「逆に、…」  (2009.2.12)

 話をしているときに「逆に~、……」という言葉を使う人が時々いる。自分はまず使うことがないし、使う人にはそうはお会いしない。この場合の言い方は「逆に……」ではなく「逆に、……」で、ちょっと間がある言い方である。
 でも、たまに会うその使う人は、かなりの高頻度で使う印象があるのだ。で、その人の話をそのまま聞いていると、正しい使い方ではなく、ただの接続詞だったり、同じ話を角度を変えて表現する場合だったりする。
 思い返してみると「逆に」というフレーズ(?)を正しく使ったケースというのには、ほとんどお目にかかったことがないような気がする。
 ほとんど日本人と同じくらいに日本語を操る欧米人の友人がいるのだが、おもしろいことに彼もそのように、全然「逆」でない「逆に~」をよく使う。
 どうなんだろ?普通の会話で、正しく「逆に」と切り返して、会話が穏やかに成り立つケースってあるんだろか?と、また今夜も眠れなくなっちゃう^^。
 せいぜい「逆に、あなたにお聞きしたい」「私だったら逆に」みたいな使い方くらいしかないのではないのかなぁ? 本当に逆な見方の事を言うつもりで「逆に」と言い出してはみたものの、結局全然逆でも何でもない、になってしまうんかも。


正夢  (2009.2.12)

 元々自分はメチャメチャリアルな夢を見る方である。総天然色(古!)なのはもちろん、人の顔もリアルだし風景も現実と同じようにリアル。夢の中で活字や誰かの書いた文字を読むこともある。やたらに芸能人が出てくる日々もある。そういえば、正夢の類は久しく見ていないなぁ、と思い当たった。
 今までに正夢と思えなくもないのは2~3度あった。覚えている一番古いモノは、3~6歳のどこかの歳に見たモノだと思う。下北沢商店街の端の二叉あたりで、姉が転んで額を切った。その後現実で、姉は別の場所で額を切って怪我をした。ただこれは、本当に前後関係がその通りなのかどうかは定かではないのだ。記憶では先に夢を見ているけど、幼児期なので記憶がかなり脚色されて、前後が逆転している可能性も大きい。
 明らかに先に夢を見たケースでは、小学校5~6年の時。当時切手収集に熱中していて、普段は新宿南口にあった郵趣会館の地下の店へ出入りしていたのだけど、そのときは今井という友人と秋葉原の切手屋へ行った。(このあたりのことは、雑記帳のどこかに書いたと思うのだけど、見あたらない)
 その店は狭いビルの二階にあった。コンクリートの階段はかなり急だった。帰るとき階段から落ちた。記憶では階段の一番上からなぜか頭から落ちた。そのまま階段の一番下まで顔面から落ちた。普通は足を滑らせて落ちるから、足から落ちるのが普通なのだが、顔から落ちている。どんな急な階段でも、一番上から一番下まで真っ逆さまに落ちようと思ったら、それなりの勢いをつけて飛ばなければならない。なので、記憶が脚色されているか、何かに大きくつまづいて頭から落ちていったとしか考えられない。落ちたときは確か左顔面からドーンと落ちたのだ。数秒じっとしていたので、友人はオロオロ声で「おぃリョウイチ、大丈夫か?・・・(あわわ)」と降りてきた。ところが何ともなかったのである。ゆっくり起き上がって、落ちた方の顔をさすりながら「痛ってぇ…」と発した。落ちた方の顔をほんの少し擦りむいただけですんだのだった。後年、偏頭痛を起こすようになったときは、これが原因だったに違いないと思ったモノだった。
 その1~2週間後、またその店を訪れ、店長に階段から真っ逆さまに落ちたことを言った。「おぉ、良く生きてたなぁ^^」とおどけておられました。
 で、その階段から落ちる数日前、明け方の夢でどちら側か覚えてないが、顔をしたたかに打つように転ぶか落ちるかしている夢を見ていた。正夢か偶然かはわからないが。

