしかりである。このあたりは、酒飲みとそうでない者の味覚の特徴の違いなのだろうか?

 前置きは全く関係ない話であったのだけど、味に影響を与えるものは何と言っても視覚、そして嗅覚。
 以前テレビの実験で、被験者にハンバーグが出された。味付けは全く普通のハンバーグなのだけど、被験者にはチョコレートの香りを感じるようにさせた。すると、ニオイだけがチョコレートのはずなのに、味までチョコレートの味がするという。そこまで極端な例は、日常で経験することは無いと思うけど、確かに香りがまず気持ちに与える影響は普段から感じるところ。

 視覚が与える影響については何度も経験がある。信州の、自然食を出す宿でのことだった。お盆に並べられた大小の皿の中に、食後のデザートらしいものがあった。どうも和菓子のように見える。食後に食べるものにしては、ちょっとまったりしてるぞ、と思いながらも、食事中はそれには手をつけず、最後に口にした。その瞬間「んが!なんじゃこれ?」と思ったそのデザートだと思ったものは、和菓子ではなくおかずであった。見た目がおかずに見えなかったので、勝手にお菓子だと思っていたのだ。
 それが理解できた後に口にすると、普通の味のおかずである。お菓子だと思っていたから、ひどく奇妙な味に感じたのであった。

 同じようなことはレストランでもあった。最後に食べたデザートと思ったゼリーは、ゼリー状のコンソメスープだった。デザートと思って口にしたので、塩っぽさにビビッた。スープだとわかれば、なかなか良い味である。

 予想していたのとはまるで違う味であったために、奇妙な味に感じるというのは誰でも経験はしているでしょう。


五円玉貯金  (2004.12.7)

 何がきっかけだったのか忘れたけど、小学校5年生の頃、五円玉貯金をしていた。ヒモに五円玉を通してぶら下げてためておくやつで、これをやったことのある人は多いでしょう。お金を貯めると言うよりも、ヒモに通っている五円玉が増えるのを楽しんでいる、という感じですかねえ。
 ハッキリ覚えているのは、それに使ったヒモのこと。化学繊維を編んだ太いオレンジ色のヒモで、これは当時大流行していた「アメリカンクラッカー」の玉を結びつけてあったヒモだったのだ。
 アメリカンクラッカーを知っているとか、遊んだことがあるというと世代がわかる^^。プラスティック樹脂製の直径3~4cmの玉がヒモの両端に結びつけてとめてあり、それをヒモの中央の持ち手を上下させることで、上と下でカチッカチッ!と連続で打ち付けるあれである。ん~~、言葉で書くと難しいぞ^^;。

 話がそれすぎたが、そのヒモに五円玉を貯めていった。太さがきわめて良い具合だったのだ。
 さて、ぼちぼちその五円玉も千円になってきた。何かを買おうというので、商店街のレコード屋へ行き、仮面ライダーのLPを買ったのだった。そのころの仮面ライダーは、初期の1号2号だけである(あれ?3号もいたかも)。それらにまつわる歌や、怪人のテーマソングなんかが入っていた。CDではないので、レコードのLP版である^^。いわゆるアルバムね。(こんな説明が必要な時代なのだった;;;)金額は千円ちょうど。

 さて、支払いはもちろん例の五円玉の固まりである。ヒモに通したままの千円分の五円玉の束を差し出した。店主とその娘とおぼしきお姉さんは、いやな顔ひとつせず、むしろ感心してそれを受け取った。子どもが大事に貯めたお金でレコードを買いに来てくれたという微笑ましさと同時に、レコード屋冥利にも尽きたのかもしれない。お姉さんは五円玉を数えながら、「郵便局に行けば、こういうのもすぐに数えて大きいのに換えてくれるわよ」と言った。
 今の時代なら「小銭なんかで持ってこないで、ちゃんと両替して来いよ・・」というのを遠回しに言ってることになるだろうけど、そのお姉さんのはそういうイヤミではなく、あくまでひとつの知恵として教えてくれたという感じだった。ん~~、そういう意味でも良い時代だったのだなぁ。

 そのレコードは、中1の時に、今は画家になっている仮面ライダーフリークの友人にあげた。いや、売ったのかもしれない^^;。五円玉貯金は、結局そのレコードを買うことで終わった。


