アカイエカ復活?  (2012.6.19)

 ここ数年来、夏の家の中からアカイエカが消えた、と前に書いた。それまでは屋外はヤブ蚊、屋内はアカイエカが普通だったのだが、屋外も屋内もヤブ蚊ばかりでアカイエカをすっかり見なくなっていた。
 それが今年は家の中で見る蚊はみんなアカイエカである。屋外はヤブ蚊。蚊の勢力図が変わったんかな?猛暑などであまりに暑いと、蚊は減ると読んだことがある。暑ければ良いのでは無くやはり適切な温度帯があるようで。ここ数年来アカイエカがいなかったのは猛暑過ぎたからか?
 もうひとつ「?」と感じるのは、自分は他人に比してやたらに蚊にかまれる方なのだが、今年はさほどでも無く、かまれても痒みが弱い。自分の体質の問題なのか蚊の問題なのかはよくわからない。
 他にもそんな「?」な変化を感じている人はいないだろうか?

また冷房テロの季節が  (2012.6.20)

 昨夜の暴風から一転台風一過の今日、まだ風は強い。でも気温は高く、予想では東京は32度である。ムシムシしていないのでそれほどには感じないけど。

 で、早速電車は狂気のクーラー・・・
あちこちもこれでもかとクーラーを効かせている。 どうやら節電というのは一時期のブームかファッションだったようだ。灯りでさえ、昨夏節電時に「今まで余計な明かりが多かった」とわかったはずなのに、消費電力が抑えられるからとLEDで以前のような明るさを復活させている思考回路がわからん。
 今日は新宿三丁目の世界堂画材店へ額の購入に行ったのだが、その前にドトールコーヒーで一服&読書をした。世界堂へ行くときにはよく利用する、新宿二丁目交差点の店である。三階の禁煙フロアを利用するのだが、今日はエアコンは使わずに窓を開け放っていた。
 これがすこぶる気持ちいい。窓のすぐ外には大きな街路樹の緑が萌えている。部屋を通り過ぎる風も気持ちいい。

 これで良いじゃまいか!エアコンばかり狂ったように効かせないで、電車もフロアももっと窓を開けたらどないやねん。たまに窓を開け放った電車に乗ったときの開放感と爽快感はたまらんぞ。

弱冷房店の導入を  (2012.7.24)

 日本も欧米にならって、公共の場での禁煙がどんどん進んでいる。喫煙のできる飲食店なども少なくなっている。閉め出された喫煙者のため、というか取り込むために全館喫煙席という店もよく見かける。それなりに棲み分けができてはいる。

 さて、毎夏問題にしたい効き過ぎのクーラーである。ハッキリ言って殺意があるとしか思えないようなきつい冷房の店も多い。喫茶店はよく利用するのだが、まず条件は全館禁煙もしくはきちんと分煙ができているかどうか。そして夏はクーラーがどうなのかである。夏以外はよく利用するが夏はクーラーがきつく、しかもどの席も冷風が強く吹き付けてくるので逃げ場がなく、夏は利用しない喫茶も少なくない。たいていは一時間程度は利用する場合が多いので、クーラーがきついかどうかは死活問題なのである。

 ふと思ったのだが、電車には弱冷房車がある(近年は弱冷房車でも冷房がきつい電車もある)。ならば飲食店でも「弱冷房店」というのをウリにする店があっても良いのではないの?どこもクーラーがきつくて困っている人というのは意外に多いようであり、そういう店なら安心して入れるのではないかと。「当店は節電をしています」と言いながらクーラーはガンガンかけている店は多い。電力消費の少ないエアコンを使っているだけかも知れないので、節電しているからといってクーラーがきつくないとは判断できないのである。
 なので、節電とは無関係に「弱冷房にしています」というのは大きなウリになると思うのだ。どうだろう?それでそういう店が話題になり「こんな店を待っていました」という声が多ければ、いかにバカな冷やし方をしていたのかを反省する良い材料にもなると思われ。

熱帯夜って…  (2012.9.3)

 前にも書いたと思うけど、熱帯夜というのは深夜の最低気温が25度より下がらない夜です。
 「熱帯夜って何度以上の夜だか知ってる?」と質問すると、30度だと思っている人は最近は多いようです。夜25度だと肌寒いもんなぁ・・・
 地球が温暖化に向かってるのか氷河期に向かってるのか議論はありますが、夏の気温は少なくとも日本では確実に上がっていて、人間も確実に対応してるのだと実感。

危険なチャリ  (2012.9.27)

 ブレーキの無い自転車、いわゆる「ピスト」に乗っているヤツを見 た。止まるときはペダルで制御するヤツである。驚異的な脚力のモノでも急停止などできない。
 自分はロードバイクを愛用しているので、ハッキリ言ってこういう 自転車は許せない。
 駐輪してあるのも時々見るが、乗っている現場を押さえないと取り 締まれないようである。駐輪してあるのは「飾りです」と言ってしまえば、取り締まる法は ないのだとか。まぁたしかにオブジェの場合もあるし。
 こういうのに乗るヤツは、ファッションとして乗っているのがほと んどであろう。なんちゃってロードバイクが主流を占める中のひとつのかっこいい チャリと勘違いしている。
 ピストで公道を走るヤツ! 自転車を甘く見るなよ。被害者を出し てからでは遅いぞ!

