手術に挑む友人  (2013.2.10)

 昨年知り合った友人が、突然の体調不良で検査入院になった。本人や彼の同僚からその事だけを聞いたきりその後の状況はわからなかった。
 その彼から久々に連絡が入った。入院したものの原因がわからず、医者も「もしかすると悪性のモノかも知れない」と言う。抗生物質などで治療を繰り返すも効果が無く原因がつかめない。
 転院後にすぐに症状が判明し、手術することになった。どうやら開腹しての手術で回復の見込みが立ったらしい。

 原因がわからず医者からも最悪のケースの可能性も告げられたとき、彼は「残された時間で何ができるか」「もうダメかも」と心が追い込まれた。
 自覚症状があったときに我慢していた事で原因判明を難しくしてしまった部分もあったという。
 そんな経験の無い自分には彼の追い込まれたときの心情や、原因がわからないときの不安感を想像することは難しい。とにかく大変な期間だったんだとしか言えない。

 それでもとにかく原因がわかり手術をして回復を見込めるという見通しがついた。全然病気の内容が違うが、漫画家のはらたいら氏が、原因不明の心身の不調を長期にわたって訴え、それが男の更年期障害であると診断されたときは救われたという。症状が消えたわけではないが、自分がどういう状態なのかがわからない不安の方が大きく、少なくとも病名が付いたということでその不安感が消えたという。「更年期障害」であるということがハッキリしたことで、この先どうなって治っていくのかもわかったわけである。

 友人の話に戻るが、彼はこれから手術に挑む。無事に乗り切ることを祈るばかりである。そして回復した後の人生を生きるとき、彼が余命がないかも知れないと追い込まれていろいろ考えたであろう事柄が、これからの人生での大きな宝になるに違いない。一層大きな人間になることだろう。


その後友人は手術を無事に乗り越え、手術の傷口も小さいらしく、経過も順調とのこと。本当によかった^^。

 

1st kitchen  (2013.2.27)

 駅前のファーストキッチンを良く利用する。朝イチにまったりするにはお客も少なくてちょうど良い。イラストのラフ案を練ったり読書したりに利用するのである。
 なんとこないだまで語感だけで、なんとなく『早いキッチン』と思い込んでた。Fast kitchenと。それで出かけるときに連れ合いに「素早い台所に行ってくる」と言ったりしていた。連れ合いも何も気づいてはいない。
 ある日もそう言いかけて「あ!」と思ったのだ「1st」の店のロゴが目に浮かんだのだ。意味も何も考えないでただ語感だけで思い込んでいたのだった^^;

 そういえば昔は『早い鶏』と思い込んでたぞ(^^;; そらチキンやろ!

 

成功の法則?  (2013.3.20)

 夜、何気にNHKラジオを聞いていたら、学校でクリエイターを育てている人が面白いことを言っていた。

 「○○をすれば必ず成功する」の類いの本が溢れているが、ああいう本は元気になるために読むモノであって、内容そのものを信じてはいけないという。
 なぜならば、そういう本を出している出版社や編集者等の関係者が成功して億万長者になったという例はない。一冊の本を出すためには、著者と編集者は綿密に内容を掌握して本を作り上げ、成功本だったら成功のためのノウハウを知り尽くしているはずなのだ。
 それでも本に書かれているような成功を著者も編集者も実現していないと言うことは、成功するという現象は法則化が不可能だと言うことなのだ。と

なるほど^^

 

部屋でセミが脱皮!?  (2013.10.26)

1ヶ月前、部屋の中にツクツクボウシがとまっていたので、いつどこから入ったんだ?と不思議だった。
何十年かぶりにセミをつかんで、短い夏へと解き放った。

そして先週、何気に部屋の鉢植えを見ていたら、、、「!」
鉢植えの枝にツクツクボウシの抜け殻がある!!
「え~~!!!!」
とビックラでした。

子供の頃は庭にセミの抜け殻があるのなんて珍しくも何ともなかった。
最近でも数は少ないけど、表で見たら「久しぶり^^」くらいだったでしょう。
でも部屋の中の植木鉢である。

この鉢植えはその1ヶ月くらい前に買ったものなのだが、そうすると奇跡的に土中で無事に過ごしていたことになるのか。
買ったときは店内に常設されていたので、たまたま店外に出したときに産卵したのか、はたまた偶然幼虫が混じった土を使ったのか???