下北沢商店街  (2004.12.11)

 ま~た靴屋かよ!
昔から地元民に利用されてきた店がなくなり、その後に出来たのは、この町には有り余っている靴屋だった。渋谷、新宿、繁華街ならどこにでもあるような靴屋のオンパレードだ。どう考えても、そんな数の靴屋などは必要ない。置いてある靴も、どこも似たり寄ったりだし。必要以上に多い店は、他にもたくさんある。そんなわけで、この街では基本的に靴屋は利用しないし、したくない。利用するとしたら、昔からある靴屋だ。

 自分はこの下北沢近辺で生まれ育ってきて、昔は地元民が普通に暮らすのに良い商店街を備えていた。20数年前からだろうか、原宿のように流行を追う店が増え、電車の便も良いこともあって、遊びに来る人も多くなった。いや、来る人が多くなったからそういう店が増えたのかもしれないが。テレビや雑誌などで取り上げられることも多くなり、ますますその傾向は強くなった。そして、今や2年も持てば上出来の店ばかりである。地元民が、安心して普段の生活で利用できる店はどんどんなくなり、外部から遊びに来る人のための商店街になった。聞くところによると、長年やっていて閉めた店も、撤退したというのではなく場所を貸しているケースが多いようだ。

 今の傾向が強くなった頃からは、その商店街はあまり通らないようにしている。人の少ない裏道を通ることがほとんどである。正直言ってうざったいのだ。意識して通らないと言うよりは、自然と足が遠のくのだ。自分には必要がなかったり、ない方が良いと思う店があまりにも多いからである。単に自分には興味がない、というなら良いのだが、一時の流行だけですぐに消えるのが分かり切っている店ばかりだし。あちこちで紹介されて有名だけど、「ざけんなよ・・・」という店も何軒もあるし、みんな不味いとはいえないのか?という食事屋もいくつもあった。まぁ、好みの問題はあるにせよ。
 前にも書いたと思うけど、新しい店のための改装をしている作業員(大工とは呼べない)たちが「ここは○○でいいのかな?」「そうそう、ま、どうせ(この店も)2年も持ちゃしないけどなぁ」などと言っているのを聞いたこともある。鼻で笑いたいところだけど、ここで生まれ育った身としては、いささか悲しい状態でもある。

 時々、小さな商店街を持つ町へ行くと、地元民が普通にそこを利用している光景が、とても懐かしく心温まる。昔だったら、この近辺がテレビなどで紹介されることがあると、「おっ!」と思ったもんだけど、もう今では「またかよ・・・」という案配でありまする・・・。観光地ならまだしも・・・。

 うちは、商店街からははずれた住宅地にあるけど、じわじわと近くまで小さいとはいえ店舗が進出して来ている。便利になるならまだしも、繰り返すが地元民には利用価値のない店ばかりなのだ。行く末が非常に心配な今日この頃なのである。


2005.4.25追記
駅前で50年やっている布地屋さんに聞いた話では、どんどん昔からの店が閉店している。閉鎖して、敷地を他の商売人に貸しているのだ。その布地屋さんにも何度も、不動産屋が来るという。「店舗を貸す気はないか?」と。もう馬鹿みたいに家賃が高くなってしまい、まともな商売は成り立たなくなりつつあるようだ。それで、すぐに商売の結果が出ないとやっていけなくて、2年ももたずに閉店する店が多いのか?・・・靴屋に続いて、不動産屋がどんどん新しくできるなぁ、と思っていたら、なんと
とんでもないことに、この広くはない町に、200件を超える不動産屋がひしめき合っているというのだ。もう勘弁してくれぃ・・・・・・・。


うたた寝で時差ボケ  (2004.12.13)

