マスコミの神経  (2002.9.30)

 北朝鮮の拉致問題から数週間。一般の意見は、少し冷静になってきている。直後は、誰もが感情的になっていたが、ここにきて、街頭インタビューなんかを見ても、あのような国が、曲がりなりにも非を認めたのだから、時間をかけて少しずつ問題を解決していったほうが、というような。このような一連の日朝の対応について、ここで論じようというのではありません。

 最近、特にサラリーマン向けの夕刊紙に、目にあまるタイトルが多い。中身は読んじゃいなけど、タイトルで想像はつく。
 拉致死亡者は実は生きている、やっぱり処刑されていた、などなど推測によるものばかり。それなりに取材して記事を書いてはいるだろうが、今まででもそのようなショッキングな記事を出して、間違っていたときに、責任を明らかにしたとか言う話は聞いていない。読者も、その辺は承知で読んではいるのだろうが。

 そして今回のその一連の記事は、その真偽そのものよりも、今そのような事実が確定していない記事を平気で出すというマスコミの神経を疑う。拉致被害者家族でない者は、そのような憶測記事でも興味をもって読みたいかもしれない。でも北朝鮮の出した情報さえも、真偽がはっきりしないで苦しんでいる被害者家族の実情をわかっていながら、新聞を売りたいがために、我先にスクープめいた記事を出すという神経は尋常ではない。まあ、いまさらその異常さを指摘するまでもないでしょうが。
 何か訴えられたり制限がかかると、表現の自由と知る権利をマスコミは騒ぎ立てる。でも自分たちがいかに危険な武器を、普段から振り回して人々を傷つけているか、という自覚はないようだ。

 だいぶ前にオウム真理教が、まだ犯罪者として立件されていない頃、麻原の娘が、しつこくまとわり付くテレビレポーターを「ハイエナ」呼ばわりした。もちろんマスコミはけしからん発言として騒ぎ立てた。はたして、あの時同じように「けしからん」と思っていた視聴者は、どれほどいたのだろうか?
 麻原の娘の発言ということで同じように怒った人はいただろうが、「ハイエナ」という発言自体にけしからんと思った人は、そうはいないだろう。はっきり言って自分は「良く言った!その通り」だと思ったが。どうみても、彼らレポーターが普段からやっていることは、人の不幸やスキャンダルをかぎまわる「ハイエナ」以外のなにものでもないもの。もちろんテレビレポーターすべてを同列でくくってません。
 マスコミは、報道しないポリシーというものも、持ち合わせてもいいと思うのだけど。。

 話は違うが、科学が進歩して今まで不可能であったことが、いろいろできるようになってきた。クローンなど、生命の分野にまで及んでいるのはご承知の通りです。倫理面での問題にまで及ぶようになってきたが、最近は「科学的にできるけど、やらない。やるべきでない。」という考えも徐々に広まっているようです。理論的に可能なことがわかっていても、自粛して、技術そのものを開発しないということです。
 マスコミにもそういう姿勢がほしい。知ってしまったけど公開しないほうがいい、とか、追求せずにそっとしておいて上げたい、とか言う良心が。
 いいかげんに、被害者の通夜や告別式で、無神経にマイク向ける態度くらいはやめろよな。


けったいな日本語  (2002.10.2)

 時々、日本語の定型文ってけったいだなぁ、と思う。挨拶や言い回しで、なんとなく型が決まっているような文章のことですが。

 いつも、変な言い方だなぁ、と思うのが、
「あら?来てたの?」というような言い方。一応文章としては疑問文である。来て、目の前に存在している本人を目の前にして「来てたの?」という質問は論理的には成り立たない。

 この場合「来てたの?」に対しては肯定文しか使ってはいけない。
「来てたの?」
「ううん。来てないよ。」
とは言えないし、相手に「ぞっ!」とされること請け合いだ(時々、そう答えたくなるのだが。)。

 でもあまりにそういう、肯定文でしか返せない疑問文で語られると無視したくなる。「来てたの?」に対しはっきり答えないで、また相手が「来てたの?」を繰り返してくると、「お前はアホか?」と言いたくなってくる。目の前にいるのに、肯定しないと、来たのか来てないのかわからんのか?と。
 ただ、こういう場合相手は、疑問を発しているわけではなく、それに対するわかり切った答えを要求しているだけなのだ。わかり切った返答をもらうことで、ひとつのコミュニケーションの形が完成して、安心するのだ。動物のディスプレイ行動と同じか?そうではなくて、本当に疑問としてそのようなことを聞いてくる相手がいたら、それは是非主治医に相談することをオススメする。

 似たような言い回しは数限りなくあるが、たとえば「あら、買ってきたの?」ならば、これは疑問文として成り立つ。答えは無数にあるからだ。買ってきた、もらってきた、拾ってきた、かっぱらってきた、と答えようがある。
 やっぱり「来てたの?」は、文法的には疑問文だが、確認の文章なのだろう。これが「帰っちゃったの?」と、目の前から消えた人間に向かって言う場合、独り言でポツンと言うならカワイイが、疑問文として相手に(空中に)発していたら、これはこれでまた治療法を考えてあげなければいけない・・・。