セミは土中で七年、成虫で1ヶ月と習った気がするが、調べたらアブラゼミで幼虫の期間は6年、ツクツクボウシは1年くらいなのだそうだ。

ん~、もしかしたら脱皮の時を見れたかもしれなかったんだなぁ・・・

 

出来過ぎた偶然  (2013.11.27)

 昨年末「住友大阪セメント株式会社」様の「採用案内パンフレット」用にイラストを描かせていただきました。

 その翌年である昨日から開催している個展初日のこと。夕方遅く、10年以上足を運んでくれている方が見えた。その後一人の会社員の方が入ってきた。その方はある水彩画の前で止まった。じっくり絵とタイトルを見比べていた。そして近くのテーブルにおいてある作品サンプル冊子のプロフィール欄を見て、また絵に戻って見入っていた。それは住友大阪セメント様に描いたイラストだった。
 よほどその絵が気に入ったのかと思い「これに使われたイラストなんですよ^^」とパンフレットを見せた。その方は驚いた顔をして
「あなたがいとうさんですか?」と言う。(サンプル集のプロフィールで名前は確認したようだ)
「??はい」
「これはいとうさんが作ったんですか?」とパンフレットを見た。
「いえ、これはこの会社の採用案内パンフレットで、僕はそのイラストを描いただけです」と答えると、不思議そうな顔をした。
???
「わたし、住友大阪セメントの者なんです」という。
「え?」??? 展開が理解できない自分^^

 話を聞くと、その方は別の作家の展示会を見に来たつもりだったらしい。そのギャラリーではその作家の展示会は予定されてもおらず、完全にギャラリーを勘違いしてやってきてしまったのだ。
 で、せっかく来たので見ていたら、一枚の水彩画に目がとまり、それを気に入った。ところがタイトルを見ると「住友大阪セメントの採用面接パンフレット用イラスト」と書いてある。「え??」と驚いたのである。その方はその会社の社員なのだった。パンフレットを作ったのは人事部で、その方は全く違う部所、と言うよりも会社の健康保険組合の方なので、ほとんど仕事は別なのである。
 あまりの偶然にどちらも驚いた。ほとんど三流コメディのような筋書きなので、知人の方は奥で絵を見ながらクスクスと笑っていた^^;
 会社は四ッ谷にあるとのことで、ギャラリーにも遠くはないのである。大阪の会社かと思っていたら、住友セメントと大阪セメントが一つになって「住友大阪セメント」になったのであって、会社は東京の四ッ谷なのであった。

 例のイラストを納品した後、見本としてパンフレットは二部もらっていた。なので「良かったらこれ持って行きますか?」と渡した。「なんかこちらからそちらへ渡すのも変ですけどね^^;」。知人の方は聞きながらずっとウケていた^^;

 せっかくのご縁ですのでと、名刺交換をし「これからもよろしくお願いいたします。」となった^^
 「いつまで(この個展は)やってるんですか?」とDMを持って行ったので、最終日までに別の社員の方を連れてきそうな感じが。

 

ノーベル芸術賞  (2014.12.5)

ノーベル賞の理系には結構強い日本ではあるが、意外なことにノーベル賞には数学部門がない。これはノーベルの恋敵が数学者だったために腹いせに数学部門を設けなかったという話が有名であるが、真偽のほどは不明だったり。
 その代わり、数学のノーベル賞と言われる「フィールズ賞」では何人もの日本人が受賞している。数学者の藤原正彦氏の考察によると、数学に秀でた人材が育成されるには、その環境に美しい自然が必要なのだとか。優れた数学者が育った環境を観ると、ほぼ例外なくそのような環境があったと。
 よく勘違いされるが数学とは計算の学問ではなく「考え方」の学問であり、哲学にも通じる。豊かな思考力が育つにはその環境も重要なのだというのは理解できる。優れた理数系の学者が優れたエッセイストや詩人でもある場合が多いのも納得できる。

