2001年から2010年まで9年弱に渡って母上を介護して、その後5年狭山の介護病院でお世話になりました。

母上のショートステイ 2/3  2009.10.8

 というわけで、いよいよ初めてショートステイを利用することと相成った。うちは過去にデイホームの利用を二度挫折しているのだが、やはり間際になってショートステイの利用を本人が急に拒否するケースもあるようで、ケアマネジャーもかなり慎重に計画を進めてくれた。おまけにこちらは介護を始めてから8年、初めて休める日を作れるかどうかの大作戦なのである。
 毎日の「入院」という刷り込みはうまくいっていて、医療関係は信用しているのか観念しているのか「行かない」とはほとんど言わない。言ったとしても強い意志ではない。

 利用するためには、契約が必要になる。そのために前週に責任者が来て契約を取り交わした。そして簡単に本人の様子を観察。当日はケアマネジャーも月一回の定期訪問として来ていたので、というよりも契約日に合わせたので、母本人はショートステイの責任者が様子を見に来ても、訪問者がごっちゃになって、特に不審には思っていない様子。
 正直言うと、前週に契約に来てあれこれ必要なモノを教えてくれるのは、ちょっと遅すぎると思ったのだった。金曜に来て、実際に利用するのは翌火曜からだったのだが、あれも必要これも必要、こんな事も準備しなくてはいけない、となったらそんな時間はなさ過ぎる。幸いある程度予想をして買うものを買ったり準備していたので、慌てはしなかったが。

 そしていよいよ当日。いつもは14時までのヘルパーさんはその日は13時半までとし、14時に施設に向かった。車イスを押して行ける割合近い場所なのだ。1kmもないのでタクシーに乗るまでもないし、その近くのスーパーにはよく連れて行っているし。ただ荷物が多かったのがしんどかったくらいで。
 ショートステイを利用している家族は知っていると思うが、どこも満員で希望しても数ヶ月待ちというところが多い。今回うちが利用したのは通常のとは違い、独立民営型なのでそれほど予約が困難ではない。利用料金が通常の倍で高いからである。そのかわり施設や応対はとても良い。高いけど自分がやっと休めるのなら、その方が良い。
 自分は事前に見学しているが、とても中は綺麗で居心地は良い。食事も良さそう。今回は「入院」と思わせているので、職員も皆それを心得ている。でも、常駐している看護師さんが「見学にはいらっしゃったんですか?」と母に挨拶のつもりで聞いた。「いいえ、初めてです」ともちろん母は答える。「入院なので、事前に見学に来るはずは無いんです^^;;」と看護師に耳打ちすると「そうでした^^;;」と苦笑した。

 デイサービスに連れ出すときは、毎回拉致同然のやりとりだったのが嘘のように、今回は恐ろしくスムーズに出発もでき、「明後日の朝迎えに来るから」と言うと「ハイハイ」とそれほどの不安感も見せていなかった。
 そして晴れて母を預けて自由の身になって施設を出たのだった。

 その日は日帰りで行こうにも時間がかかって行けなかった、久々に訪れたい所へ行った。いつもは帰る時間を気にして、帰ったときに今日はどんな認知症の状態なのかを気にしないで過ごせるのは何十年ぶりだろう?という感覚だった。正直な感覚では多少の罪悪感はある。どんなきれい事を言っても、デイサービスやショートステイに預けるのは、自分が休んだり自由になるための厄介払いの面が大きいのだ。本人はそんなことは微塵も知らないのだから、そういう罪悪感的な感情もあるが。でも離れて休まないことには自分が壊れてしまうのだから、必要なことなのである。良い介護をするのに一番大事なのは自分自身を守る事だと、この8年の間に悟った。

 利用したのは、間の一日がメインの入院という説得で、二泊三日になる。チェックインが初日の14時からで、チェックアウトが最終日の10時から正午まで。
 自由になった二度の夜は、二度とも久々に友人と飲みに行ったりもした。お酒はそこそこ強いつもりだが、やはり飲み慣れないと結構きたりするだろうと思っていた。しかもビールはもちろん、泡盛の原液も飲んだりしていたので少々心配したけど、全然なんてこともなかった。お酒は水割りにするのは嫌いで、どうしても濃いときは、原液の後に水を飲む。沖縄料理店のオバアに教えてもらった飲み方だが、この方がその酒本来の旨さがわかる。量をたくさん飲まなければ40~50度のお酒でも平気だけど、妙に濃く感じるときは原液を飲んだ直後に水かウーロン茶などを飲むのだ。
 結局休みの間少々ハードに動き回った分、身体的には疲労はいつもよりあったかも知れないが、精神的にはかなりリフレッシュされ、二泊三日以上母と離れていられたような感じがした。

 最終日の11時、施設に迎えに行って久々に見た母は、不安そうな顔色はなく「ああ、迎えに来てくれたのね」という顔をしていた。いつも家ではコーヒー牛乳を好んで飲んでいるのを伝えていたので、ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをもらって飲んでいた。入院と言う事で納得していたのか観念していたのか「家に帰りたい」とは一言も言わなかったらしい。ただ最終日に「11時に息子さんが迎えに来ますよ」と言われたときに初めて「早く家に帰りたい」と言ったらしい。

 利用したのは月~水だった。いつもヘルパーさんには月、水、土に来てもらっているが、水曜は慌ただしいのでお休みにしてもらった。本当は、帰ってくる頃に来てもらいたかったのだが、それだと母上が「入院」からの帰宅、すぐにヘルパーさんとのやりとり、などで気分が忙しくなり気分を害すると、今回の「企画」が最後で水の泡になりかねない。
 とにかく今回は、最初から最後まで不快感を感じることなく、二泊三日の入院は何でもなかったと好印象を与えて、次回からも行きやすくしたかったのだった。

 ケアマネジャーからの連絡では、母はショートステイの施設では何の問題(他人に迷惑をかけたり、利用する上で不都合がある)もなかったので、次回からも利用に問題が無く、半年先までの予約が可能になった。というわけで、毎月月末あたりに利用することにした。母上の方も、何となく毎月行くことを了解しているようである。
 そういや、帰ってきたときは「食事はそれほどおいしくなかった」と言っていた。現物は見ていないが、メニューを見ると結構良いモノが出ているはずなのだが、家では母の好物を中心に作っていて、それに慣れきっているからかもしれない。ところがそう言っていた数時間後には「食事の後はいつもデザートが出ておいしかったんだよ」などと言っていたので、それなりに気に入ってたのか?^^;
 帰りに職員の女性とも「また○○しましょう」などと言っていたので、それなりに快適にすごしたのだろう。結果的に自分にとっても母にとっても良かったようである。

 そういえばその一週間ほど前、利用に必要なサンダルやお泊まりセットなどを買っているときに、例の認知症外来の病院の病棟責任者から電話があった。「入院待ち」に入れてあったけど、母が入院できる順番になったという連絡である。実に偶然な象徴的な連絡だった。もちろん入院は見送ると告げた。そんなことはないとは思うが、もしあそこにあんなごちゃ混ぜにしている病棟に入院させたら、どんな酷い精神状態で戻ってくるのかと危惧していた。むしろ今回のような施設の方が、ほどよい刺激にもなってうちにいるよりも動く機会が多い(散歩や体操などなど)ので、その方がよいような。
 利用後は、その直前よりも余裕を持って母の認知症に対する事ができている気がした。まぁ、数日もしたらまた同じような感じになったが^^;; それでもいままでは何年もずっと無かった休みが、毎月あると思うと、それに対する楽しみみたいなモノもでき、久々に介護関係でうまくいった一連の計画なのだった。

 ケアマネジャーとも話したのだが、うまくいけばデイホームの利用にもつなげられると。ショートステイではデイサービスほどではないが、簡単なレクリエーションがあり、それにはなるべく参加させるようにしてもらった。そういうのに慣れて楽しむようになったら、デイホームへも行けるようになるかも知れないと。普通は、デイホーム利用が先で、ショートステイがその次の段階なのだが。
 ちなみに、日中は私服で過ごしてそんなレクリエーション的な事があり、特に医者が診察するわけではないので、入院ということに疑問を抱きそうなものだけど「症状の軽い人用の入院施設」と刷り込んであり、看護師さんが朝晩血圧を測りに来たりするので、充分入院の雰囲気は感じられたと思うのだった^^;


母上のショートステイ 3/3  2009.10.20

 というわけで(どういうわけだ?)、毎月最終週にショートステイを利用することになり、もうすぐ二度目である。やはり「医者様」の命令ということにしてあるからか、拒否感というモノを示さない。