 そういえば、亡くなった父親は超常現象や霊などは200%信じていなかった。それでも若いころに父親の姉が亡くなったとき、父は遠くにいてすぐには訃報が届かなかったのだけど、死んだ時間あたりに夢枕に立ったと言っていた。「ああいう不思議なこともあるんだなぁ」と。


コロッケ  (2009.2.23)

 とうとう去年閉店してしまったが、下北沢南口に、古くからやっている春日屋という精肉店があった。一見ちょっと取っつきにくそうで頑固そうな店主がやっていた。子供の時からずっと知っていて、何度も買いに行ったことのある店なのだが、その子供の時からずっと同じ年齢のおっちゃんに見えた^^。
 たいていの肉屋がそうなんだろうけど、そこでもコロッケを売っていた。5~6年前だったかウインドウに貼り紙があるのに気づいたとき、4ヶ150円と書いてあった。子供の時以来そこのコロッケを食べた記憶はなかったけど、おいしかったような記憶が。

 コロッケの好きな人はこだわりのお店があるようで、以前女優の石田ゆりこが出ていたCMで「私は密かにここの(この店の)コロッケが世界一だと思っている」というのがあった。ビールのCMだったっけ? あれはとても心情が理解できる。
 さて、下北沢商店街に有象無、、あ、いや、あちこちからいろんな人が集まってくるようになって有名になる前は、ただの町の商店街だった。ランニングシャツのオヤジが歩いているような、のどかな商店街だった。その頃の記憶だが、春日屋精肉店の店先でサラリーマンがコロッケを食べていた。営業回りだったのかくたびれたネクタイにグレーのスーツを着た男が、無性にコロッケが食べたくなったのだろう、買ったばかりのコロッケの包みを片手に持ち、もう一方の手で「ハフハフ」と食べていた。実においしそうな光景で、あれは日本一正しいコロッケの食べ方だ、という記憶の一片なのだった。


暴走チャリ  (2009.3.1)

 チャリ乗りのマナーの悪さが指摘されるようになってから久しい。主に歩道を走るときの暴走ぶりが問題だった。そもそも歩道を走っても良いなんてのは、先進国では日本くらいではなかったか。ようやく道交法などでも厳しく取り締まられるようにはなってきたけど、オイオイお前はどうなんだよ?というのもよく見る。お巡りさんたちである。
 朝や夕方、おそらく勤務交代に向かうのであろう、4~5人でチャリで移動するお巡りさんたちを見る。遊歩道などを徐行とは言えないスピードで徒党を組んで走っている姿は、はっきり言って違反のはず。

 さて、最近目立つようになってきたのは、自分の世界だけで走っているチャリである。小道から出てくるときに、歩いて出るのでも左右を気にするのが普通だと思うのに、平気で飛び出てくるのである。小道からでなくても、普通に考えてスピードを緩めたり止まったりしてから出て来るのが当たり前でも、全く何も気にせずに飛び出してきたりする。中空を見上げて考え事をしながらふらふらと出てくるヤツもよく見る。自分の世界だけで歩いているヤツは以前から良くいたが、チャリはやめれ。そのうちにそういう車の運転手も出てくるんじゃないのか?

 自転車に乗っていて、チャリ同士で衝突した経験は、今までに数回くらいしかなかったと思う。それが去年からすでに3度は衝突した。また衝突の場面を何度も目撃している。チャリが飛び出してくるなんて想定できない状態で飛び出してくるのがあまりの多いのである。
 昨日などは、暴走ではないけどかなり危険なチャリを見た。子供二人を前後に乗せたお母さんである。信号のない交差点で、明らかにあちらが止まって様子を見なければならない場面なのに、止まらずに入ってきて、慌てていた。それも子供を前後に乗せているので重心もふらつき操縦もおぼつかないので、止まろうにも止まれないという感じだった。三人乗りも許容する方向だったけど、どうなんだ?乗せているお母さんたちは「しょうがないでしょ」と言う。確かに他にやりようが無いのは理解できるけど、一歩間違ったら子供の命を落とす状態を「しょうがない」というのはどうなんだ??それでも強固に「しょうがないでしょ!あんたが子育てしてみなさいよ!」と言う人は多いと思うけど。