画材が無い!  (2012.10.8)

 いつもイラストや絵画を描くときは、色鉛筆か透明水彩を使うことがほとんどである。色鉛筆の場合「油ぼかし」という特殊な技法を用いていて、これは著名なイラストレーターの黒井健氏が考案した技法なのである。この技法を用いるときに使用する画材に「マスキングフィルム」というモノがある。通常はエアブラシ(スプレーの様に塗る)で描くときに使うのだが、油ぼかしでも必要不可欠な画材なのです。

 マスキングフィルムを販売しているメーカーは多くは無く、店頭で手に入るモノは数種類しか無い(サイズはいろいろある)。自分はToolsという画材チェーン店が輸入販売しているイギリス製のフィルムを愛用していた。粘着力や質感が一番良いというか、他のでは自分の目的に使えないからだった。
 置いてある店舗も少なく、いつも新宿のToolsに行く。今年は頻繁に使うので良く買っているが本日行ってみると店頭在庫がほとんど無い。フィルム表面がマットとグロスの二種類があって、いつもはマットを買う。だけどグロスがわずかにあるだけだった。聞いてみるとマットはもう販売がほとんどされていないというか製造をしていないようなのだ。

  「え?~~~~~~~!!!!!!」

 それは困った。でもグロスでも表面の質感の違いだけなので慣れれば問題は無いと思ったが、フィルム自体を今後製造するかどうかが怪しいという。つまり需要がないから販売も製造も先細りになっているのだ。
店頭にあったひとつを買い、確認してもらって在庫のある中から少し多めに注文した。いつもそうだがこのチェーン店はとても丁寧で画材屋のプロフェッショナル。いろいろな話や代替品についても教えてもらった。代替品はなかったが・・・

 絵を描く人は増えていると思うが、CGで描く人が増えているのだと思う。イラストレーターも手描きの人が減ってなおかつ新しい人もCGがほとんどだから、手書き用の画材がどんどん需要が無くなってきているのだ。伝統職人で、必要不可欠な道具を作る職人がいなくなったために廃業せざるを得ない職人の話は少なくない。自分は今時は珍しくなっている「普通の絵」を「手描き」で描くイラストレーターになっているのだが、こんなところにも道具が無くなるために危うくなりそうな自体が迫ってきているとは。。。もっとも通常の画材(色鉛筆や水彩など)が無くなることは無いはずだから、描けることは描けるが。

 ん~~~、ニッチなイラストレーターであることをおもしろがって売りにしてたが、何か対策を考えていかないといけないなぁ・・・

大滝秀治さん  (2012.10.24)

 名優大滝秀治さんが亡くなって半月ほどになる。タイトルは忘れたが、脚本家倉本聰さんのエッセイに載っていた、大滝さんに関するお話。

 大滝さんがまだ小さかった娘と一緒にバスに乗ったときのこと。
 当時のバスは通勤電車のように対面式の座席で、大滝さん父娘の前には初老にさしかかるご婦人が座っていた。
 娘さんは「おぼろ月夜」を歌い出した。

 「なのは~なばたけ~に い~り~ひうすれ~♪」と歌うとすぐさま前に座っていたご婦人を「はいっ!」っと指さした。
 不意を突かれたご婦人は驚いた表情のまま「みわた~すや~ま~の き~り~ふかし~♪」と続けて歌ってしまった。

 気をよくした娘さんは続けて「はるか~ぜ そよふ~く そ~ら~をみれば~♪」と歌い、ご婦人の隣に座っていた若い男性に「はいっ!」っと渡した。男性は恥ずかしそうに下を向いて黙ってしまった。

 大滝さんはそんなやりとりを見ながら、娘さんを「素敵だな」と見ていたそうだ。

 倉本さんはそのエッセイの中で、そんな時は子どもをとめる親が普通なのに、「素敵だな」と娘さんを見守った大滝さんこそ素敵だ、と書いていた。
 30年近く前に読んだ本だと思うが、大滝さんの人柄が偲ばれるとてもいい話だと感じて、今でも良く覚えているのだった。

ある日とつぜん  (2012.12.14)

 トワ・エ・モアの「ある日突然」と言えば、昭和の名曲のひとつである。ひょっとして今の世代の子達でも知ってたりして?

