岩波文庫  (2009.12.10)

 なんだかんだ言って、やっぱり岩波文庫は知の宝庫という印象は一部に根強いと思う。古くさく野暮ったい文庫の外観、そして扱う分野の豊富さや流行に左右されない良書を揃えている点などか。
 しかし、いかんせん古い。デザインだけではない。あの使っている文中の書体や文字組はどうにかならないのか?いまでも一文字一文字を金属に彫られた文字棒(金属活字?)を並べてやってるのか?ま、文字組は良いとしても、ちょっとくねったような仮名文字はどうにもなじめない。
 それでも、他の文庫とちがって岩波文庫を読んだ後は、読破した!という妙な満足感があるのは、古いとらわれなんだろうなぁ。だいぶ前に読んだ、畑正憲著の「ムツゴロウの青春記」の中で、岩波文庫こそが人類の知の財産であり、自分は中学のうちに全てを読破してしまうつもりだ、と豪語するムツゴロウ氏の友人の話が出ていた。気持ちは何となくわかる。もちろん、とてもそんなことをやろうなんて思わないけど。
 おもしろいもので、神田神保町へ行くと岩波書店の本の専門古書店があったりするのだ。前々から探してた岩波新書を見つけて、250円と意外に安かったので払おうとしたら見間違いで実は2500円で、引っ込みがつかなくなって買ってしまった^^;
 ある程度の古い作家の本になると、あちこちの出版社から文庫が出ていることがある。そんなときは、なるべく岩波文庫は避けて、文字の読みやすい他社の文庫を選ぶことにしている。どうしても岩波にしかないときだけは岩波を買う。ただ、本棚に文庫を並べるにしても、岩波がずらーっと並んでいる光景というのは、それはそれでかなり渋いな、という印象もあったり^^。


「夜分に失礼」  (2009.12.30)

 電話だと「夜分に失礼します」という冒頭の挨拶はよく使われる。使う時間帯が、6~7時なんて早くても、一応夜なので使う人もいたりする。
 「夜分に失礼します」という挨拶を使うとすれば、夜の電話かやむを得ない訪問くらいではないか? イマイチ他には思いつかないが。

 ところが、時々メールでそういう挨拶を書いてくれる人がいる。携帯メールならリアルタイムで届くから、友人同士でもなければそう書かない方が礼を失している。でもパソコンメールの場合は、差出人がメールを書いているのが夜遅くであっても、こちらは好きな時間に読むのだからタイムラグがあり、特に「夜分に失礼」と言われてもピンとは来ない。そういうメールを読むのはたいてい朝である。

 メールの場合、書いている時間が朝なら「おはよう」夜なら「こんばんは」で、特におかしくはない。
 手紙だったら、よほど書いている時間を説明する意味がある場合を除けば、「こんにちは」に相当する言葉でしょう。ま、友達同士なら「おはよう!」とか「どーもー、こんばんは」くらい書いてもおかしくはないが。

 でもやはりPCメールで「夜分に失礼します」ってなんだかおかしいというか、妙に相手の律儀な性格がでているようで苦笑してしまったり^^。


絶交の印  (2010.1.10)

 世の中にはアホくさい印(決めごと?)がたくさんあって、卒業式の制服の第二ボタンはなんの意味だっけ?第二がダメなときは第三、第四ボタンとなり、人気者はボタンが全部無くなったなんて話はよく聞いたけど、実際にそんなやつを見たことがない。高校は男子校だったので制服で共学は中学だけだったけど、そもそも第二ボタンさえ無くなった奴は見た記憶が無い。まだそれほど定着してなかったからか?

 さて、手紙に貼る切手を逆さまに貼ると、それは絶交の手紙なのだと聞いたことある。ようアホな意味づけするなぁ、と思うが、自分はしょっちゅう上下間違えて貼りかけることがある。それどころか、年賀状ハガキの裏面を上下逆に書いたことがある^^; もちろん出す前に気づいたから、単なるミスで全く意味はないと断り書きを入れた。
 まぁ、そういうアホな意味づけは中学生を中心に作り出されるのだと思うけど、他にも割とポピュラーで自分の知らないものがたくさんあると思う。それをやってしまって相手が「ムッ!」とすることは無いと思うが、一度考え出すとまた今夜も眠れなくなっちゃう(古!)