鋭すぎる犬歯  (2009.3.6)

 どっかに書いたと思うけど、人一倍犬歯が鋭いらしい。以前歯医者に聞いたところでは、普通の人は上下の歯がすり合わさって、子供の頃にかなり削られると。自分の場合は、まったくすり合わない歯並びで、そのままなのだそうだ。
 自慢だけど、この鋭い犬歯で薄いアルミ缶なら軽く穴を開けられる。そしてそのままスーッとアルミを切れる。それくらい鋭いので口の中を噛むと半端ではないのである。
 なんだか知らないが、良く口の中を噛む。しゃべっている時に噛むことはないが、食事やガムを噛んでいるときに「ザックリ」と噛むのである。もう激痛と悔しさでいたたまれないのだ。上下から挟むように噛むので、傷口は二つ以上になる。そこがそのまま口内炎になると、傷が合わさって大きな口内炎になることも少なくない。肉を食いちぎるときってこういう感じなのか?と言うくらいにザックリ歯が入ってしまうのだ。一度噛むと、場所によっては腫れてまた噛みやすくなる。同じ所を二度三度と立て続けに噛んだこともある。
 数年前からうちには母上用に往診の歯医者が来ている。その歯医者が「削ればよいよ」と言ってたことがあったので、歯医者で削ってもらうことにした。事情を説明して削ってもらうことにしたのだが、一気にたくさん削ると歯並びや噛み方のバランスが崩れるので、やるとしたら少しずつしか削れないと。んで、1回削ってもらったのだが、ほとんど違いは感じない。歯科医はあまり削っても状態は変わらないのではないかとも。なので、その1回しか通っていない。犬歯は相変わらず鋭いままなのだ。ほんのちょっと先を研いだという感じで、ほとんど変わっていない。
 
歯医者が使う削り器とほぼ同じ工作具を持っているので、自分で削ってやろうかとも思ったけど、さすがにそれは自重したのだった。(写真は、歯医者で削った後)


あわや感電死?  (2009.3.11)

 小学校3~4年の頃だったかと思う。普通なら今、この世でこんなモノを書いたりはしていなかった可能性が高いのである。
 その時、針金で何かを作っていたのだと思う。ビニール皮膜の針金ではなくむき出しの針金である。父親も日曜大工が好きだったので、大工道具や針金などがたくさんあった。六畳の和室で針金を使って何かをしていたときに、電気コンセントにふと目が行った。これに針金を刺すどうなるんだろう?と思った。きわめて軽く思って、両手に持った2本の針金をコンセントの二つの穴に同時に刺した。その瞬間にコンセントから真っ白な火花が飛び散った。特にしびれるような電流も感じなかったのだけど、何かしらの衝撃か痛みを両手に感じたのだとは思う。「うわ!何が起こったんだ?」と言う感じなのである。そういうことを何にも予想しないほど何も考えてなかったのかなぁ?
 当時はまだ過電流の時などにはブレーカーが落ちるのではなくヒューズが飛んだのだけど、そのときはヒューズは飛ばなかった。妙な焦げ臭さが漂い、両手を見ると針金を握っていたところが、線上に黄色く焦げていた。皮膚が焼けるとああいう匂いがするのである。匂いは今でも覚えている。火傷は浅かったが、その後しばらくは線状に火傷の後が残った。
 おそらくはメチャメチャ運が良かったのだろう。普通ならそのまま感電死していてもおかしくは無いのだし。何しろ山田かまち氏などはエレキギターの練習で感電死しているし。もっとも彼の場合はエレキとアンプを改造していたらしく、通常は感電死することはないとか。

 こうしてみると、自分はいろんな面で強運なのかもと思うこともしばしば。しかし、家庭用電源が危ないと知らなかったのか、そもそも本当に魔が差したという感じで、何の気なしにコンセントに刺したような。
 そういえば十数年くらい前にも、電源コードの途中で断線しかかっているらしいコードを取り替えようと、コンセントから抜くのを忘れていた電源コードをハサミで切ったことがある。裁ちばさみのような大きいハサミなのだが、コードに触れた部分の刃は、数ミリの大きさで溶けて無くなっていた。小さな火花が散ったが感電はしなかった。全体が金属のハサミなのだが、指を入れる部分の円形の内側にプラスティックが埋め込まれていて、そこしか触れていなかったのである。