 先々週から、介護病院に居る母上のベッド脇のテレビをラジオに替えた。もうほとんど寝ている状態で画面を見ることもないし、むしろFM放送などで音楽を聴いてもらう方が良いのではないだろうかと思ったからである。iPodもつないで聴けるやつである。それ以前から面会に行ったときには、iPodに入れた懐メロやクラシックなどを聴かせていた。
 先日面会に行ったとき、何曲か目にその「ある日突然」が流れた。何とはなしに聴いていて「え!?」と驚いた。

あ~る日とつぜん ふたりだま~るの~
 あ~んなにおしゃべり していたけれど~

で始まる曲である。今まで長いこと、この二行の歌詞しかちゃんと覚えていなかった。あとは聞き流していたのである。今回そのまま聴いていたら、友達づきあいだった男女がお互いを異性として意識しはじめ、今までのように軽口で言葉を出せなくなった心情を歌っていたのに気づいた。
 え~!そうだったんだ! 自分はずっと失恋ソングだと思っていた。恋人同士がある日突然口をきかなくなってしまった歌だと思っていたのだ。「愛しのエリー」の

言葉につまるよじゃ 恋も終わりね

 と同じだと思っていたのだった;;;
 ん~、まだまだ知らないことは多そうだ^^;;

何もしない大切さ  (2013.1.14)

 連れ合いとの居酒屋での話。
 今、うちの母上は介護病院へ入っており、最後に家にいたときからみるみる動けなくなって、意識もハッキリしなくなっている。
 連れ合いはそういうのも見てきて、また世間や知人の同じように突然亡くなったり動けなくなったりする事がある可能性に話が及び「やれるうちにいろんな事をやらなくちゃ」という話になった。

 自分にはやりたいことは山ほどある。もちろんやりたいレベルは様々で「できるならやってみたい」「なるべくやりたい」など様々。多くの人が自覚しているように、ただ「やりたい」ではなく実際に「やり始めれば」できることは少なくない。
 でも翌日にブラブラ1人で歩いていてふと思った。やりたいことをやるだけが大事なのではなく、何もしないというのも自分には大事であると。
 ただ無為に過ごすというのは、生産的な日本社会ではマイナスに見られがちだけど、実はとても大事な事だと思っている。

ゴミを捨てない心  (2013.2.1)

 平日の朝10時過ぎ、新宿の町を歩いていた。ふと歩道を眺めていたら、いつもの光景なのにゴミひとつ無いのに改めて気づいた。まぁひとつも無いわけではなく、細かい紙くずやビニールの切れ端などが落ちていることがある。でも「ゴミひとつ無い」という表現は当てはまるだろう。タバコの吸い殻なんかが落ちていたら「なんだ、コイツ!(これを捨てた野郎は!)」と思うほどに綺麗である。

 良く海外からの観光客が驚く東京の印象のひとつが「清潔である」と言うことなのだ。誰がいつ掃除してるんだ?というくらいに、彼らから見たらディズニーランドが常にゴミがないのと同じような感覚に見えるらしい。
 実際に見たことがないのでわからないけど、シンガポールなら東京より更に綺麗だろう。つばを吐くこともゴミを捨てることも罰金の対象になるのだから。完全な観光立国としてひとつの売りである。
 東京もある程度観光都市だけど、別に処罰があるから綺麗にしているわけでは無いと思う。日本人がきれい好きといわれるその度合いがどんなものかわからないが、掃除をする以前に公共の場にモノを捨てないという意識がしっかりと根づいているからなのは間違いない。
 よく「お天道様が見ているから」と古くから日本人の自分を律する生き方が言われるが、あれは言い換えれば誰も見ていなければやる、という事になる。
 他の人がそれぞれどういう気持ちでゴミをやたらに捨てないか、綺麗にしているかというのは知らないが、自分の立場で考えると「公共の場で汚すということは、誰かがそれを綺麗にしなければならない」という理由が一番なのである。他人が困ることをやらない、言い換えれば日本人の古くからの規律である「他人に迷惑をかけない」という事とも言える。近隣のどこぞの国では「次の人が困ることをやる」という国民性の所もあるらしい。(その国の人がそう書いていた)

 他人が困らないように行動する、というのは想像力が要る。つまり他人の迷惑を考えられないように見える人というのは、悪意があったりそのような考え方が出来ない人もいるだろうが、多くはそういう想像力が足りない場合が多い。
 かといって、ずっと日本人がそんなに町を清潔にしていたかというと、おそらく転機は東京オリンピックあたりで海外からの観光客が激増した事だろうとは思う。でも江戸時代やそれ以前でも世界的にみても生活の場をできる限り綺麗にしていたのは間違いは無いようで。やはり「お互い様」の気持ちが強いからだろう。

 昨年(2012年)とうとう70歳で引退してしまったが、悪役で名をはせたアブドーラ・ザ・ブッチャー。もちろん悪役はリング上だけの顔。来日の度に保育園や孤児院、老人施設などを慰問していた。ブッチャーのお父さんが子供達に言い聞かせていたことのひとつが「他人がやらなければならない仕事を残すな」であった。

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