 1回目の前回、やはり精神的にはかなりなリフレッシュになり、母親に対する接し方に余裕ができたように感じた。でもそれも数日程度のことだった。またすぐに元に戻った。いや、以前より母に対して我慢ができなくなる場面が明らかに増えた。
 以前に書いたが、自分は心療内科で抗不安剤を処方してもらっている。精神安定剤とはどこが違うのかよく知らないが、身体の緊張をほぐすことで精神的な緊張もほぐす作用の薬である。で、その薬で緊張感がゆるむせいかどうかはわからないが、以前なら我慢していた事も、声を荒げて怒ってしまうことが増えた。「ぼけ」や「死」に関することを母上に言うのは絶対にタブーだと思っていたけど、一度言ってしまうと、困ったことにその後は腹が立つ度に言う事が多い。「死」に関してはただ「死ね!」等と言うわけではない。なにかでさんざんぐずった末に「もう死んでしまいたいね」と母が言った日にゃ「だったらかまわないから死んでしまえ!」と怒鳴ったりしてしまうのだ。だからといって、それを引きずっているわけではなく、時間が経ったり日が変わると先方は忘れているが^^;。
 認知症者を相手に「もう惚けてるんだから」と言ってみたところで、そもそもが言うべきではないし、いくらか惚けていることを自覚している本人にとっては悲しみを深くするだけである。でも、我慢できずに言ってしまうこともある。その頻度が増えてきて、なんだか自分が壊れて行ってるのではないか、という思いもあったり。

 心療内科の医師は、人間なのだから腹が立って言ってしまうのはしょうがない事もある。でも、憎しみを込めて言っているのでなければ大丈夫です。と言っていた。でも、本当に憎しみを込めていないかどうかは自信はない。正直もう勘弁してくれという気持ちもあるし、母から感謝のかけらもない態度を示されると、それに対しては激しく怒る。その場合は、8年も自分の時間と心身を犠牲にして世話していた事に対して、見返りを求めるつもりはなくても、「ふざけるな!」という思いになるのだが、それはまぁ憎しみとは違うのだろうけど。

 このHPではなるべく深刻なことは載せたくなかったのは、脳天気なHPでありたかったからである。なので以下のようなことは今まで書いたことはなかったと思う。(最近は言われたことはないが)「大変ねえ、でも長生きして欲しいでしょう?」と言われることが以前はあった。正直言って冗談じゃない!なのである。長く介護を経験した人は同感してもらえると思う。こう書くと人間性を疑う人もいるかも知れないが、今一番望むのは、一日も早く穏やかに逝って欲しいのである。穏やかにと言うのは、認知症が酷くなって凶暴さが出てきたりする前に、まだ普通に近く、自分自身や家族を認識できるうちに、と言う意味と、病院で管につながれたりむやみな延命をされずに自宅でポックリと自然に逝かせてあげたいという意味がある。
 それになにより、一人で介護をしている人の最大の不安というのは「いつまで続くのか・・・」というのがあるのだが、いつ自分が殺めてしまうかもしれない、という恐怖もあるのである。介護殺人のニュースを見る度に、他人事ではないと感じるのはそういうことなのである。だからそうなる前に逝って欲しい、という思いが出てくる。
 二人以上の家族で介護をしている場合は、まだその辺は余裕があると思う。でも肉親も親身に協力してくれずに一人で抱え込んでしまうと、実に怖いのである。通常「抱え込む」というのは、介護事業所などのサービスも何も利用せず、全く一人でやっている場合を言うが。うちはできる限り利用できるモノは利用しているから抱え込んでいるわけではないが、介護家族として一人で接しているという意味で書いている。
 おそらく周りの人には、介護が大変でもそんなに精神的に追い詰められているようには見えないと思うのだけど、一歩間違ったら、手元にある凶器(母の杖や棒状のモノ等)でやってしまったかもしれない、といういわゆる「キレ」かかったことは数え切れないのである。そのときでもやらないまでも、怒鳴られている母は、なぜそんなに怒られなければならないのかわからないし、責められて悲しみが増すだけでかわいそうではあるのだが。つまり認知症患者への対し方としては自分のやり方は明らかに間違っている。それはわかっているのだけど、毎日一人で対応しているとおおらかにやり過ごす精神的余裕がどんどんなくなっていくのを感じているのである。
 それでも事件にならずにすんでいるのは、自分が我慢強くがんばっているというよりは、ヘルパーさんなどを利用してどんどん表に出て、交流できる友人知人や親身に対応してくれるケアマネさん等に恵まれ、家事が苦にならないからなのか^^;
 どうなろうとそれは母の人生。自分は自分の人生がある、と割り切っているからもあるかも。

 イラストの仕事自体も、ほとんどまともな量を請けられないのだけど、先ほど、さんざん母親のおかしな行動を正そうと怒鳴り悪態をつき、脳がキンキンになりながら、今夜やろうと思っていたイラスト仕事の下書きを始めると、完全に平静になってそちらに集中しているのは、我ながらスゴイと感心したり。(ま、仕事でなくオリジナルで好きに描く絵なら、やる気にはならなかっただろうけど。)その点だけは自分はプロフェッショナルになれているのだなと実感する。腕はまだまだでも^^;

 繰り返すが、そこで母親のおかしな行動を注意して正そうとするのも、対し方としては間違っているのである。本人はその行動が正しいと思っているのだから、こちらが正そうとしても妨害されているとしか受け取らない。事実「何であんたはそうやって妨害するの」と憤慨して泣いていた。対し方が間違っているのはわかっているけど、それを受け流す余裕が今の自分には無く、腹が立つ一方だからそうなってしまうのだが。
 だからといって、ぞんざいに世話をしているわけではなく、かなり親身に世話を焼いているつもりではある。もちろん、本人ができる範囲のことは頼まれてもやらず、自分でやらせるが。

 以前心療内科の先生が、介護ストレスの場合カウンセリングは意味がないことが多いから、介護家族の会みたいなところで、同じ悩みや苦しみを分かち合える「会」に行った方が良いと言っていた。なのでいくつか探してみたが、どこもかしこも自分が家に帰らなければならない時間以降にしかやっていない。どうもそういう会は、デイサービスなどに預けている間に集まるかららしい。行った経験が無いからわからないけど、そういうところで、同じ境遇の人たちと愚痴をこぼし合うと、そうとうストレスは和らぐのだろうなぁ。本などではやはり一方通行だから、ふ~ん、そうなんだ、程度にしかならないし。


『ヘルプマン』  2009.11.13

 先日、新聞の記事関連で「ヘルプマン」(くさか里樹著)というコミックを知った。介護をテーマにした漫画である。
 世が世なのだから、介護を題材にしたドラマを作るべきだ、という話は聞いていたが、先に漫画で出ていたのだった。
 読んでみて、8年ほど母親を一人で介護してきた自分でも目から鱗な部分が多かった。
 著者は介護の経験は無く、地道な取材と勉強で連載を続けたのだから、かなり頭が下がる。また、経験が無いからこそ客観的に冷静に、当事者が見えなくなっている部分を描き出すことも出来ているのかも知れない。現場関係者ならもうあきらめてしまっている理想を描けているのも、それがかえって良かったのかも知れない。

 「ヘルプマン」と言っても、ヘルパーさんだけに焦点をあてているのではなく、介護全般の職務を担う人たちを描いている。主人公は高校を中退して介護現場に飛び込んだ落ちこぼれ(?)青年なのだが「介護は楽しい」が決めぜりふ。これだけを聞いたら、介護でヒィヒィ言っている人たちは激怒しそうだが、是非読んで欲しいコミックである。城戸真亜子も「介護はたのしい」と本に書いていたような。
 介護家族はもちろん、被介護者本人、また介護現場で働く人たちの苦悩や喜びなどを本当に良く描いている漫画だと思う。もちろん「おはなし」であるから、現実とはかけ離れている部分はある。現実の仕事をしているケアマネに聞いても「あくまで理想で、あんな事出来ない」という部分は多い。これは現場を知らなくても理想論だと思う部分は読んでいてわかる。
 でも、それを言い出したら、ほとんどの小説やお話の類は、その現実を知る人から見たら「そんなことあるわけねえ」となるだろうし、そうでなければ創作作品として成り立たないでしょう。刑事ドラマはほとんど破綻してるだろうし。
 また、現在の酷い介護制度をまともな方向に持って行くには理想を持つ必要があるから、実現不可能な理想論を描いても良いのではないかと。