 さてそのノーベル賞には文学賞があるが、絵や音楽の賞は存在しない。ノーベル賞自体はノーベルの遺言によって始まったモノなので、ノーベルがそういう分野を考えに入れなかったということなのであるが。
 文学賞では毎度のごとく、受賞するべき人が受賞できないとか「なんであの作品?」という感想が多かったりする。絵や音楽の賞があったら当然同じかそれ以上の議論を巻き起こすのは容易に想像できるなぁ。文学も同じだと思うが、たとえば絵にしても、明確にどのような絵を選ぶのかという基準がなければ選考が難しいでしょう。世界に世の中に良い影響を与えた絵、という基準になるのかどうかわからないが、科学系の賞のように明確にその好影響が認められると判断するのか。文学賞の場合は、あまり大衆性が高いのは受賞できないと聞いたこともある。読みづらかったり、読んだ人は少ないんじゃないの?と感じるものが受賞してるのはそんなことか?^^
 各部門でもノーベル賞以上に権威のある、意味のある賞があるので一概には言えないが、絵や音楽の部門があったらいったいどうなっていたのだろうなぁ、とふと考えてみたりする^^

 

木造建築の技術の退化  (2014.12.28)

 待ちかねた、量子物理学のD・ドイッチュの本を読み始めた。内容を非常に楽しみにしていたのだけど、序章に当たるところで「ちょと違うぞ」と思う文章が。

「昔の建築の親方に建造できた物は何であれ、現代の同業者にはもっとうまく、もっと少ない人力で建造できる。彼らは、昔の親方が夢想だにしなかった摩天楼や宇宙ステーションのようなものさえ建造できる。」
D・ドイッチュ「世界の究極理論は存在するか」

 鉄筋コンクリートのような「計算」で設計できるものとは違い、木造建築の場合は退化しているのである。現存する世界最古の法隆寺が千年前の建造であることはよく知られているが、ただ建ち続けているのではなく、定期的な補修(部分補修や解体補修)で長らえている。わかっている範囲では、法隆寺などが建てたれた飛鳥時代が日本の木造技術の頂点で、それ以降は退化し続けている。単純に「建築技術」だけの問題ではなく、材料である木を理解してその性質を生かした扱い方を忘れて行っているのである。
 法隆寺の最後の棟梁といわれた宮大工の西岡常一氏は、飛鳥の古人が残した建築物を補修するときに、実物に触れてその技術や考え方を勉強しているのであって、いくら学んでもなかなか現代の大工はそれに追いつくことができない、と言っていた。

 自分は工学部の建築学科卒なのだが、少なくとも自分は大学で「木」については教わっていない。ヒノキや松、その他の木の“材料”としての性質は学ぶのだが、それはヒノキはヒノキでしかない。ヒノキの「木材」としての概論やヤング率その他の数値を勉強するぐらいのものであった。なので、木造建築の設計図を引くときでも「直径~~のヒノキ」でしかない。

 後年イラストレーターになった後に木工工作も始め、素材を選ぶときに同じヒノキでも、一つ一つ選んで目的に適う状態(木目など)の物を使いたい場所によって選ぶので、木について意識し始めた。同じ種類の木材でもどこのものなのか(国や地域、気候など)、山のどの場所にどの向き(北面か南面か等)に生えていたものなのかでその性格が違うのである。
 飛鳥の工人はそういうものをちゃんと理解して、材木になった後の木が力を発揮できるように加工、配置したのである。その考えや知恵は時代とともに失われている。
 おそらく「ノコギリ」の発明が退化の引き金になったのではないかと思う。
ノコギリは、一つ一つの木の性質を無視して強引に好みの形状にすることができるからである。それ以前は板を作るのでも木を割って、のみで削って板にしていったのである。木目や癖に逆らわずに素材にしていたので、その材木は特徴を発揮して良い木造建築の素材となったのである。飛鳥の工人は大工の一人一人が、統括する棟梁と同じくらいのそのような力量を持っていたと思われる。現在の状態はといえば、、、、、。

 

コマルハナバチ  (2015.5.29)