 これは是非、他人にも聞いてみたいと思っていながら、まだ聞いた記憶のないことであった。

 うたた寝くらいは誰でもするだろうし、うたた寝と言うには長いうたた寝も良くあるでしょう。自分は一番眠くなるのは、午後4~5時くらい。そのくらいの時間に5分でもうたた寝すると、すっきりと眠気はとれる。子供の頃もそれくらいの時間に寝入ってしまうことはあった。問題は、もうちょっと遅い時間。一番多かったのが、まだ表が明るい夕方に寝入ってしまって、起きたときにはすっかり暗くなっているとき。この時はすっかり日時の感覚が1日進んでしまっている。起きたときが明るければ、多少長く寝てしまっても、この時差ボケは起こらなかった。さすがに最近は、暗くなるまで寝入ってしまうことはないけど。起きたときが暗いと、まず間違いなく時差ボケになっている。

 また、良くあったのが、暗くなってから起きたときに非常に焦ってしまうこと。ああいうときに目が覚める時は、ぱっちりと目覚める。そして、部屋の中の明るさの異様さにとまどう。普通、朝起きたら外の光が部屋の中を満たしているのだが、部屋の中の照明があかるいのだ。そこで、なんなんだ?!!!!と思い、次に「なんでパジャマでなく服を着てるんだ?!!!」ととまどう。そして時計を見て、8時とかだと、うわ!こんな時間だ!遅刻するじゃん!!!とあせるのだが、なんか変だ。
 しばらくしてやっと、うっかり寝入ってしまい、夜の8時であることを悟る。悟ったとはいえ、感覚はすっかりおかしくなっている。この場合は時差ボケとはまた種類の違う感覚である。

 こうなるときは、深い睡眠に陥ってしまったときで、うっすら意識のあるような感じのうたた寝だと、「うっ、寝入ってしまったか、、」と気づく。ここまで感覚が麻痺するのではなく、ただの時差ボケになるときは、明るいときに寝入り、起きたときが暗いときに限られていたのだけど、こんなのは自分だけなのかしらん??

 ん~~、そもそも、その感覚をうまく言葉で表現できないのだけど。。。


それぞれの意識  (2004.12.17)

 喫茶店などから、ボーっと道行く人々を眺めていることがある。たいていは、ただ眺めているだけだが、不意に不思議な感覚を覚えることもある。そこを行き過ぎる人、立ち止まっている人、携帯で話をしている人、笑っている人、むすっとしている人、、、。みんなそれぞれが、今の自分と同じような意識を保有していて、いま、こちらから見ている情景とは別のそれぞれの情景を見て感じているのだ。
 当たり前のことだけど、その1人1人になりきって想像すると、なんかとても不思議な感覚を覚える。そうやってこの瞬間でも、何十億というそれぞれの意識が生きているのだと。

 養老孟司氏ら脳研究者は、人の意識というのは脳内の化学的なものであり、外界への反応である、のようなことを言っている。脳の機能と言うとわかりやすいかもしれない。血液やリンパなどの循環器系を例に取ると、身体のどこを切っても循環器系という機能があるわけではない。血管やリンパ管があるだけで、それらが総合的に機能して、初めて循環器系が存在する。同じように、精神活動というのも脳の機能であり、単に脳を解剖して研究しても心を見いだすことは出来ないと。

 19世紀から20世紀にかけてロシアを拠点に活動したG.I.グルジェフ(神秘思想家、哲学者、求道者、舞踏のマスター)という人物がいた。同時代および、現代においても多大な影響を与えている秘教的神秘思想家だが、おもしろいことに彼もちょっと似たような事を言っていた。ほとんどの人間は、単に外界の刺激に反応しているだけの機械に過ぎないと言う。自分が機械であることに気づいていない者がほとんどなので、真に覚醒している人間などはほとんどおらず、覚醒(悟りと同じことか)するためには、まず自分が機械であることを認識する必要があると。そして、恒常的にどの瞬間においても、自分の主体を意識できないとダメだと。

 イギリスの天文学者で、現代のレオナルド・ダビンチと呼ばれるフレッド・ホイル氏は、すぐれたSF作品も発表しているが、そのひとつの作品中で独自の時間・意識論を紹介している。かなり記述がややこしくなるので、興味のない人には読む価値はないかも知れまへん。

 書類整理用の仕切りがたくさんあり、それには順々に番号がふってあるとする。1、2、3、・・・という風に、それが何万、何十万、あるいは無限に並んでいる。
 たとえば、事務員が137番を選んだとする。その中には物語がひとつ入っている。137番目の仕切りには、137番目の仕切りについての物語を書いた紙が入っているのだが、それとは別にそのほかの番号の仕切りについての物語を書いた紙も入っていた。137より若い番号についての物語や、それより大きい番号の仕切りについての物語だ。