 11月3日から一週間の個展をやっていたのだが、直前にアマゾンで既刊分を全冊注文し、展示会中の暇な時間などに読んでいた。かなり考えさせられた。我が家の介護とはかなり違うケースが多かったりもするが、見方や考え方で目から鱗の部分が多かったのである。当たり前の正論ばかりが書いてあるテキストよりも、よほど介護の勉強には役に立つのでは?と思ったほどで。

 自分は最近の雑記でも書いているように、長い介護に精神的に疲れてきている。でも、この「ヘルプマン」を読んで、考えさせられたり、元気づけられたり、また反省させられたりした部分が多かった。
 最近の自分はちょっと被害妄想が入りすぎていたのではないか?とも思ったり。妄想では言い過ぎだから「被害者意識」と言うべきか。介護当初は、自分は親を介護することになって、いろいろな自分の自由が無くなったり制限が出来たりしても犠牲になっているという意識はなかった。親の方も好きで被介護者になったわけではないし、やらなければならない事なので被害者意識を持っていなかった。そもそも持つ余裕も無かったと言うべきか。そんなことに頭が働いて悩んでいるのは、まだ余裕があるからで、ネガティブな思考に覆われるよりも先に、やらねばならないことばかりだったのだった。
 どこの家庭でも、肉親であっても一緒に住んでいないと介護の現実はなかなか実感として理解できないモノなのだが、嫁いだ姉も母が脳梗塞で倒れて入院した当初、病院で「どうしてこんなことになったの?」としきりに聞いてきた。心配して嘆いているのはわかるが、母と一緒に住んでいるこちらは、犯罪が行われたのではないから、起きてしまった原因を考えている余裕はなかったのである。これから先は介護が必要なのはわかっていたから「どうしてこうなったか?」よりも「これからどうすればよいのか?」を考える事の方が120%大事なことだったのである。

 さて、ここ何年かは介護家族の大変さが広く認知されるようになり、自分も精神的に疲れてきたのは事実でも、周囲も大変さを理解してくれ、ネガティブな精神状態になるのはしょうがないよ、と認めてくれるから、さらに自分もそれに乗ってしまっていた部分もあるような気もする。母親は認知症なのだが、その認知症についてはいろいろ調べたり勉強したつもりでも、まだまだ本人に沿った理解をしていたわけではなかったし、少々自分本位の疲ればかりを言い過ぎていたような。
 自分がやってきたことで正しかったのは、生真面目に介護してこなかったこと。つまり出来るだけ介護事業所などを利用して、なるべく自分の負担を抑えようと当初からやってきたことかと。その頃の介護読本みたいなものには、なるべく利用できるモノは利用して、介護家族はくれぐれも無理をしないこと、という事が書かれていたのだ。今の改悪された介護制度はその逆で、介護家族の事なんか知りませんよ、なのだ。なるべく認知症などにはならないようにという予防部分には力を入れているように見えるが、なってしまったらもう死んでくださいと言っているに等しい制度に成り下がっている。

 介護というのはどういうモノなのか、日本の介護制度はどれほどの問題のあるものなのか、認知症の人に対する理解はどうなのか、寝たきり老人はもう抜け殻なのか、などなど、偏見を無くしたり理解をするためにも、まだ介護は他人事で済んでいる人にも是非読んで欲しい本である。自分もいつの間にか母親の認知症の中身を理解するよりも「認知症患者」というレッテルを貼った対応になってたんじゃないかなぁ、と考えさせられたり。
 しかしドラマ化は難しいんじゃないかなぁ?介護では排泄はかなり重要なテーマだけど、それを綺麗に隠してしまっては、本質を外したドラマにしかならないと思うし。ま、少なくともまたジャニタレを使うためのドラマにはしないで欲しいが。

 ちなみに、母親も時々排泄(大便)で失敗をするのだが、まだかなり自分で処理できていた頃は、見て見ぬふりをしていた。関わろうとしなかったのではなくプライドを保ちたいだろうと思ったからである。そうもいかなくなってからは、こちらが処理をするのだが、不思議にそういうことで腹が立ったとか、嫌だと思ったことがない。もちろん喜んでやっているわけではなく、嫌だと思う以前にいかに早く対応処理するかが問題だからだろうか。トイレに行くのに間に合わなかったり、トイレで座るのに間に合わなかったり、排泄力が弱っているので、出きらないで困っていたりといろいろだが、いかに効率よく掃除をして汚れが広がらないように本人に着替えさせたり風呂場で洗わせたり酷く汚れたモノとそうでも無いものとわけて洗ったりと、テキパキとやっているだけで「またかよ、冗談じゃねえよ」とは意外に思わないのである。慣れたとか感情を押し殺しているというのとは違って、失敗するのは仕方のないことだとこちらも受け入れているし、最近は処理してもらうことを母親も受け入れているフシがある。つい1年前くらいまでなら「こんな事は初めてなんだけどねえ」と本人は嘆いていたのだが(もちろん覚えていないだけで初めてなんかではない)、最近は、言われるままに着替えたり風呂場へ行ったりする。抜け殻のようになって従っているのではなく、世話を任せている感じでである。

 「ヘルプマン」の中でも主人公が語っていることだが、排泄が行われると言う事は、生きている証である、と自分でも無意識に思っていたのかな、と読みながら思ったりもした。だから「出ないよりはまし」という思いもあるから、「またか、しゃーねえな」程度で淡々と後始末と本人が元通りに快適な服装になれるように、事後処理をこなしているという感じもする。
 母親に異変が生じて救急車を呼んで受け入れ病院の手配をして出発の準備をすることと、この排泄の後処理に関しては、我ながらかなり見事な手際かも^^。

 「介護漫画」と書いたが、作者本人は「介護漫画を描いているつもりはないんです。誰もが当たり前に年を取るのだから、誰もが当たり前に介護世帯に手を貸して、介護者はご厚意に甘える。そんな「お互い様的助け合い」を漫画の中では描いていきたいんです。」(くさか氏談)とのこと。
 しかし、これを読んで改めて日本の漫画はすごいと実感した。こういうテーマが漫画として描かれ連載され、広く読まれるなんて言うのは、日本以外にあり得ないのではないか。


 

バリアフリーという流行  2009.11.19

 下北沢には、意外にファミレスは無い。大人数でゆったり入れる店と言ったら、せいぜい餃子の王将くらいのモノである。その王将もランチ時は開店と同時にほぼ満席になる。他の王将に比べても味も値段も良いと思うし、そもそもが競合店が無いのである。大戸屋もあったが、いつの間にか無くなっている。食事屋はたくさんあるにはあるのだが、少人数で入るか、ヤング向けオンリーだったりする。なので、家族連れでゆったり入れる店というのは意外に少ない。要するに、特に南口商店街がバカになってきたのだが、外部から遊びに来る若者に媚びた店ばかりになっているのである。しかもテナントばかりになり、自分的には南口商店街の衰退はそう遠いことではないと思っている。逆に今まで寂れてしまっていた北口の一番街商店街は、なかなかおもしろい商店街になってきている気がする。

 と、別に下北沢商店街の話を書きたかったのではなく、ファミレスなのである。いつの間にか代沢小学校近くにバーミャンができていた。バーミャンは、15年以上前に練馬の印刷会社で専属職人として働いていたときに、その近くにあってよく通った。そのときは店構えや食事内容は大衆的よりもグレードが高い感じなのに、やけにランチが安かった。そこの会社へ行くのをやめて以来、バーミャンともご無沙汰だったが、食券を買う方式のお安いバーミャンも出現していたのには驚いた。下北沢のは普通のファミレスに近い形だが、先日初めて入って見て、なかなか使えそうな店だと感じた。
 で、やはりこの店もそうなのだが、1階部分が駐車場で、階段で2階の店に上がる方式のファミレスが多い。いつも疑問に思うのはなんでエレベーターが無いのだろうと?
 毎月一回母親を三宿病院へ通院させているのだが、病院内にあった食堂は不採算のためかやめてしまい、コンビニになった。病院の近くにはあまり食事のできる店が無く、あっても車イスでの利用は困難な店ばかり。一度病院近くのファミレスへ無理矢理入ったことがある。1階が駐車場で2階が食堂になっているファミレスである。上がるときは何とか車イスごと、一段一段持ち上げることができた。でもやはり降りるときは無理で、たまたま店を出たおじさんが、一緒に車イスを支えて、なんとか降りることができた。
 エレベーター1機つけるスペースは、それほどでもないと思うのだが。そしてそれが付くことによって、車イスを使わない人でも、階段の上り下りがしんどいお客さんも集客できるはずなのだが。でも2階が食堂になっているファミレスで、エレベーターの付いている店を見たことは一度もない。ちなみに敷地が広くて、駐車場も食堂部も1階のファミレスでも、入り口を入るには結構段差が激しいところが多い。
 他人のブログのレスにも書いたのだが、どうも一時期もてはやされたバリアフリーというのは、ただのファッションだったのではないのか?最近バリアフリーという言葉をあまり聞かなくなったのは、それが定着してバリアフリーが当たり前になったからでは無いのは至る所を見ればわかる。車イスや足の不自由な人でも入りたいような食事屋で、1階にあるのにわざわざ見映えをおもしろくするための段差や階段をつけたり、入り口を狭くしたり、健常者しか入るな!的な店が増えてる気がするのだ。
 もちろん、バリアフリー化に努力している店や施設も多いが、一般のお店などではもう過去の流行でしかないような気がする。