あこがれの眼  (2009.3.22)

 芸能人が雲の上の存在であったのは、昭和50年頃以前までではなかったのだろうか。テレビが一般家庭に普及する前の映画代全盛のころは、畏れ多い存在に近かったのでは。それ以後でも、俳優であれお笑い芸人であれ、自分たち一般人とは完全な別世界の存在であったような。もちろんアイドル歌手でもそうだったのだけど、それがいきなり身近な普通の存在になったのは、菊池桃子の登場がきっかけだったような。彼女の売り文句が隣の女の子みたいな、どこにでもいる女の子、だったと記憶している。当時としてはそのような存在としての売り出し方はきわめて新鮮だったのだ。
 そして、芸能界をあまりに身近にしすぎたのは、ほぼ素人をテレビに出し続けた萩本欽一氏であり、お笑いを堕落させたのは「おれたちひょうきん族」だと思っている。

 自分の記憶の埒外になってしまっているけど、芸能人のいわゆるスターに対する「あこがれの眼」というのは、やはり昭和中頃までの映画スターに対するモノが最後だったのではないのか?それ以後はあこがれと言ってもちょっと違うニュアンスの眼だったような。
 わかりやすい例えを聞いたのは、巨人ファンと関西の阪神ファンの違いである。巨人選手に対する巨人ファンは、選手は雲の上の存在で、神々しいほどのあこがれの対象である。それに対して阪神選手に対するファンはあまりに身近なのだと。街などで阪神の選手を見ると、阪神ファンは平気で肩をたたいたりして叱咤したりするとか。「こないだの試合なにやっとんねん」「がんばりや!」とか^^; ほとんど町内チームのノリである。

 あるときメジャー1年目で大活躍したイチローの特集をテレビで見たとき、久々に「純粋なあこがれの眼」というものを見た。
 メジャー挑戦前は「イチローは通用するのか?」という話が持ちっきりだったが、通用どころかメジャーのスーパースターになってしまった。ちなみにオリックス時代のトレーナーは「イチローはメジャーで通用するかどうかなんてレベルではない。遙かに上です」と断言していた。そのトレーナーは世界の選手を見てきたが、問題点をその場で理解して、すぐに直後の試合で直せる選手はイチロー以外に見たことがないと。一流でも実践に反映させるためにはかなりの調整が必要なのだ。
 さてその特集で、メジャー2年目のシーズン前に調整をしているイチローを取材する場面が映し出されていたのだが、記者だったかイチローの友人だったか忘れたが、その彼とイチローの練習を熱心に見つめるマイナー選手との会話だった。その選手は1Aか2Aで、これからメジャーを目指しての長い挑戦が待っている。日本人記者(友人?)が、バッティングで悩む彼の話を聞き「イチローに教えてもらったら?」と軽く言う。すると彼はとんでもないというそぶりで「ボクなんかが気軽に声をかけられる相手じゃないよ」とイチローの背中を見つめながら言った。その顔はあこがれのメジャー選手を身近に見ることのできる喜びのはにかみの笑みを浮かべ、顔は紅潮して初々しいあこがれの目線を送っていた。なんだかとても良い表情だった。彼にとってはイチローは遙か雲の上の侵すべからず存在なのだろう。あの謙虚さと夢を持った彼のその後を知りたいと思った。


WBC韓国の旗立て行為  (2009.3.27)