 そういえば、精神世界系では話している相手に向かっての腕組みや足組みは心を閉じている証拠だと言われる。でも、考えながら話したり、腕や筋肉の違和感でそうした方が楽な場合もあるし、いちいち意味づけしてんじゃねえよ!と思ったりもした。
 目を見ないのも心を閉じている証拠だそうで、「どうして目を見ないの?」という人は、たいてい見開いて火傷しそうな視線を向けてきて、誰でも目を合わせて話したくない輩ばかりだったな^^;


「ミーハー」  (2010.1.16)

 流行にすぐにかぶれることを、古くからミーハーと言うが、語源が「みよちゃん、はなちゃん」等の「み」「は」で始まる女の子の名前が多かった時代に生まれた言葉だというのは最近知った。いや、多分知っていたと思うけど、なんとなく半端に知っていたのだと思う。

 高校1年の地学の時間。担当は木村という先生だった。何について言っていたのかはまるで覚えていないが、すぐに流行に流される当時の状況について話していた。
 そのとき「なんでもミーちゃん、ハーちゃんなんて・・・」と言っているのを聞いて、当時「ミーハー」という言葉を知らなかった自分は、当時大ブレイクしていたピンクレディーの「ミーちゃん・ケイちゃん」の間違いで、この木村先生はケイちゃんをハーちゃんと勘違いしているのか?と勘違いしていたのは自分だった^^;;


久々のマックバーガー  (2010.2.5)

 先日、久々にマックのハンバーガーを食べた。マクドナルドに入ったこと自体が昨年がおそらく7~8年ぶりだった。コーヒーは飲むに値しないし、ハンバーガーなどの食べ物も個人的好みからは不味い部類だったからなのであるが、コーヒーが旨くなったという宣伝と評価で、コーヒーだけ飲んでみた。確かに以前よりははるかに旨いコーヒーになって、ようやくお金を出しても飲んでよいかな、というレベルになったと思う。
 でも、ハンバーガーは食べる気にはならなかったのだが、最近の高級バーガー指向である。ロッテリアは絶妙バーガーを出し、高いが旨いというハンバーガー。これは食べてみて確かにおいしかった。ちょっと予想より小さいぞ!という不満はあったが。二度目からは普通の味に感じたのは慣れてしまったからか。
 で、マックのハンバーガーである。高くても旨いハンバーガーを出すと言う事でテキサスバーガーを始め数種類が売り出された。作り置きで有名だったマックも、作り置きをやめて注文を受けてから焼くスタイルになったというし、少々期待を持ってテキサスバーガーを食べに入ってみた。ずっとマックバーガーを食べなかったと書いたが、それ以前に食べたのもせいぜいシーフードバーガーくらいであった。
 高級と言うが、ハンバーガーとしては決して高い値段ではないだろう。他が異常に安すぎるのかと。それでテキサスを頼むと1分もかからずに出てきた。「?結局作り置きじゃんか」どんなに手慣れた店員でも、注文を受けてから焼いてセットして包んで、1分では出せるはずはなかろう。そこで少々はてなマークがついてしまったのだが、食べてみて・・・・
 ん~~、言うほどのことがあるか?というのが正直な感想。下のランクのマックバーガーよりはおいしいだろう。でも、一般的なハンバーガーとしては大宣伝するほどのものでは決してないし、上に乗っていた(オニオンだったか?)ものの調理具合や、ハンバーガーの焼き方も、慣れてないバイトが焼いたような食感だった。宣伝していたような、「肉本来のうまみを感じるテキサスバーガー」というのは何も感じなかった。自分がそのとき頭でつぶやいていたことと同じ事を隣のカップルがひそひそ言っていた。「絶妙の方がおいしいよね」^^;

 別に不味いと言っているのではない。ただ誇大広告も良いところだし、もっと普通においしいハンバーガーでいいんではないのか?と思って退店したのだった。
ただの感想だし、営業妨害にはならないと思うが。


「手作り」の勘違い  (2010.2.15)

 個展などでは、時々工作物も出品する。自分の場合は作品と言うよりも実用品のつもりで作っている場合が多い。楽しい実用品である。
 で、やはり「手作りのぬくもりが…」とか「大量生産の機械で作るのではない手作り品はいいですねえ」とか言う人が多い。