介護認定決定  2009.12.14

 「介護認定審査」の続きなのであるが、ようやく結果が出た。今までの要介護度2から3に重くなった。1に軽くされたら、車イスが保健で借りることが出来なくなるので困るのだが、3になっても特にうちではメリットがない。一部、現在利用しているサービスが逆に高くなってしまうので、3になると困る部分もあったり。

 今回の審査は実に丁寧、というか、今までが酷かったのであって「丁寧」と感じるのがおかしいのである。でもやはり認定の基準がさっぱりわからない。
 何度も認定基準が変わっているので単純比較はできないが、母上が退院したときは、家の中でも車イスなしでは歩けず、一人でトイレに行くことも出来なかった。そのときの介護度が3だった。
 その後、家の中は何とか杖と手すりを伝って歩けるようになったが、表は依然として車イスがないと出歩けない。で、そのときの介護度は2になっていた。
 今は、特に何が変わったとは思えないが3に戻った。強いて言えば認知症が進んでいる。ショートステイを利用するようになってから、僕が少し精神的に余裕が出来たのと、施設でのお世話が良いの両方だろうと思うが、少し認知症が落ち着いている。でも前には言わなかったようなおかしな言動も増えては来た。短期記憶も悪化はしている。でも、今の改悪された介護保険では、認知症はほとんど考慮されていないと思ったが。

 基準がよくわからないのはもちろんだけど、もっと大事な問題があった。
 ヘルパーさんに言われてなるほどと思ったのだが、1~2年に一度、無作為に選ばれた認定員が数十分審査しただけで何が分かるというのか、と。
 本気で認定審査をする気があるのなら、本人と家族はもちろん、ヘルパーさんを利用している場合は、そのヘルパーさんたちの意見も聞かないと、本人の状態を正確に把握することなんか出来ないだろうと。もちろん現実的にはそうなると日程調整などが非常に大変なことになる。でも、一堂に会さなくても、別々にインタビューをすることも出来るわけだし、やっぱり審査からして安易なのだな、と改めて思ったり。
 もしかすると、今まで2だったのは、今回のように丁寧に審査しなかったからで本当は3だったのか?と思ったりも。

またまた年越し  2009.12.29

 数年前にも書いたのだが、介護家族にとって年末年始というのはハードな日々なのである。
 うちのばやいは、介護家族と言っても僕一人なので、精神的なしんどさを一人で背負うことになる。前回の年末年始は、休暇期間が非常に長かった。ヘルパーさんの人員自体が不足している上に、ヘルパーさんも当然休暇を取るから派遣してもらえる人員が全くなく、8日間一人で母親を介護せねばならなかった。体力とか物理的な世話はたいしたことはないのだけど、8日間誰一人訪問者もなく、表に連れ出す以外は自分一人が介護人というのは、精神的には相当不安を持った。いつ認知症が悪い状態にふれるかわからないから、それが続いたら自分が耐えられるか自信がなかったのだ。

 しかしこの年末年始はそれに比べたら天国に等しい。まず日程からして休暇期間が短い。おまけに去年は派遣してもらえなかった時期にも(無理もしてもらって)来てくれることになっている。全く自分一人で対応するのは31日~2日の3日間だけである。3日にはマッサージを生業としている友人が、母と同郷ということもあり、そんな話も聞きたいという口実でマッサージやお話相手になりに来てくれるので、ありがたや、なのである。
 この数ヶ月、ショートステイ(二泊三日)にも預けることが出来るようになり、「医者の指示による短期入院」とだました形だったのだけど、良い刺激にもなっているのか、また意外に過ごしやすいのか、そしてこちらも多少精神的に余裕もできたこともあってか、利用を初めて以来母の状態はとても良い。
 自分もケアマネジャーにお勧めの本を教えてもらって、認知症についてちゃんと理解をしようとしている最中なので、それらも含めて自分の対応に余裕があり、それが母にも影響しているのだろう。介護する側の精神状態が悪いと、介護される側にも影響が出るから。
 本にも書いてあり自分でも認識を改めたのだけど、それまではやはり「認知症患者」的な見方で対応していたと思う。良い本を教えてもらったこともあって(自分で探した良い本も含めて)「認知症」という安易なくくりではなく、痴呆を背負いつつある母という、有機的な見方になってきたのかと。
 今でも住んでいるところが、昔から住んでいるところだというのをちゃんと分かっていないのは変わりないが、「早く帰ろう」とか妙に不安がって帰りたがるという状態は、ショートステイを利用して以来は全然無くなった。
 次はデイサービスの利用が出来るようになれば、と思っている。
普通はデイサービスを利用して、その次の段階がショートステイなのだが、そもそもがそういう所へ行く理由がわからない、とにかく行きたくないというのがうちの母なので(知らない人ばかりで爺さん婆さんばかりと)、上手い方法でショートステイを利用できたので、順序は逆になる。

 最近はデイサービスも利用者にどう過ごしてもらうか、の質が良くなっている。ハッキリ言って初めて利用した8年前は酷かった。数年前に二度目のデイ利用挑戦の時は、母が強固に嫌がってこちらが白旗を揚げたのだが、8年前の時はレクリエーションのメニューを見て、これではまだ頭のハッキリしていた母にはかわいそうだと、こちらでやめさせたほどである。それでも頭を絞って一生懸命やっていたであろう職員さんたちには悪いが、痴呆老人を子ども扱いして、おざなりのゲームやお遊戯でお茶を濁している、ハッキリ言ってバカにしているとしか思えなかったのである。

 ある本に書いてあってその通りだと思ったが、レクリエーションやリハビリだと一方的に本人の意志とは関係なく、しかも普通の生活とかけ離れたことをやらせているのは、それも虐待と言って良いのではないかと。
 最近はゆがんだ介護制度の元で、精一杯利用者が本当に本人らしく過ごせる様に考えているところが増えてきたので、それにも期待している。
 以前は自分も、デイに行ってくれればこちらは息抜きが出来る、という意識で、もちろん今もそういう部分もあって当たり前だが、それよりも母が少しでも自分から楽しめる時間が持てるようになれば一石二鳥で、さらに介護するこちらも介護される母にも良いことになるはずだと。
 今、福祉大国と言われるスエーデンの方式や思想が、日本の介護に生かされる試みが進んでいるらしい。机上でろくでもない制度を作り出す厚労省には期待していないが、そういうところから外圧的に、ましな制度になっていくのかも。


 

もう何度目だ? 救急車  2010.1.23

 以前、救急車は呼び慣れていて、用意も段取りよく落ち着いて病院まで行っていると書いた。今回は、とうとうおしまいかな?という感じの救急であった。

 寝ていると、階下でドスン!という、床に固い重いものを落とした大きな音がして目が覚めた。また転んだか、と思いトイレへ行ってみると、入り口から二本の足がまっすぐに出ていて、上半身は中で便器の横に仰向けに倒れている。苦痛を訴える様な表情もなく目が点になっているので、見た瞬間に「あぁ、とうとうダメか」と思って声をかけて起き上がらせた。
 意識はあり、全く1人では立てないのに痛さを訴えない。とにもかくにもベッドまで抱えていく途中で、自分の膝が崩れて母の頭を床に軽く落としてしまった。^^; 最初の音からして、崩れ落ちて転んだと言うよりも、バッタン!と後頭部から倒れたのだろうと察せられた。