 自分は取り立てて嫌韓ではないし、日本と韓国のそのような感情問題を煽るつもりでこれを書いているのではない。
 しかし国際試合における韓国野球に対しては、はっきり言って嫌韓なのである。単純に韓国という国に対してどう感じるか?と言えば、良いところもイヤなところもあるし、それは他の国に対しても同じである。もっともその度合いはそれぞれだけど。それでも国際試合での韓国野球に対しては不愉快な感覚を抱く。一時期話題を呼んだ「嫌韓流」なんていう愚かな出版物に代表される嫌韓とは全く違うとは言いたい。もっともその本はきちっと読んだわけではないし、読む価値も無いと思っているが。
 で、何がむかつくのかと言えば、韓国戦で苦戦しっぱなしだから悔しいとかではない。負けて普通に悔しいのなら良いのだ。

 前回WBCで韓国は日本に勝ったとき、マウンドの上に国旗である太極旗を何本も立てた。かなりあきれた。バカじゃないのか?と思った。日本相手の時だけやるのだけど、あきれるよりほかなかった。
 で、今回もやはりやった。前回よりは小さい太極旗であるが、嬉々としてお砂遊びのようにマウンドに立てていた。やはりあきれた。その姿は幼稚でさえある。
 意外にこのことを知らない人も多いみたいだし、特にそれほどの酷い行為だと思っていない人も多いでしょう。でも想像してみて欲しい。日本選手が勝ったときに同じ事をやったらどう感じるだろう?同じ日本人としてそうとう恥ずかしい行為だと思わないだろうか?日本中からブーイングの嵐で「恥さらし!とっとと負けて返ってこい!」とまで言われると思う。
 勝ってグラウンドで国旗を持ってファンの声援に応えるとかなら十分わかる。でも、競い合った神聖なグラウンドに、勝った証の旗を立てるという行為がどれほど相手に非礼で、しかも野球という競技を冒涜しているかわからないのだろうか?ほとんど戦勝国の領土主張でしょう。
 岩村選手は「それだけ韓国をアピールしたいんでしょう。誰もいい気はしない」と怒りと共にあきれていたらしい。「前回も旗を立てられた後に優勝したのだから、その流れで行くと同じですけどね」と言って、その通りになった。
 で、韓国内の反応はどうなのか?と思ったら、おおむね好意的なようだ。今回のWBCで「また旗を立ててくる」という選手のコメントを好感をもって伝えていたようだ・・・・・。 イギリス海軍の人が、あの行為を見て激怒していたという話もあるが。
 あの嬉々として旗を立てている行動が、「自分たちはこんなに意識が低いんです」と世界に発信している事になっていると気づかないのかなぁ?
 ちなみに、前回も今回も決勝戦の後にマウンドに大きな日の丸が置かれたが、あれは日本関係者がやったのではなく、主催者が優勝国に敬意を表して「置いた」ものである。

 占領政策などの日本に対する嫌悪感や、その後の日本のバカな政治家の言動の問題もあるだろうから、簡単に反日感情問題を論じることも難しいのだろうけど、別の問題として、あちらのスポーツ関係マスコミの意識の低さも気になるのである。もちろんすべてがそうではないだろうし、日本のマスコミも恥ずかしいほど意識が低い部分は多いし。ごく一部の韓国のスポーツマスコミ記事しか読んだことはないので、それで感想を述べるのもあれだけど、悪い意味でファンを煽っているとしか思えない。今回の日韓での決勝戦についても、当たり前のプレーや流れ的にしょうがないプレーに対しても、日本のやり方がおかしいとか、どうしても日本選手や特にイチローを悪者にしないと気が済まない書き方が多いのだ。一部のファンがそうやってバカな煽りをするのはどこでもある事なので気にならないけど、マスコミが扇動してるのは・・・。
 大会終了後の記事でも大いに韓国チームを賞賛して良いのに、優勝できなかったのを日本のプレーが汚かった(客観的に見て普通のプレーなのだが)、内海が投じたデットボールは故意である、大会システムがおかしい、インタビューに答えるイチローの態度がスポーツ選手にあるまじき態度だ、とか言い訳や言いがかりばかりが目立ち、どうしても自分以外を悪者にしないではいられないという感じで辟易とした。マウンドでの旗立ては選手の愚行だが、そのほかは韓国マスコミが煽って、その反応を見た自分を含めた日本人が不愉快な思いをするというのが一番の理由のような気もする。もちろん堂々の準優勝を称えたり、イチローを賞賛している報道もある。
 旗立て行為については、韓国内はもちろん在米の韓国人なども「何が悪いんだ?」というのがほとんどの反応のようです。日本への当てつけと言うより「ただの喜びの表現」との解釈のようだ(日本相手にしかやらないのだが)。元在日韓国人で巨人などで活躍した新浦氏(現役中に日本に帰化)をはじめ、何人かがあの行為を憂慮するコメントを出している。日韓の感情問題の面での事よりも、普通に考えてやるべきではないと。