 まぁ作品として良いから誉めてくれるのだろうと受け止めているが、正直いまいちしっくりこないことも多い。「この人は、どういう意味で『手作り』といっているのだろう?」と。「手作りのぬくもり」と言う人は、おそらく機械を使わず手仕事で作っている良さ、という意味で言っているのだろう。
 でも、ほとんどのもので機械を使わずに作っているものはない。必ずどこかには機械加工の工程がある。自分も持っていて全く活用はしていないが、電動彫刻器だってあるご時世である。それで彫ったものでもおそらく機械を使わない手作業の仕事だと思うだろう。だいたい、どこからが手作業でどこからが機械なのかの境目も難しい。手動式ならば手作業なのか、電動ならぬくもりのない機械仕事なのか。だいたい材料とする木材は、間違いなくチェーンソーで切り倒し、機械製材されたものである。今時斧で切り倒して出荷などしないだろう。のこぎりやノミだって、歯車で動きこそしないが機械に近い道具でしょう。

 そもそも、そのものが良いかどうかと、電気工具を使わない手作業で作ったのか機械を使ったのかどうかは関係はない。良いものならどういう行程で作ろうが良いものだし、全部手作業でもろくでもないものはろくでもないのだ。
 ほとんどの手仕事を貫いている職人も、機械を使わないことを拒んでいるわけではないと思う。その職人の手仕事に匹敵する加工が出来る機械が存在しないから手作業でやるしかないのだと思う。同じようなことが出来る機械があっても、今更覚えてもしょうがないというケースも多いと思うが。何度か書いたが、タンカーに使うような大型スクリューの最終仕上げは、日本の下町職人の手作業でないと駄目だと、テレビで見たことがある。機械仕上げだと微妙に荒く、それを遙かにしのぐ精度でなめらかに仕上げる日本の職人技が必要なのだとか。(精密な機械でも測定困難な凹凸をその職人の手は感じ取るのである。そんなような職人はたくさんいる)

 そういえば、伝統工芸と認定されるものは、100年以上その技術が引き継がれていることが条件にあるそうだ。ミシンは日本に輸入されてからでさえ100年以上は経っているが、ミシンでやる仕事は伝統工芸とは見なされないらしい。

 話があちこちそれたが、手作業で作ろうが全行程を電動機械で作ろうが、見る人使う人が、その品物が良く、ぬくもりを感じられるなら、それで良いのだと思う。どうやって作ったかなんてよほど気持ち悪い材料で問題のある作り方をしていなければどうだってよいことかと。
 いやいや、機械を使わない手作業にはその作者のオーラが、、とか感じる人ならこちらの守備範囲外の話ですが。^^


月曜始まり  (2010.2.27)

 いわゆるシステム手帳というやつは6穴の小型を使っている。持ち運びに便利だし手頃で良かったのだが、最近は母上関係の連絡ごとやイベント(デイやショートなどなど)が多く、もちょっと大きめが必要になった。小さくて書ききれないのである。
 以前はもっと種類があったはずなのだが、いまはほとんどその6穴とバイブルサイズが主流である。もちろんほかにもあるのだがマイナーすぎて、リフィル(そのサイズ用のいろんな用紙)が豊富でなかったり、あるものは自己啓発好き向きのものだったり。

 リフィルの中でも最も使うのが月間予定表である。見開きでカレンダー状になっていて、書き込めるやつである。ここで困ったのが、年々月曜始まりのものが増えてきて、一般的なカレンダーと同じ日曜始まりのものがほとんどないのである。まぁ月間予定表はまだ日曜始まりを見つけることが出来るが、週間予定表になるとすべてが月曜始まり。
日曜始まりの月間予定表とセットになっている週間予定表までが月曜始まりなのはどうしたこった?
 別に月曜始まりでいいんじゃないのか?と思われるだろうが、自分は困るのだ。普段見ているカレンダーはどれも昔ながらの日曜始まりだし、日曜が週の始まりという方がしっくり来る。月曜始まりにしているのは、おそらく土日で予定を続けて書きやすいお勤め人の方たち向けなのだと思う。なんだか日本は何でもかんでもサラリーマン向けになりすぎてないか?土日に祝日無理矢理くっつけるのもしかり。
 以前、一度だけ月曜始まりの予定表を使ってみたことがあるが、見事に一日ずつ間違えた。もちろん慣れてしまえばなんてこたないのだろうけど、自分はどうしても日曜始まりのがほしい^^;
 お店のお姉さんにも探してもらって、最後の手段でフリー(日にちの書かれていない)の週間予定表でめんどくさいけど日にちを書き込んでいくしかないか、と思ったけど、それを手にしたおねいさん「あぁ、ご丁寧に曜日だけは月曜始まりで印刷されてますねえ」ガクッ。
 結局バイブルサイズで、適当に選んでそろえたのだった。


あまおう  (2010.3.6)