 まず自分がとてもトイレに行きたかったので、歯を磨きながらトイレに行き急いで着替えながら119番へ。今回は迷わず119である。その後、毎月脳梗塞入院の後に通院している病院への受け入れ願いの電話をする。こういうときいつも困るのが、話の途中で救急隊員からのキャッチホンがバッティングすることなのだ。頭を強く打って倒れたに違いない、と話しているのに電話に出ている病院の看護師は、大きなダメージが見られなかったら朝まで様子を見ては?なんて悠長なことを言っている。「でももう救急車がこちらへ向かってますから」というと、受け入れを認めた。いつもなら、車内で苦しそうな表情や、「どこへ行くの?」という不安めいたことを言うのに、今回は受け答えはちゃんとしながらも、眠っている感じ。

 病院へ着き、当直の脳外科の担当医がやってきた。ちらっとしか見えなかったけど嫌な予感が。
 しばらくして呼ばれて入ると予感は当たった。あちゃ~~~・・・・こいつか・・・・
 曜日や午前午後の診察外来は数年くらいに一度担当の曜日の変更や、いなくなる先生、新しい先生がやってきたりするのだが、一度だけ見てもらったことがある先生だった。
 患者や家族への説明、診察の様子などから見て「ダメだこいつ」と思っていた先生だった。
 去年、その病院では一番信頼できる脳外科医が担当の曜日に通っていたのだが、それが変わってヘルパーさんが来る日と重なる日に移動されてしまった。代わりに今までの曜日になったのはそのダメだと見切った先生だった。そのため、他の曜日に通院日を変えたのだった。それなのによりよって・・・・。

 で、いろいろ動作をしてもらったり問診をした結果、異常は認められないという。通常なら、医療費を取るためにも余計な検査をするのが普通なのに、頭を強打した可能性があると伝えたのに、脳波もMRIも何も検査はする必要が認められないという。もしご家族がご不安でしたらなにか検査をしますが、という感じで「は?」である。なんだか勉強中の院生に説明を受けているみたいだ。
 なのでそのまま帰って様子を見られて結構です。という。ほとんど眠りこけていて、起き上がれそうもない母をタクシーに乗せて帰れってか?「でもまぁご不安でしたら、朝までとまっていただいて様子を見ましょうか」ということで、それが当たり前だろ思ったり。
 とにかく、何も異常はありませんというので、認知症的な部分も話していつもよりはどうだと告げたのだが、やはり専門外でわからないようだった。脳外科は脳の専門家ではあるけど、認知症は脳の病気というわけではないので分からない医者が多いそうだ。
 「ようするに、ソフトの部分は判断できないけど、機械として見た身体には異常はないと言う事ですね」と皮肉混じりに突っ込むと、押されたように「ん、まぁそうですね」と認めた。

 倒れたのが午前3時。帰ってきたのが4時過ぎだった。なかなかタクシーが捕まらずに困った夜だった。
 他の先生が9時に迎えに来てくださいと言うので行ってみると、車イスの上で顔を両手で支えて寝ている。声をかけると、明らかに平べったい表情をしている。表情がないのではなく、頭をやられて横に間延びしたような顔をしているのだ。意識はうつろながらハッキリはしている。
 夕べの担当医がやってきて「朝までいられたら、かなり良くなったようですよ」というが、こいつは何を見てるんだろ?と呆れてしまった。
 「いつもよりかなり平べったい表情をしている」と看護婦さんに言うと「あ!わかりますわかります」と腑に落ちたように同意した。患者により多く接しているので分かるのだろう。医者は「点」でしか患者を診ないからわからないのか?
 数日前から足が痛くて歩きの動きが悪かったのだが、今日は一層悪い。意識はおかしくはないのだが、寝不足なのか疲れはかなりあるようなので、どこがどう悪いのかは分からない。ただ、今になって背中や腰が酷く痛いと言う。その辺りを打ったのか。ちょっと様子見の段階なのである。

救急車 その2  2010.1.24

 で、連れて帰った日はヘルパーさんが来てくれる日だった。
 介護の始まった最初の時から8年通っていて、頼りになるヘルパーさんなので、安心してとにかく自分は出かけることに。寝不足だけど、出かけていた方が休まると思ったし、やりたいこともあったので。
 ヘルパーさんは11時からだけど、いつもは10時に出かけていた。今回はそうも行かないのでヘルパーさんと入れ替わりにでかけた。状況も説明して。

 帰ってみるとヘルパーさんが深刻な顔をしている。動きがそうとう酷い。今までは入浴は問題なかったのだが、風呂場へ行くことさえ困難で、結局あきらめて身体を拭くだけにしたと。
 目の前のものがちゃんと見えているのかどうかも怪しいと。見えてるけど、見当違いな所を手でつかもうとしているのか、認識が出来ないのか、とにかくおかしいからもう一度検査をしてもらった方が、それも早いほうが良いと。

 というわけで、また同じ病院に電話。土曜日で休診なので救急外来となる。脳外科の担当医は交代しているというのでそこは一安心。
 タクシーで連れて行くと、毎月の担当医であった。やさしく評判も良い先生である。救急車で搬送されたときのカルテを見て、いろいろ検討した結果、CTスキャンと血液検査で見てみるしかないと。検査結果が出るまでついでに点滴を。
 結果はやはり異常なし。多少水分が足りない(水分摂取が足りない)程度だった。「どこがどう悪いという、明確なものがわかれば対処のしようもあるんだけどねえ」という。たとえは悪いが、家電製品の不調で修理に来てもらうと、そんなときに限って正常に動作し、「異常はありませんねえ」と言っているのと同じなんだな、と感じたのだった。それに医者は、看護師や介護士とは違ってその人の一日の行動を見ているわけではなく「点」でしか見ていないから、数値が正常なら異常はないとしか言えないのだろう。

 家に帰ると、やはり行動はかなり鈍重になり、自分が行きたいところにどう身体を動かしてどうやっていけば良いのか分からない様子。
 夜中にはトイレに行かなかったようだが、その分大量に紙おむつに出していた。起きてからも、排尿感はあっても出ているのはよくわからない感じみたい。ベッドの横にポータブルトイレを用意して(介護当初使っていた)、必ずそちらを利用するように言い聞かせて寝かせた。でもおそらく廊下に出て普通のトイレに行こうとするのではないか?という予感はあったのだけど。1人で廊下に出たら、迷子になったり転倒したりするだろうとは思った。でも万が一それで命を落とすことがあっても、部屋から出られなくするよりは良いという思いもあった。まともな判断が出来ない状態ではあるが、自由意志を奪うよりはそれはそれで母上の人生であると思ったから。

 この今回の大転倒を含めて、最近何度も転倒しているのであちこちが痛み、思うように身体が動かない。動作が緩慢だったり、当惑しているのは一時的なのかどうかは分からないが、いよいよ常に誰かが見守っていないといけない状態になってきた。
 と言っても、自分の場合はいつも一緒の部屋で見ているわけではなく、時々階下に様子を見に行くだけだが、今までのように半日1人で家に置いておくわけにはいかなくなってきたのであった。ケアマネさんと、うまくデイサービス利用につなげる作戦を考えていたが、これは強制的にでも利用しないとどうにもならないかな。

救急車 その3  2010.1.24

 大転倒して、考えたらまだこれを書いている時点で48時間経っていないのだが、ずいぶん長い時間が経過している気がする。普段は、単調な介護生活をしているために、恐ろしいスピードで日数が過ぎていくのだが。

 母上が転倒したときは、完全にばったり仰向けで、目や表情を見てこれはもうダメだなと思ったが、意外にも救急搬送先と、その後の再検査でも異常はなく、日常に戻っている。でも明らかに活動は退化している。
 昼ご飯は普通に食べるのだが、夜はいつもよりも食べられなくなった。何をどうすればどうなるのか、自分がしたいことが何で、どうすれば良いのか、の認識力はかなり劣化している。まだ二日目なので、これが一時的なことなのかどうかは分からないのだけど、正直言ってかなり気は滅入ってきてしまった。8年介護しただけでも大変だったのに、この状態かこれ以上悪い状態がずっと続くのか、という悪寒で。

 転倒したときには、どこにも痛みを訴えなかったのだが、今は背中や脇腹等に激しい痛みを訴えている。骨は折れていないようだが、普段から弱ってきた筋肉に激しい打撲が加わっているので、頭の中でどう行動して良いのか分からなくなってきていて、かつ痛くて身体が動かない状態なのである。