 そこで事務員は、その他の仕切りの物語について書いてあることが正しいのかどうかを確かめようと、該当する仕切りの中を見てみた。
 驚いたことに、若い方の番号、つまり136、135、・・・についての記述はだいたい正しい。しかしその反対側、138、139、・・・の方の仕切りと比べてみると、こちらはどうもいい加減で、食い違いや矛盾が目立つ。
 やがて、これはどの仕切りについても同じ事が言えるとわかってくる。つまり、ある仕切りの一方(若い番号=仕切りより古い方)の側の記述は正確だけど、反対側(大きい番号=仕切りより未来側)では、良くてもボンヤリという程度で、ひどいときは全く違っている。

 このたとえ話を時間の問題に移し替えてみる。事務員がたまたま調べたその仕切りを、我々は現在と呼ぶ。記述がだいたい正確だった前の方の仕切りは、過去と呼んでいる。記述がいい加減だったあとの方の仕切りは未来だ。

 フレッド・ホイルは、現実の世界がこれと非常に似ているという。仕切りという代わりに、状態と言っているに過ぎない。すべての状態が仕切りに分けられており、その1つを選ぶという行為が現在になる。それぞれの状態に、意識が含まれているとすると、事務員がある特定の仕切りの中を見た瞬間に、現在と呼ぶモノの主観的意識を得る。事務員は、順番に氏切りの中身を見ているわけではなくあちこちへ、番号の順番に関係なく飛び回っていたとすると、時間の流れには関係なくなっている。しかし、主観的意識にとっては、時間はとぎれなく流れているように感じる。

 事務員が選ぶのではなく、スポットライトが当たると考えると、もう少しわかりやすくなる。あらゆる状態、古今東西すべての人間の一生の仕切りはもちろん、地球外の意識を持つ生命体の仕切りも並んでいる。意識を持ちうる生命の仕切りがすべてある。当てることの出来るスポットライトはひとつだけで、それがある特定の仕切りにあたると、そこの状態の意識を経験する。別の仕切りにスポットライトが移動すると、別の状態の意識を経験するが、それは前回とは違う人間かもしれない。
 いま自分は、物心ついたときからとぎれのない意識を経験していると思っているが、実はいろんな意識をとびとびに経験しているかも知れず、同じ人間の同じ時間を何度も経験していても、その自覚はない。

 ん~~、要約するのは難しいけど、なんとなく腑に落ちる感じも大いにあった見識だった。フレッド・ホイルはかつて、地球の原初の生命の素(有機物など)は宇宙空間から隕石にくっついて降ってきたという大胆な説を、批判を受けながらもスリランカの物理学者と共に展開した人である。最近ではそれは科学界の定説になっている。

 さてさて、解説が長くなったけど、道行く人を眺めながら、もしかすると、自分では気づかないだけで、自分が眺めている人たちの意識を断片的に経験しているのかも?などと思い、ちょいと不思議な感覚に陥ったりしたのだった。・・・


新人のせい?  (2004.12.19)

 以前、「担当は誰なんだ?」に書いた某画廊の対応の後日談。あれから5ヶ月も経った先日、その画廊から携帯に電話があった。「○○画廊の○本と言いますが、伊藤先生でいらっしゃいますか?」と、あのときに全く取り次がれなかった本人からだった。「このたび、伊藤先生の絵を気に入られて、購入したいという方がいらっしゃるのですが、あれらの絵はまだ保存されてますか?」という。???「は???」である。
 どうやら5ヶ月も前に契約を解除したはずなのに、それがちゃんとなされていないらしい。
しかも、あのとき契約担当だと言われて、一生懸命その人に取り次いでもらおうとしたその人からの電話である。当時の状況を説明すると、全く初耳のようだった。あのときに電話応対の女が「担当者に聞きましたところ、何度かお電話差し上げたようですが、つながらなかったと言うことです。もしかすると、番号非通知でかけると拒否する設定になっていますか?」と言っていたこともウソか、社内の連絡体系自体が機能していないかのどちらかなのだ。