 イチゴは大好きなフルーツの一つである。でも謎も多い。
いったい旬はいつなのか??出回り始めるのは冬前からだけど、最近はやけに売っている時期が長い。
以前館山で、イチゴ狩りをやったことがあるが、もちろんハウスである。わざわざハウスにしていると言うことは、害虫対策と言うよりは、本来はもっと暖かい時期の果物だと言うことなんだろう。だから、自然の気候で育てるのなら、春より暖かい時期の果物ということなんではないのか?と疑問なのである。

 と思って調べてみたら、どうやら実をつけるのは春が本来らしい。んじゃ、なぜわざわざハウスで育てて早く出荷するのか?それはなるほど!クリスマスケーキなどの需要にあわせていると言うことらしいのだ。
 たしかにイチゴのないクリスマスケーキは寂しいだろう。そしてその後は露地栽培ものが出回り、やけに長い期間にわたって食べられると言うことが真相のようだ。うむ、イチゴ1つからでも人生の心理を探り出せそうだ(謎)。

 イチゴの出身地はオランダらしい。イチゴにもいろいろあるから、その中でも普通に「イチゴ」として流通しているものはほぼオランダイチゴ属のものだとか。
 最近は「あまおう」「とちおとめ」「とよのか」などなどの日本で改良された品種が競っているが、とちおとめやとよのかは地名から来ているのはわかるが、あまおうは「甘王」だとばかり思っていた。
 あるときテレビの雑学もので、「あまおう」はそれぞれ頭文字をとったものだと知った。そのときはなるほどと思ったけど、正しい元の意味はすっかり忘れ「あまい、まるい、おいしい、うまい」だったかな?と、それじゃ意味がダブりすぎじゃんと。
 でネットで調べてみたら「あかい・まるい・おおきい・うまい」の頭文字だった。
 う~む、人生は一生勉強じゃ。


目が出る!?  (2010.5.29)

 確か幼稚園の頃だったと思われ。
 
その時は父親の仕事の関係で、インドネシアのジャカルタで暮らしていた。庭に何かの種を植えたのだったか「しばらくすると芽が出るよ」と父か母に言われた。

 「何?目!?」

 こんなのを想像して、それを紙に描いたぞ。^^;;


エコポイント  (2010.6.9)

 エコポイント制度がスタートしてだいぶ経つが、(他国の事情は知らないが)少なくとも日本では「エコ」の中身がかなりのでっち上げだったりして、興味もなくポイントがつくから買おうという意識もなかった。
 4月に母上を介護病院に入所させたのだが、テレビは持ち込み可だったので小さめのやつをネットで見つけて買った。性能的には必要十分でその割にはかなり安かったので。で、なんでそのテレビにエコポイントがつくのかさっぱりわからないのだが、2万円弱の液晶地デジテレビに7千円もの法外なポイントがつく。エコポイント制度自体は意味がわからないけど、自分たちの税金が財源となって無駄遣いを強いられているポイント制度なので、せっかくなので申請してみた。このときあまりに値段の割に安いテレビでしかも実質12000円で買えるので、2台買った。

 だ~~~~!これがめんどくさい。領収書の添付はまだわかる。保証書(コピー)の添付、その他にもなんやらかんやら約束事が多くて非常に面倒なのだ。しかも申請書をダウンロードしてプリントして、それら諸々の証明書を言われるとおりに貼り付けて、A4の申請書を「折らずに」郵送するのだ。もちろんこれは自分で申請する場合で、家電量販店などでやってもらう場合はお任せなのだろう。その代わりかなり強引にそのポイントで、自分ところの商品を買わされるみたいだが。おまけに全く同じテレビを2台買ったのだが、申請書は同じモノが2つ必要なのである。1つの書類で複数のポイント申請は出来ないのだ。

 さて、とにかく郵送してみた。1ヶ月経っても2ヶ月経ってもウンともスンとも連絡がない。しびれを切らしてエコポイントの審査期間に電話してみたら「非常に申請が混み合っていまして、審査に時間がかかっています。今なら通常で2~3ヶ月はかかるかと思います」ということだった。
アホか!?人手で一つ一つ書類に不備がないか正しいポイントかどうかを審査してるのか?どうせまた天下りや一部の権力者の利権のための制度と機関なのだろう。本当に効率とか利便性など微塵も考えてないようだ。結局4月18日に郵送して、5月31日にポイントがついたというメールが来た。しかし同じ郵送で同じテレビのエコポイントを2つ申請したのに、連絡が来たのは1台分でもう1台のはこの項をアップした現在もまだ連絡がない。なにやってんだ?