 最近ずっと、ケアマネから推薦された本も含めて、本当の認知症を理解する為の本を読んできた。それでかなり分かったつもりになっていたのだけど、やはり頭で分かるのと実際は違うし、そもそも世話をしている介護家族ではどうしても感情的になる部分が多くて、以前同様に怒鳴ったりもするし、正直瞬間的に殺意を抱くことさえある。憎くてというのではなくもういい加減にしてくれ、という感情からである。でもそれはしょうがないと認識はしている。
 夕べは点滴に時間がかかり(途中で腕を曲げていて、詰まっていた)、帰りが遅くなり、夕飯も遅くなった。幸いご飯は炊いてあり、事情を知った近所の友人が王将でおかずを買って差し入れてくれたので、それだけでもかなり助かった。

 介護はやはり多くの人に頼るべきだと思う。決して1人でがんばってはいけないし、自分は最初からがんばらずに、出来るだけ頼れるサービスなどを利用してきた。
 でも本題からそれるが、介護にも地方色があって、福井県などでは嫁が介護をするのが当然で、介護事業所などのサービスを利用すると非難の目で見られる風潮があるらしい。
 やむなく親を施設に入れざるを得ないケースもあるわけだが、そんなときは親戚中から「なぜ家でみないんだ」と責められる事が多いとか。もちろん福井県全体がそんなわけはないだろうけど。
 しかし、介護は経験者しかわからないので、他人の親切心以上の口出しやアドバイスは無用だし、親類や肉親が本当の大変さをわかりもしないくせに、ああしろこうしろというケースはどこでもあることで、そういう場合は口出しせずに経済的援助かしっかりした手助けをするべきだと書いてあって、確かにその通りかと。

母君の症状その後  2010.1.31

 本日は明日からの個展に備えて搬入をして来ますた。展示会に慣れていない人ならおそらく3時間くらいはかかるだろう行程を、家から出て帰ってくるまでで2時間ほどでした。ちなみに小田急線で二つ隣の駅。

 さてさて、以前なら二時間程度なら母を1人で置いておいてもそれほど問題は無かった。でも、最近書き綴っているように、転倒してから認知症が極度(というほどでもないか)に進んで、そうでなくても今回の搬入時間のように15~17時くらいはおかしくなりやすい時間帯なのである。昔から「逢魔が時」とも呼ばれるのはこの時間帯か。完全に夜になってしまえばそうでもないが、夕方の薄暗くなりかけの時間帯や、天気の悪い朝方などは不安心が募るのか、いわゆる問題行動が出やすい。
 前にも書いたかどうか忘れたが、問題行動というのは、介護する側にとって面倒であるという意味での問題行動で、本人がそういう行動をとるのは本人なりの理由がある。

 転倒前は昨年くらいに一度くらいしか無かったのだが、ここ数日は僕が誰であるのかハッキリとわからない事が多い。親戚の子どもだと思っていたり、隣に住む従姉妹だと思っていたり。実際にそう思っているのではなく、誰だか分からないけどよく知っている顔なので自分なりのつじつま合わせなのだと思うが。
 薬も病院から5種類もらっており、朝はそのうちの三種類、夜は五種類全てを飲むのを自分でほぼ管理できていたが、最近は全くそれが出来ない。同じ薬を大量に用意したり「一種類ずつ」という概念が分からなくなっている。食事も食べ方が遅くなり、量も少し減っている。

 ショートステイに行きだした数ヶ月前から「家に帰ろう」症候群は姿を消していたのだが、今は毎日である。「家に帰ろう」と言わないときでも、ここが自分の家だとは分かっていないのだが、帰りたいから連れて行ってと言い出すことはなかった。納得していなくても不安は無かったのだろう。
 転倒後は、いろいろな面で行動がうまく出来なくなり(打撲や骨折で思うように行動できなかったり、酷く足がむくんで歩きづらいなどの不快感のせいもある)、自分の中で葛藤があるのだろう。加えて、以前に増してしつこくなった繰り返し同じ事を聞くことや、帰りたい症候群が以前より激しくなったりして、こちらも体調が少々悪いところへ来て、精神的にも受け止める余裕も無くなっている。

 介護家族側の気持ちに余裕がないと、認知症を背負った側には敏感に伝わって不安感が募り、問題行動につながる(「問題行動」という言い方は介護側の勝手な言い方なのだが)。どちらが先というのは難しく悪循環がほとんどでは。
 昨日は、本当なら邪魔されずに休んでいたいくらい心身がしんどかったところへ、しつこく「早く家へ帰ろう」と何度もごねられ、それまでのように「ここがその家なんだ」と言っても引き下がらないので、こちらもますますイライラしてやけになって「だったら今すぐ出るから用意して。」と表に連れ出すことにした。
 だいたい、介護の教科書的な対応では「今日はもう遅いからここに泊まって明日帰りましょう」とか「じゃ帰りましょうか」と言ってその辺りを散歩してくると、さっきまで言っていたことを忘れて落ち着くというのが常套の対処法になっている。ところがうちの母親にはそんなものは通用しない。
 なにしろ、表から帰ってくると、こちらがとぼけて「家はまだまだ先だ」と通り過ぎようとしても「あんた忘れたのかぃ。ここでしょ」と正しく今の家の門の前で反応する。屋内に入ると、自分の家だとは分からなくなるのだ。で、やっとこちらはヘトヘトになって連れて帰って、少しはおさまるかと思ったら、再び「もうそろそろ帰ろうよ。」の繰り返し。
 夕方で暗くなったから雨戸を全て閉めたのだが、居間の隣の自分の寝室の雨戸がちゃんと閉まっているのか?を一分おきに何十回も2階で休んでいた自分を大声で呼びながら確認する。昨日ほど、本当にもう殴り殺してやりたいと思ったことはなかった。やばいやばい;;;。
 まぁそもそも本当は相手の言い分を否定する対処は間違っているのだが。こんな時はとにかく受け流すのが一番で、決して怒ってはいけないのだ。それは分かっていても、他に誰もその場で変わってくれるものがいなくて逃げ場のない自分には、感情を抑えろと言うのが無理な話で、大声で怒鳴りかえすことになる。
 軍人だったおじいさんには殴って教育され、父親にも良く怒鳴られ、そして今回と三代にわたって怒鳴られ続けている母親はそこで萎縮してしまう。「すみませんねえ、ごめんなさいごめんなさい」と。非常にかわいそうなのだが、それを言われ続けると逆にますます腹が立ってしまうという悪循環。

 先日、ヘルパーさんの来ない日に数時間出かけなければならず、かといって今の状態の母親を1人で長時間おいとくわけにもいかず、幸い時間の都合のついた隣に住む叔母に見守りをお願いした。
 本日の搬入は、叔母の都合がつかず、もう逢魔が時の時間帯でパニクってもしょうがない(表に出てしまうことはないから)、1人でおいて、超特急で搬入をすませてこようと思っていた。でも近所にいる友人がいつもは仕事をしている時間帯だけど、たまたま今日は空いているというので、その間母の相手をしてもらっていた。
 出かける前は、最近続いている不安感だらけの表情だったのが、人に対するのも上手いというか心のこもった相手をする友人だったので、帰ってみると楽しげにしていた。自分も、その友人なら大丈夫だと安心して出かけて、気持ちも落ち着いて帰ってきたので、母も僕もどちらも転倒以来久々に落ち着いたのだった。
 介護のつらさは経験者しか分からないけど、どうしても感情的になってしまう家族でない他人の存在というのも非常に大事なのだった。

日頃お世話になっている知人も、昔親を介護していて、別に暮らす兄弟の協力が得らずに苦労していたという。一緒にいて本当に何が大変なのか、認知症というものがどういうものなのかを理解していないからだろう。北欧人である友人も同じような事をいっていたので、国を超えて意外に肉親の介護協力というのは得られないケースが多いようなのである。
 もちろん、自分が逆のケースだったら、ちゃんと協力していたのかどうかはそうなってみないと何とも言えない。今は倫理道徳観とか親孝行とかそういうきれい事で介護をしているわけではなく、やらなければならないからやっている、というのが最大の理由でそれがみんな本当だと思う。