 今回の人は、社内の連絡が悪いことは認めていた。でも、当時の電話担当は新人であったのだが、その新人がうまくやれていなかったのだ、と言うことを繰り返した。そして、しきりに不愉快な思いをさせてしまったことを詫びていた。本気でというか、この人はまじめにちゃんとやっている感じで、誠意を持って詫びているようには思えた。
 しかしやはり、たまたまそういうことがあっただけで、そのときは新人の不手際であったに違いないと繰り返す。いや、新人のせいではなく会社の問題なのであると何度つっこんでも、やはり新人の不手際であったと詫びる。そもそも、社内での反省ならまだしも、外部の人間に詫びるのに、新人のせいにするのは大反則なのだ。新人がその会社の仕事をうまくこなせないのは当たり前だ。それは大前提であり、それを周りがフォローしながら仕事を覚えていくのであって、不手際があったときにフォローできない体勢なのが問題なのである。会社の顔とも言うべき電話応対に、新人を使うこと自体にも問題はある。

 かつて渋谷の日本料理屋で、ホールの若いのが失敗をした。当然客は文句を言い、ホールの責任者らしいおっさんが出てきた。おっさんは一応型どおりに謝った後、何を言うかと思いきや、こともあろうに「新人のやったことですから…」などと言った。新人のやったことですから、大目に見てやってください、と言いたかったのだろう。信じられない責任者だと思った。そういうのは社内での反省会か何かで言うことであって、外部の人間にそんな詫び方があるだろうか?そういうときは、責任者が全責任を負わなければならないのだ。このおっさんには、人の上に立つ資格も能力もない。もちろん信望もないのだろう。

 さて、先ほどの画廊の件であるが、電話をかけてきたその人は、新人のせいにすることで言いわけをしているような感じではなかった。後になって腑に落ちたのだが、その画廊での仕事に誇りを持っており、会社を信頼しているようだったので、自分の気持ちために会社を信じたかったのだろう。その画廊については、過日の件の後に、他所からも良い評判は聞いていなかったし、同じように対応の悪さを言う人がいた。そのようなことは全く知らず、こちらの件だけが不手際だったと思っており、そう思いたかったのだと思う。ま、そうとうなしたたかな役者でなければだけど………。契約が続いてると思って電話なんぞをしてきたのだから、本当に知らないのだろうけど。
 しばらくして、携帯の留守電に、画廊側が不愉快な思いをさせてしまったことなどを、個人的にも詫びる伝言が入っていたので、まじめに誠意を持ってやっている人なのだろうと思う。
少々馬鹿正直なのかもしれないが。

 さてさて、帰宅してからその画廊のHPを見てみると、相変わらず小生のコーナーは削除されずに残っている。その後何度見ても残っている。いったい何をやってるんだ???^^;;(数日後にやっと消えた)

→さらに後日談^^;;


プラモデル  (2004.12.23)

 小学校の頃はプラモデルに熱中した。いまは知らないけど、だいたい「MIYATA」か「ブルマーク」のメーカーがほとんどだったと思う。
 熱中したのはもちろん、地球防衛軍の戦闘機の類。当時もそう思ったけど、いま考えてみても、ウルトラセブンのモノはデザインもコンセプトもピカイチだったでしょう。主題歌も名曲と言われていたし。

 残念ながらウルトラセブンモノは、自分がプラモデルを作れる頃はもう終わっていて全く手に入らなかった。仕方ないので、工作用紙を買ってきて、自分で立体に作り上げたりしていた。ミリ単位で展開図を描き、どう組み上げるとどういう形に仕上がるか?を念入りに考えて、かなりの数を作った。ボディのマークやライン塗装もちゃんと自然につながるように展開図を描いていた。それらはもちろん今ではひとつも残っていないけど、3機が合体する戦闘機もちゃんとぴったりと作ったし、微妙なボディラインの曲線や凹凸なども正確に再現されていたのだから、我ながら良くやったというか^^;。同じモノは一機作って終わりでなく、納得のいく仕上がりになるまで何十機も作ったからだろうけど。