 さてさて、先月ある部屋を二重窓にした。もともとサッシの窓だったのだが、その内側に障子風のアルミサッシ(曇りガラス)を付け足したのだ。前からやってみたかったのだった。自分は二重窓の効果のためにやったのではなく、風情が出ると思ってそういう特殊な窓を頼んだのだ。二重窓には断熱・遮音効果があるということでこれにもエコポイントがつく。これも意味がわからない。要するに断熱効果があるから、冷暖房の効率が非常に良くなるわけで、その点でエコだということなのだろう。しかし要するに冬はともかく夏は窓を開けて涼しく過ごせるときでも窓を二重に閉めてクーラーをつけろと言うことか。それってますます二酸化炭素の排出を促進するだろが。面白い事に、カーテンを閉めるのも断熱効果抜群なのだが、遮光カーテンにはエコポイントはつかない。なぜだ?
そもそも、ここでもエコの意味が間違っている。日本全体を1つでくくってしまうのは乱暴だが、少なくとも関東以南では高温多湿の気候風土からして日本の住宅は夏向きに造る方が良いのだ。しかも窓の上のひさしは長い方が良い。元々日本の伝統建築は大陸の影響を受けてそれを咀嚼して日本向きにしたのだが、雨と夏の日よけ対策でひさしがかなり長かった(深かったと言うべきか)。それが今では隣家との距離の問題もあるが、かなり短くなり、ひさしがない窓の家屋も珍しくない。ひさしをかなり長くするだけでも滅茶エコなのだが、建築業者さんに聞いたところ、やはりそんな工事をしてもエコポイントはつかない。業者さんもその辺りの矛盾はよくわかっていた。
要するに家電製品や車などの大量生産品で無駄遣いをさせたいのだ。そして下記のように、日本でのエコはかなりねじ曲げられて嘘がまかり通っている。一部の権力者の利権のためにである。

 まぁそれはそれで問題なのだが、住宅リフォームでのエコポイントである。これがまた面倒! 業者さん曰く「本当に(申請の仕方が)わかりにくいです。こんなにわかりづらいと年寄りは申請なんかできませんね」。
今回のうちの場合だと、二カ所の窓を二重窓にしたのだが、作られた窓についてくる窓の性能証明書、1つの窓ごとの領収書、それも窓の代金だけで工事費は含めない。そして施工業者の工事証明書と確かに二重窓にしたという各部位ごとの証拠写真や申請者の本人確認証明。これでもかこれでもかというくらいに証明書を要求する。しかも良くこれだけわかりにくく出来るもんだというくらいにわかりづらい。住宅エコポイントのHPを見ても、どこに目的の事が書いてあって、申請書はどこからダウンロードするのか、そこにたどり着くにはネットにかなり慣れていないとわからないだろう。エコポイントがつくというおいしいことを言っておいて財源も確保し、でも申請の仕方がわからずに諦める人も多いだろうからそれを狙っていると深読みされても仕方ないくらいである。
民主党に期待はずれ感を抱いている国民は多いかもしれないが、「仕分け」を筆頭に非常に評価できる事もたくさんやっていると思う。このエコポイント制度なんかもちょっとつついてみるととても面白い事になると思うのだが。


(武田邦彦著「偽善エコロジー」から抜粋要約)
 レジ袋を追放すると、新しく三つのことをしなければなりません。まず単純にレジ袋をやめれば、これまでレジ袋用に作られていた原料がいらなくなるのでそれをまた煙突で燃やさなければなりません(理由は後述)。第二に、レジ袋に代わる買い物袋を製造することになりますが、エコバックを作るとエコバックの材料はBTX成分という石油の中でも希少な成分を使います。そのためレジ袋を使っている以上に石油が必要となります。第三に、ゴミ袋を捨てるときにレジ袋に代わる新たな専用ゴミ袋を作ってそれを購入しなければなりません。
 エコバックを使うようになると、バックが汚れたりして1年に一度くらい買い換えるようになるでしょう。綿100%で出来ているのでもなければ、石油を使う量はレジ袋の比ではなくなります。それまでは現在の産業では使い道が無くて燃やして捨てていた成分でレジ袋を作っていたのに、それをやめて希少成分で作るエコバックにすることで、はるかに多くの石油を消費しなければならないという非合理的な事態になります。またゴミ袋に使えなくなることで今までタダだったものに出費を強いられることにもなります。

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