 今週からはデイホームにも通わせることにした。意外に拒否感はなく「短期入院」と刷り込んで成功したショートステイのように「リハビリをかねて」ということにしてあるせいもある^^;
 以前なら、デイホームやショートステイに預けるのは、自分が介護を休みたいための厄介払いに近い感覚があった。もちろん、介護家族が休むためという役割は大きい。でも、ショートステイに行きだしてから落ち着きを見せたし、今度のデイホームも自分が休めると同時に、いい加減家にばかりいるのにうんざりしている様子の母親が少しでも何か楽しい時間を過ごすきっかけになりそうな気がするから、という理由の方が大きいかもしれない。
 介護制度発足当時のデイは、ハッキリって酷かった。みんなまとめてお遊戯やなんかでお茶を濁している感じで。でも最近は本当の良い介護はどういうものなのかを模索し続けて、かなり良いデイが多くなった。介護家族が良い在宅介護をするためには、質の良い介護のプロの力が必要だというのも実感している。なので、そういう期待感も込めて、うまく通えることを願うばかりなのであった。


 
 

母君の症状その後 2  2010.2.3

 ゆんべは、久々に熟睡した^^ 夜中や早朝に起こされることもなかったし、新調した羽毛布団も快適だった。
 それまでなら夜中は寝ぼけてトイレが分からずに起こされたり、早朝は薄めの紙おむつ(寝るときだけ)をつけていたのだが、それに吸収しきらない分が廊下のトイレに行くまでにあふれて足元で脱いだのを引きずったのか、廊下に川が出来ていたりした。おそらく間に合わずに慌てたのか。それで足を滑らせて転ぶ音で目が覚めたり。
 ポータブルトイレはあってベッドの横に用意している。6年ほど前、ほとんど自分で歩けなかったときはそれを使っていたけど、今はそれがなんなのかどうやって使うのかを理解してくれない。

 転倒以来、いわゆるいろいろな問題行動があったのだが、今朝はかなり元に戻っている。認知症というのは医者が言うほど単純ではなく、良くなったり悪くなったりする。治ると表現しても良い状態もある。
 典型的なのはトイレに行きたいのだが、尿意などの身体の排泄要求を脳が理解できないというか、自分で認識できなくて不安感として現れ、どうして良いか分からなくて「徘徊」したり、便秘が続いてその不快感で別の問題行動として表れたり。介護する側がそれを観察して気づいて、上手くトイレに誘導したり解消することで、問題行動が無くなる事がある。
 今回のうちの場合は、打撲して身体のあちこちが痛く、足のむくみも酷くなっている。そういう不快感や痛みの認識を上手く脳が処理できなくて、いわゆる問題行動や記憶障害になったりしているのかと思われる。
 今朝は久しぶりに、以前のように起きてちゃんと着替えて、かなり改善されたように見える。介護する側のイライラ感などは介護される側に敏感に伝わって症状が悪くなったように見えることもあるのだが、以下に書く一連のことで僕が安堵したため、それが母上にも良いように影響しているとも考えられる。

 昨日初めて見守りに来たヘルパーさん(介護保険によるヘルパーではなく、世田谷区の福祉事業による派遣)が、子育てしながら親を介護し、資格も持っているプロ中のプロと言っても良い人を派遣してくれたので、うまく母親と会話して見守ってくれたのも大きかったかと。ちなみに介護保険では、介護として重要な「見守り」は「介護じゃない」として認められていない。
 これで日曜を除き、全てヘルパーさん等が来てくれていることになり、明日からはデイサービスの利用も始まる。今までのデイのように、決まったプログラムに沿ってみんな一緒に同じ事をやらせるようなデイではなく、まったくプログラムはなく、1人1人にそった活動を考えていく所なので期待している。本人の意志とは無関係に決まったことを強制的にやらせているデイは介護老人虐待だと言っている人もいる。
 デイは時間も長いのでこちらも休息できるし、母親もリハビリをかねて気分転換や何か楽しみを見つけることが出来るのではないかと予感しているので、今回の一連の転倒事故以来のことは、大変だったけど、逆に良い方向に持って行くことが出来たと思うのだった。


 

今日からデイサービスのはずが…  2010.2.4

 今回のデイサービスは、過去二回挫折したのとは違い、本人にも拒否感が無く上手く利用できそうだという予感があった。なのになのに、、、なのである。
 自分にとって今の介護は試行錯誤で、喜怒哀楽もう疲れているけど、他のもっと大変な介護をしている人の方が多いわけで、うちなどはかなり恵まれていると思う。経済的にも、介護事業所やヘルパーさん、往診してくれる整骨院さんにしても時々手伝ってくれる友人にしても、協力態勢も良いし。ただ、やはり1人でやっていて代わりがいないというのはとてつもなく厳しい。

 今日ははれてデイの日だったのだが、早朝廊下から弱々しい呼ぶ声が聞こえる。また転んでいるのだ。ベッドの横にポータブルトイレは置いてあるし、ナースコールもある。でも、ポータブルトイレを使うと言う事を「理解」できていないし、本人は大丈夫と思って廊下のトイレに行ってしまったのだろう。また身体を打って痛がっているのはいつものことだが、精神的に酷く落ち込んでいる。認知症での落ち込みというのはハッキリ言って手がつけられない。
 ただでさえ、なにか大変なことがあると「あたしってかわいそうでしょ」と自分で言うお嬢様育ちの人が認知症になったので、そういう個性が一層強くなるのである。もうこちらがいくら大丈夫だとか慰めようが何しようがどうにもならない。こういうときは家族ではない方がよかったりする。
 近所の友人に頼んで声をかけてもらい、なんとかパニックは収まったようだが、落ち込み用は収まらない。それに足も痛めているようで、急遽いつもの往診に来ている先生に来てもらった。超音波診断や触診、動きの確認で足首の靱帯を痛めているのが分かった。ただでさえ足がむくんでいるので、腫れではよくわからないのだ。明日になるともっと腫れるだろうと。とにかく足を布巻で固定して、また明日診察に来ることに。
 そしてトイレが大変。立ち上がると足が痛いのだが、そういうのを我慢する人ではないので、酷く痛がってそれ以上立ち上がろうと努力などはしない。抱えてなんとかポータブルトイレに連れて行き用を足させる。
 これは今日一日1人で相手してたらこちらがまいりそうだと思い、事業所にも電話。幸い一番信頼しているヘルパーさんがたまたま来られる時間があったので、他の仕事の合間に1時間半来てくれた。
 今日はデイの予定だったので、ヘルパーさんに作ってもらう用の昼飯などは用意してなかったので、ヘルパーさんがいろいろやってくれている間に、京樽の海苔巻きなどを買いに走る。そんなこんなしているうちに、ヘルパーさんがいられる時間も45分を切ったので、急いで自分も王将に昼食をとりに行き、簡単な買い物も済ませた。
 ヘルパーさんがトイレを手伝っている間も「すみませんねえ、ごめんなさいねえ」と妙に恐縮していたのだが、帰った後「急にきてくれたんだよ」というと「暇だったのかね」というので、さすがに激怒。認知症には怒るのは良くないのだが、もともと他人の恩を理解せずにそういうことを言う人だったというのを分かっているだけに、余計に腹が立ってしまうのだった。
 デイを利用して、自分はかなり長時間の休息の時間を確保できると思っていたのとは正反対の日になってしまった。来週に利用できる状態なのか分からないし、またどんな事が起きるか分からないし、ホントに泣きたい気分で、疲労困憊なのだった。

認知症が進んだ?  2010.2.7

 その後の母君であるが、症状だけ観れば一気に認知症が進んでいる。ただ、表現が難しいのは、一般的な老化に伴うそれなりのボケと認知症は違うし、そもそも認知症は進行性の病気というわけではない。(アルツハイマーやピック病が混同されるが、それとは別)

 昨日あたりは、「ぼちぼちかな?・・・」という雰囲気を感じた。父親が亡くなったときは心筋梗塞でポックリだったのだが、前日の夕食時の父はものすごく影が薄かった。生命力が薄いというか。隣に住む叔母もその前日に庭の塀越しに話をしたときに妙に胸が熱くなる感じがあったと言った。
 今回の母上もなんとなくエネルギーがもうないなぁ、という感じがした。最近食事のスピードが極端に遅くなり、食べ方もしっかりしておらず、完食しないことが増えた。でもものすごく時間がかかりながらも昨日は完食したので、食欲があるうちは人間は大丈夫だと思っているので、やはり一連のけがの影響かなと思われ。
 変わった点のもう一つは、自分でちゃんとできないことが増え、「あたしってボケたのかね。」と自覚している点である。それに対しては「ボケたんだよ」と肯定している^^;; それで本人は「こまったねえ、しょうがないねえ」と嘆く言い方ではなく言っている。
 先日激しく転倒して、死ななかったのが奇跡であのときに頭も打っているから、そのせいで物忘れも激しくなったという事にもしてあり、デイやリハビリデイを利用する口実にもしている。