 当時、小中学生が作る類のプラモで主流だったのは、400~600円あたりのもの。50円というのもあったけど、これが結構馬鹿に出来ず、ちゃんと作るとそれなりに見栄えがした。ウルトラマンシリーズの戦闘機は主に、50円のモノができあがりの大きさが手頃で、遊ぶのにもちょうど良かった。遊び方としては、単に手に持って飛んでいるのを再現するのでは幼稚なので、操り人形のように何本かの糸をつけて上からあやつるのだ。

 気に入らなかったのは、テレビで見ているのと比べると、機首の部分のカーブが緩いのが多いのだ。テレビではかっこよく湾曲しているモノが、子供だましのようなカーブしかついてないのがほとんど。ま、子供だましには違いないんだけど。それで、ガスレンジの上であぶって柔らかくし、うまく曲げたりするのだ。しかし、うまくいくのはせいぜい50%。失敗するとよれよれに曲がってしまい、もうそれはお釈迦である。

 戦闘機ものなのに、床で走らせて遊ぶように大きなタイヤをつけるようになっているモノも多かった。ボディの中央部に醜くこぶを出し、そこにゼンマイ仕掛けの機械とタイヤを装着するようになっていた。そういうのはとても許せず、かといって、小学生の技術力ではそのこぶをなくす細工は出来なかった。でも、そういうモノに限って他の部分は申し分ない場合が多くて、泣く泣くそういうのを買って組み立てていたのだった。
 かなり凝っていたように思われるかも知れないけど、上には上がいくらでもいるもんで、この程度はタダのプラモデル遊びであっただろう。

 数年前に本当に久しぶりに、おそらく中学以来だと思うが、プラモデルを買った。YS-11という唯一の国産機であった、そのプロペラ型の旅客機の置物が欲しかったのだ。近所に小学校の頃に通い詰めたプラモ屋があるのだが、そこで聞くとそのモデルのは一種類しかなかった。買って帰ってみて驚いたのは、昔に比べるとあきれるほどに単純な組み立て方だと言うことだった。部品も少ないし、最近のは接着剤を使わないモノも多いという。以前のに比べると確かに失敗する割合も少ないだろう。でも、それだけにただ単に組み立てさせられているだけなんじゃないか?とも思ったのだった。こんなところにも、子どもの学力低下の要因があるんではないのか?なんて思ったり。ほとんど頭を使ったり、工夫をする余地がないのだ。

 プラモに使うモーターといえば、何と言っても「マブチ」のモーターだった。マブチが「馬淵」という、取り立てて珍しい名字でないのに気づいたのは、大人になってからだった。^^;もう数十個ではすまないくらいは買っていただろう。あれをうまく装着する快感や、分解してモーターの仕組みを知った驚きとか、その分解してしまった部品を自分なりに転用するおもしろさも、昨日のことのようによみがえったりするのだった。
 ま、モーターはそんなに構造の変わるものではないけど、そのほかのモノというのは、以前のように分解して胸躍らせるというモノは少なくなったのではないだろうか。なにせコンピューターで制御する方式が多く、分解しても基盤と電子部品だけで、成り立ちや因果関係を推測する隙間もない。


 ホームページ(以下HP)なんぞをやってると、時々そういうメールが届くことがある。応リンクフリーを宣言しているので、自由にリンクして頂いている事もあるようで、それもうれしい限りである。また、相互リンクの申し出も、もちろんありがたいしうれしい。
 相互リンクの申し出は、意外に商用関係も多い。本当にここのHPを気に入ってくれて、相互リンクを申し出てくれる所もあるが、数打ちゃ当たるで、こちらが何のHPかよくわかってないのだろうな、というのも多い。そういうところも、連絡をくれたのだから一応見に行ってみると、やはり何でもかんでも相互リンクをしているという感じだったり。
 別にそういうのが悪いのではない。HPをやっているからには、なるべく多くの人に訪問してもらいたいのが普通であり、そのために相互リンク先を増やすのは正攻法である。でもやっぱり、リンクを申し出るからには、こちらがなんのサイトなのか、どういう内容なのかをいくらかでもわかってから連絡をするのが礼儀ではないのか?とは思う。(訪問者が勝手に相互リンクできる「自動リンク」の方式を用いているところもあり、この方がまだすっきりする。)一般の訪問者だったら、どこのページをどのように見ようがどうしようが訪問者の勝手である。買ってきた本を、どこからどう読もうが投げ出そうが、内容はおもしろいけど著者の事には何にも興味がないからプロフィールを見ない、なんてのも勝手であって、HPも基本的には同じだと思っている。興味を持ったところだけでも見てもらえれば、それだけでもありがたいと思う。