前にもブログに書いたのだが、小学校以来久々にコマルハナバチを見た。おととしの6月に庭で数十年ぶりに発見したのである。小学校の頃は珍しくもなんともないその辺に普通にいたハチだった。
 うちの庭にも普通にいたし、町のどこでも普通に見かけた。簡単に捕まるので友達と良く捕まえて遊んでいたもんである。

 さて、このコマルハナバチの正式名をずっと知らなかった。庭で撮ったこの写真をアップしてSNSで聞いてみて「コマルハナバチ」だとわかった。小学校の頃は「あいぼう」と呼んでいたので、その名前しか知らなかったのである。何故に「あいぼう」なのかは全く不明。ネットで調べてみてもそんな記述はまったく見当たらない。

 愛称の由来を確かめるのはあきらめていたのだが、ふと本日思いついて検索してみたら「あいぼう」と呼んでいたという記述を見つけた! それもほぼ同世代で同じ下北沢に住んでいたと言う人が、コマルハナバチについてのブログへのコメントに子供の頃に「あいぼう」と呼んでいた、というのがあった。
 一般的には「ライポン」と呼ばれているケースが多いらしい。ただこれもなぜそう呼んでいるのかは不明の模様。同じ世田谷区内では「あいぼ」と呼んでいたという記述も見つけた。「あいぼ」が伸びて「あいぼう」になったのかもしれないが、いずれにしろ語源はまったく不明。もしかしたら「ライポン」を「あいぼう」と聞き間違えてたのかなぁ、と思ったのでちょっと嬉しかったり^^
 他の地区でも「あいぼう」と呼んでいたとか、愛称のルーツを知っている方はいないだろうか??

 

銀行員の制服、私服  (2016.1.18)

 母上が亡くなってもうすぐ一年。様々な手続きがよ~~やっと終わったと思っていたのに、銀行口座を閉じる手続きにまたあれこれ書類やら手続きがいる・・・
ま、それはきちんとした確認が必要なのだからしょうが無い。

 銀行では何年前からか案内係以外の女性行員がラフな服装になっている。始めてその光景を見たときは一瞬「バイト???」と思ってしまった^^;;
 経費削減やお堅いイメージ払拭のためらしいが、制服の方が安心感があるという声が多くて、制服復活になる銀行が多いとか。自分が使っている銀行はまだ私服だが。

 そういう点についてググっていたら、制服復活は女性差別だ!という声も。男のスーツは制服では無いので、女にだけ制服を強要するものだと。
 なるほど、そういうとらえ方も出来るのかと思ったが、少なくともラフな服装はやめた方が良いと個人的には思う。公平を期すなら男も制服にしても良いし、女性は個々自由なスーツでも良い。ラフな服装で窓口や奥で仕事をしてる姿を見ると、どうしても信用商売をやっているイメージとはズレるのは否めない。手続きを待っている間も「大丈夫なのかな?」と不安に見えてしまうケースが多いので。

 さっきも口座を閉じる手続きを聞きに窓口へ行ったとき、若い男性行員が細かな点を確認するのに、奥のラフな服装の女性行員のところへいき、かなり長い時間かかって相談をしていた。それほど手間のかかる確認では無いと思ったのに、延々と数人で話しているので「おいおい、ホントに大丈夫なのか?わかってるのか?」という印象を持ってしまう。
 もちろん服装は能力とは関係ないのだけど、それなりの商売なのだからそれなりのTPOをふまえて、良いイメージ作りは接客の仕方で考えた方が。。

 

なんで押したんだよぉ・・  (2017.2.28)

 新宿の東急ハンズで、7階からエレベーターで1階に降りた。
乗っているのは自分一人。

6階で小さな女の子と、赤ちゃんを乗せた乳母車を押すお母さんが乗ってきた。
乗って来た母娘の小さな女の子が、1階ボタンを押そうとしたら、当然もう点灯している。
ボタンを押したくて勢い込んで乗ってきたのでさらに押そうとする女の子をお母さんが制する

「もう押してあるんだから押しちゃダメ」
「誰が押したの~??」
「最初に押した人よ。もう押しちゃダメよ」
と言われた女の子が恨めしそうにこちらを睨んだ(≧∀≦)

雑記帳82< エッセイメニュー >雑記帳84