 そういえば日韓戦の初戦で日本が韓国にコールド勝ちしたときのこと。大会規定で、7イニングを終えた時点で10点差以上がついた時は、そこで「コールドゲーム」として試合終了となる。この結果に対して韓国マスコミはなんと「国辱」という表現を乱発していた。B級スポーツ紙とかではなく、通常のテレビニュースにしてもである。どうひっくり返したらスポーツの勝敗に対してそんな言葉が出てくるんだろう?反日であって、日本に大敗したのが悔しいからなのはわかっているけど、なんだかな・・・。普通なら「屈辱」まででしょ。柔道で日本が外国に惨敗したら「屈辱」とは言っても、まともな報道機関が「国辱」とまで言うだろうか?そこまでの表現をとるのは、単に国民性の違いなのか?

 そういう面をなしにして、純粋にWBCの対戦だけを見れば、特に決勝戦は良い戦いだったし、韓国野球の長足の進歩もすばらしかった。決勝戦だけは妙な感情的な因縁も感じられなくて、純粋に戦っていた感じはする。米国人野球記者が「30年以上野球を見続けてきたが、これほど面白い試合は初めてだ」とも言っていた。
 もし韓国が優勝していたらマウンドに太極旗を立てたのかどうかが気になるところだけど。(おそらく派手にやっただろう)

 さて、大会そのものであるが、日韓をはじめとするアジアの野球が世界レベルになっていることは間違いない。ではもはやメジャーをもしのいでいるのかというと、まったくそんなことはないと思う。もちろん野球のレベルそのものはかなり高い水準になっているのだが、あくまでWBCという大会で優勝・準優勝したというとらえ方が正しいのでは(打撃以外はほぼ世界最強ではあると思う)。韓国代表監督も「日本に勝ったからと言って日本に追いついたとは思っていない。我々は代表チーム一つを作るので精一杯だが、日本は同じレベルで3~4チームも作れる」と言っていた。3~4チームは無理だと思うけど、全体的なレベルと選手層の厚さが、その国のレベルを計る正しい見方だと思うので、わかりやすい表現だと思う。(台湾は八百長試合が横行して衰退の一途らしい)
 で、アジアとキューバ以外はそもそもこの大会への取り組み方が全く違う。アメリカ、ドミニカを始め、メジャーを取りそろえた国は多いが、どこも選手を取りそろえただけで必死に勝ちにいっているわけではない。主催国のアメリカでさえファンもオープン戦の一つとしか思っていない。北京五輪で韓国が見事な金メダルを取ったときのように、日韓はこの大会に向けて万全の体制をとっていた。メジャー選手はMLB(メジャー機構)の締め付けが大きかったのだが、シーズン前の怪我がもっとも怖かったので、無理なプレーや全力プレーはしていないのだ。投手の級数制限があったのも、本来は調整時期である大会中に無理をさせたくはないのと、シーズン中ならば選手の故障に対して保険が適用されても、WBCはシーズンオフで保険対象外になるからだとか。主催国アメリカでの関心も低く、今回視聴率2.2%(22%ではない)を記録した試合が、前回を大幅に上回ったというのだから、その関心度がわかる。
 本気で野球の世界大会をやるのだったら、サッカーのワールドカップのように、綿密に大会方式を決めて、トップシーズンの状態でシーズンを中断して開催しないと意味はないかと。サッカーワールドカップでも開催当初は問題点だらけだったのだから、MLB独断ではなくもっと国際的に取り組まないと、いつまでたってもMLBの収入源のためのお祭りでしかなくなって、そのうちに廃れてしまうのでは。