 断るまでもなく、ここは商用サイトではなく個人サイトである。リンク集で紹介する場合、管理人である自分が、是非他の人にも教えたいモノをリンクしているのが普通であろう。なので、一応は先方がどういうサイトなのかはわかっているつもりです。わがまま放題自己中オッケーのHPの世界であるけど、リンク先を紹介するからには、それなりの責任はあると思っている。何もそこまで考えんでも、とも思うけど。
 相手が個人サイトならば、まず問題はない。訪問者と先方との問題である。でも、商用サイトの場合は、何かトラブルがあってもこちらには法的責任はないにしろ、やはり気持ちの良いものではない。ここでオススメしているのであるから、それなりの気持ち的な責任はあると思う。そういうわけで、基本的に商用関係のサイトはリンクをお断りしている。ただ、自分がよく利用していて知っているか、内容を見て、これは是非みんなに教えたい、というものはリンクする。相互リンクを申し出てくれても、自分には興味のない方面、利用することはまずないだろうと言う方面は、丁寧にお断りしている。あくまで自分の所では、オススメ(もちろん義理も含む)リンクだからである。

 そのように丁寧に断りの返信をしても、商用関係の方々は、まず間違いなくなしのつぶてですな。あちらは商売なのだから、利害関係の成立しなかった個人サイトなどはそれでおさらばなのでしょう。いままでに、相互リンクをお断りしたメールに、挨拶の返信をくれたのは一件だけである。「残念ですが、ご主旨よく理解できました。またご縁がありましたらお願い致します。」のような返事だった。マニュアル的な文章ではなく、きわめて個人的な文章であった。このような細かいところの応対の仕方でも、そこの仕事の信頼度は全然違うモノなのだ。思うような方向へ進まなかったし「シカトごめん」が当たり前のネット界だからいいや、なんて油断しているのかも知れないが。

 リンク集とは他に、オススメギャラリー情報なるリンクも設置しているが、時々ギャラリー側から掲載依頼がある。こちらは連絡で確認がとれれば、基本的に即掲載をしている。少しでも情報が多い方が役立つと思うからだ。
 アップして確認依頼のメールを送ると、まずだいたいはそれに対するお礼と確認の返信が来る。それが当たり前だと思う。でも時々、それっきりで返事もよこさないのがいる。おそらく確認はして、ちゃんと載ってるしオッケー!で納得しているのだろう。忙しいオーナーもいて、たまにしかメールをチェックできない人もいるだろうから、しばらくはこちらも様子を見ているが、自分だけ納得してオッケーと思ってるな、という感じの時はその後削除している。別に掲載料金を徴収しているわけではなく、お互いの信頼関係だけでやっているのだから、当たり前の対応も出来ない方面を紹介するほどこちらは奇特ではない。

 かように、リンクひとつとっても奥が深かったりする。(?)


キー坊  (2004.12.27)

 子どもの頃は、漫画家赤塚不二夫氏の大ファンだった。赤塚氏の漫画のかなりは、そらで描けたほどだった。
 氏の漫画の中に、時々「キー坊」という子どもが出て来た。特に決まったキャラクターではなく、たまたまそのとき登場したボヤンとした子どもに「キー坊」という名前が使われたりしていた。

 その影響で、しばらく勘違いしていたことがあった。テレビの音楽番組などで、バンドの場合、リーダーがメンバー紹介をしたりする。「ギター、○○!」「ドラム、××!」「キー坊、△△!」。何せ小学校のガキの頃で、しかも「キーボード」という単語がそれほど浸透していたわけではない。各楽器部所の紹介では、その楽器を言うのに、なんで「ピアノ」の人はいつも「キー坊」なんだろ?と疑問だった。もしや、鍵盤楽器担当を「キー坊」というあだ名で呼ぶ習慣があるのか?と^^;;。

雑記帳39< エッセイメニュー >雑記帳41