 予定では先週行けなかった木曜日のデイのほかに、週三回リハビリ往診にきている整骨院の院長が経営しているリハビリデイサービスが、すぐ近所にあるのを知らなかったので、そこへも週一くらい通うことにしている。
 最近は、ショートステイの利用に本人がなじんでいるせいなのか、拒否する感情が減ってきたのか、以前のようにデイなどの利用に関しては、鼻から「いやだよ」とは一切言わない。こちらがいついつからこういうところに行くんだよ、というと「あ、そう」という感じで。頭と体のリハビリのためでもあるとすり込んでいるせいもあるだろうが^^;
 肋骨をやったときは何とかなったのだが、先週足首の靭帯を損傷してからは全く歩けないので、最近はヘルパーさんの時に入っていた風呂もなく、清拭(体を拭く)だけになっている。デイに行くと入浴サービスもあるところなので、それだけでも本人には行く価値はあるかな。おやつ付きだし^^。

 しかし、現在歩けないと言うことは、一番大変なのはトイレ介助である。6年ほど前には、家の中でも車いすで移動していて、夜はベッド脇のポータブルトイレを自分で使えていた。今はそのポータブルトイレがなんなのかを認識してくれないので、夜中でもナースコールで呼ばれてベッドから抱えて移してその間に脱がせて座らせるという、夜中の重労働をしている。と言っても、せいぜい夜中に一回。それ以外は起きずに紙おむつの中にしちゃっている。ここ二日間夜中に起こされているが、それ以前は夜中に起きなかったらしくすべてを紙おむつの中にしていた。それで朝ベッドにべちゃっと座られると、絞り出されて大変だったりするのだ。それまでは昼用の薄型だったので、最近は夜用の4~5回分用にしている。
 認知症などの被介護者にとって、おむつの交換が屈辱なのではなく、おむつが屈辱なのだ、と言われる(交換されるときが屈辱なのだと勘違いして言う人が多いらしい)。うちは、本人も高齢者のヘルパーさんがうまく言いくるめて、夜は紙おむつを自分で納得して掃いている。ただ、おむつとは思っていないようだが。

 最近ずっと認知症の正しい認識をするべく本を読みあさっていたが、介助については全然勉強していなかった。まだまだ自分でトイレにも行けたので、そんな急に必要になるとは思っていなかったのだ。というわけで、本屋を探し回る時間もほとんどとれない状況なので、アマゾンで古武術を応用した介助法の本を買った。あらためて介助は力ではないとつくづく実感している最近なのだった。

最近、全く外出していなくて刺激がないし、本人も退屈だろうと、昨日今日は表に連れ出した。玄関までイス(車いすではない)で引きずり、そこで車いすに移すのである。
 昨日は、現在個展中の梅ヶ丘の喫茶店で、ケーキとカフェオレを食べさせた。でも寒風が激しかったので、かなり疲れた様子。今日は、昼食に出かけたのだが、選んだ店がまずかった。近所の王将に入ったのだが、下北の王将はかなり有名でもあり開店前から10数人が並び、開店20分もすれば札止めである。
 ここは入り口に階段が二段ある。一段なら車いすでの上り下りは簡単だが、一段一段が狭い階段は無理なのである。それでなんとか入るときはなんとか介助して歩かせて入れたが、食べてる間に足のむくみもひどくなったのか、帰りは全く足が動かなくなった。背中から腕を回して半ば引きずるようにしないと移動できなくなってしまった。
 そんな中若い兄ちゃんが「手伝いましょうか?」と声をかけてくれ、順番待ちをしている3~4人の兄ちゃんやおっちゃんが手伝ってくれて何とか退店できた。
 誤解なきように書くと、選んだ店がまずかったというのは、車いすのまま入れる店にするべきだったという意味であり、王将の料理はうまかった。ただ、車いすのままは入れる店は少なく、変化のために王将にしてみて何とかなるという見込みが甘かった。HPの雑記にも書いたけど、下北にはバリアフリーの飲食店が少ないのである。また、今の母親にはおかずの品目の多い食事は混乱して食べさせるのに苦労するので、店も限られる。どうでもいい店ばかりができちゃぁ消えている南口商店街もなんとかならんかなぁ。

実は楽しんでる?  2010.2.8

 一時的なのか、もうこの先どんどんだめになるのかわからないけど、母上が自分でちゃんとやれることがどんどんなくなってきている。
 ここ数日は、おそらく体の違和感(傷の痛みや自由に動かない身体の感覚)からか、一日中ぼーっと眠そうにしている。顔を両手で覆っているが、前回も書いた(っけ?)ように嘆いているのではなく、ぼんやりしているのだ。
 でも、意外に呼びかけやテレビの音声には普通並な反応を返す。ただ、食事はもうほんとに自力で食べられなくなっている。気力がないのかもしれない。昼食はヘルパーさんがラーメンを作ったのだが、小さな子供に食べさせるように、食べさせてあげないと食べられず、完食もしなかったという。そういえば、何かを食べてる途中で入れ歯を床に落として気づかないときもあったり。
 夜は薬をたくさん飲むのだが、飲み込むというやり方が全くわからなくなっているのか、口の中でモゴモゴやっているだけで、飲み込めていない。

 今日は朝イチの着替えからトイレ、洗面、途中のヘルパーさんのバトンタッチを経て、何から何までやってあげないと何もできない状態だった。トイレは隣の部屋に用意したポータブルなのだが、身体をしっかり支えて下着やズボンを自分で下ろすように言っても、全くしがみついた手を離そうとせず、身体もどんどん沈んでこちらも腰などが耐えられなくなり、もう少しで腰をやるところだった。もちろん正しい介助のやり方をまだ知らないからでもあるが、家族なので甘えている部分もあるだろう。
 やっとこさトイレを終え、イスに座り直させてから「もう疲れたよ!!」と大声でわめいてしまった。壮絶に疲れたのである。いつもなら「すみませんねごめんねごめんね」と恐縮する母も、その気力もないようだった。
 こちらもクタクタになって「頼むから早く逝ってくれ。」と思いながらも、夕食のすき焼き煮をつくるのだった。これは母も好きでいつも汁まですすって食べているのだが、今日はおいしくないという。そういえば、いつもは食べているヘルパーさんが作っている麺類にしても「これは好きじゃない」とか「これはおいしくない」と言っているらしいことを最近聞く。味覚もおかしくなってきているのか。

昼は、ヘルパーさんがきている三時間以内ですべての用事を済ませて帰らねばならない。ほとんどは介護関係の用品を調達にしたりして、家から駅まで行って新宿まで乗ってというと待ち時間なども含めたら30分近くを費やすこともある。そうすると行動できる時間はほとんどなく、最近の昼はほとんどがファーストフードか立ち食いそばだったりする。
 普段母が過ごす居間と寝室にしている部屋の間の扉は、特殊な木のアコーディオン式になっている。荷重のかかり方と支え方に無理があるため、レールがすり減ったりしてうまく開閉しない。建てたのは三井農林だが、いまでは住宅建築部門がなく、建築部門だった人たちが作った会社がフォローをしている。そのことを最近来た通知でしったのだが、それを含めた改修したいところがあり連絡もし、その調整もあり、また今週は新たに行くデイが二つあり、その一つは契約もあり、また、そのために往診できてもらっている歯医者の時間を考慮してもらうように連絡したりと、調整や連絡などがおびただしい。

でも、新宿の街を歩きながら、ふと気づいたことがある。なんだか自分の中に、そんな状況をこなしているのを楽しんでいる自分がいるような気がしたのだ。プロ野球のイチローや古田元捕手が言っていた、後ろから見ているもう一人の自分と言ってもいいのかもしれない。その自分は、忙しいけどたいしたことじゃないよ、と言っている感じが。ま、そんな気もする。
 まだ適切な身体介護を知らないためもあって、今日は今まででもっとも体力を使ってクタクタになった日であった。そう考えると、旦那は仕事に逃げて、義理の親の介護を一人で黙々とやっている嫁さんってすごいな、と改めて尊敬したり。体力でやっている今の自分はまだまだなのね^^; でも実の親だったら、もっと悪態をつきながらやっているのだろうけど^^。


 

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