爪の生えかた  (2009.4.1)

 爪の根元を見ると、白っぽい半月状のものが見える。これはまだ爪になりきってない角質化していない部分なのだそうだ。この白い半月上がたくさん見えたり全然ない指がある人もいたり、それが健康に良いの悪いのと、いろいろ聞いた気がする。
 あの部分がまだ爪になりきっていない色だとすると、爪というのは根元から徐々に上って伸びていくようで、意外によく知らない人も多いかと。かく言う自分は小学生の頃、この半月状が上ってきて爪の先になるのだと思っていたことがある。普通半月上の白い部分は、爪の根元にあるが、それが爪の途中にある人を見たことがあったのだ。医学的にそんなことがあるのかどうか知らないが、半月状のまま爪のやや下で宙ぶらりんに存在していた。その下はほかの爪の部分と同じくピンクだったのだ。
 なので「あぁ、これは爪が上ってくる途中で、やっぱりこの半月が上りきると爪の伸びた部分になるんだな」と納得したのだった。

 さてさて、爪が徐々に根元から押し上げるように伸びるとわかっていても、なかなか体感することはない。ところが自分は何度かその途中経過を目撃している。
 よく家の中で、足の人差し指の先をぶつけたりする。あれは本当に痛い。悔しいほど痛い。それでたいていは人差し指の爪の根元が内出血する。爪の中なので何もやりようはない。放っておくと数日で爪の中で真っ黒になっている。そのまま何週間かすると、気づくと爪の横帯のように黒い部分が上ってきている。そして日を追って表面に近づいてくる。
 ほぼ表面になったとき、血液が固まった黒い部分は黒い粉としてはがれる。なるほど、爪は根元の内部で作られていき、上に上りながら少しずつ表面にあがってくるのか。とすると、爪全体の下で作られながら表面にあがりながら上に上っていくと言うことか。
 それを認識させてくれた左足人差し指の爪は、いま上3分の1が血液の粉をはがしてきれいに輝き、いびつな段々畑になっているのだった。

 ちなみに足の爪は、親指以外は白い半月部分はない。これが普通なのか?


今は「不況」なのか?  (2009.4.6)

 100年に一度の不況という表現がすっかり浸透してしている今の世界の状態だったりする。不況なのでどうにもならない方面があちこちに出ている。というより、良い状態の方面を探す方が難しいでしょう。

 で、さてはて、今の状態を「不況」と安易に呼んでも良いのかという疑問もあったり。
 報道などで一番よく出される不況の例が、乗用車の販売台数の激減である。不況だから売れない、と言っているのだけど、この先以前のように乗用車が売れるようになることなどあり得るのか、大いに疑問。もう、そういう時代というか人々の意識ではないのでは。
 前に何かで読んだのだけど、あらゆるものを消費してきた日本人は「もういいよ」と感じていると。物質的な消費ばかりが幸せじゃないと気づき始めているようだと。もう今のような社会システム自体にも疑問を持ち始めていたはずで、やっとという感じ。だいぶ前にHP内に、今のような社会システムに対する疑問を書いた

 今回の不況以前の状態が正常であれば、今の世の中は「不況」ではあるけど、もう違う方向へシフトしないとどうにもならないと思うし、それなら単純に「不況」と言ってもいつまでも問題解決の糸口すら見えないのではないかと思われ。
 まぁ、それをやろうにも、とりあえず少しは景気を良くしておいてからでないと身動きがとれないというか、多大な犠牲を払わないとならなくなるのだろうけど。
 少なくとも、もしある程度現在の不況を脱することができても、消費者が以前のような消費活動をするだろうか?必要なもの、本当に欲しいものは買うだろうけど、その考え方や質はもう変わっていると思うのだけど。
 リチャード・ラヤードという神父が「国内総生産量(GDP)は幸福を計る最悪の尺度である」と言ったそうだが、いつまでもGDPを基準にして「ああしなきゃ、こうしなきゃ」という時代ではもうなくなっているでしょうに。

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