喫茶店・新聞争奪戦  (2002.10.4)

 喫茶店には良く行きます。そのひとつが、好みの垢抜けなさの「シャノアール」(最近は言ってないな:2012年追記)。
 隠れたオススメでは、ローカルな話題ですが世田谷の下北沢の「いーはとーぼ」。ここもコーヒーが美味い。マスターが変わっていて、いろいろな本やCDを店にオススメで置いてあるのですが、オススメ本のポスターの余白に崩れたマスターの文字で「売っている」(店内でも売っていると言う意味)、ポスターのちぎれて無くなっている所にメモ書きで、「かなしい」なんてボソボソつぶやくように書いてある。

 だいたい喫茶店に一人で入るときは、目的を持って選びます。本を読みたいのか、新聞を読みたいのか、思考に行くのか。夏の場合は、重要な選択要素として、クーラーの強すぎないところ。
 新聞の場合、自分で買うのではなく、お店備え付けのやつです。シャノアールは、どこでもほとんどの全国紙とスポーツ紙が置いてある。午前中に行くとおっさん連中が、我先に新聞を持って読んでいます。入り口近くに新聞ストッカーがあるので、新聞を取れなかった人は、その方向を気にして、誰かが新聞を返すと、即座に取りに行く。

 だいたいスポーツ紙か一般紙かの好みがあり、その中でもどこの会社のが好きかというのがあります。いつも同じ時間帯に行くと、どのおっさんが何を確保しているかが見当つきます。自分のばやいは、一般紙のYかMが好みです。家ではAだからわざわざそんなとこで読まないし、正直言ってAは好みじゃない。

 新聞の取り方、確保の仕方でその人の育ちと言うか、人間性が見えるような。タチの悪いのは、一人で2紙以上確保してるオヤジ。普通の会社幹部みたいな感じの人でも、そのようにする人がいるのだが、他人の迷惑などには無頓着なんでしょうね。そのくせ「今の若いやつは」とか、世間に不満たらたらという顔つき。お前だよ問題は!
 一紙しか確保して無くても、それを横に置いて自分の持込の本を読んでいるやつもいる。こういう連中って、わかりません。どうみても、自分さえ良ければの連中だ。
 これも良くわからないのが、読み終わって他の新聞を取りに行くのだが、他に新聞が無いと、自分の持っていた新聞をそのまま持って帰ってきて、また広げるおっさん。読み終わったんとちゃうんかい?

 自分はみょーに気ー使いなところがあるのか、そういうのが非常に気になってしまう。そういえば、お店に客として入っているのに、店員が他のお客へ不手際をしたときも、自分が申し訳ないような、妙に気になってしまう。なんとなく会社時代に幹事が多かったのでその特性か?

 柄本明さんも店内でよく会うけど、あの人は新聞は読んでないな。だいたい台本みたいなものを読んでいる。自称アートディレクターという感じのおっさんもいて、ちょっといっちゃってるかな?という雰囲気。いつも、同じような一枚のコピーを机において、それを検討しているような仕草。そして「よし、これで行こう!」と言う感じで、宙にペンを走らせるようにスラスラスラ~♪っとやる。いっちゃってるというか、そういう業界人なんだどー、と言いたげに。

 午前中の喫茶店は人間観察の宝庫。特殊すぎて、あまり参考にならないが。


歯医者にて  (2002.10.6)

 久しぶりに歯医者に行きました。この界隈は歯医者の激戦区で、駅周辺だけでも10軒以上はあるでしょう。美容院と歯医者は必要以上にあります。

 今回は以前にかぶせた金属が取れたのでその治療に。前歯は健康で強いのですが、奥歯は一本のブリッジを含めすべて金属がかぶっている。子供の頃から虫歯だらけで。。
 ある歯医者に言わせると、どんなに磨いても虫歯になる人はなるもんだと。そういえば、よく虫歯なしで表彰されたりする人って、大してしっかり磨かない人だったり。虫歯になりやすい、なりにくいというのは、性格が結構影響するそうだ。
 楽観的な人は比較的なりにくく、神経質でしょっちゅう磨いているけど悲観的な人はなりやすいとか。あくまで傾向だけど。原因として、楽観的な人が分泌するホルモンか何かの関係で、虫歯菌が繁殖しにくくなると聞いた。もっとも、この話を聞いたのは10年近く前なので、今はまたどうなっているか。

 ところで、こんなことを書こうと思ったのではないのだ。いつも歯医者へ行って悩むのが、治療を受けている間、目をどうするかだ。開けたほうが良いか、閉じたほうが良いのか?
 以前は、あんぐり口をあけて目は見開いていた。眼のやりどころに困るので、天井をあちこち見ながら、なるべく医者と眼が合わないように。

 数年前から、それもおかしいかな?と、眼を閉じたりする。でも、それもなんか変なのだ。「お任せするわ、うふん」みたいで。
 もっとも、昔と違って、今の治療台は水平以上に下がってしまうので、眼が眠くなるというのもある。考えすぎて、今回も目をあけたり閉じたりと、なんだか疲れてしまった。

 歯と言えば、自分は犬歯がかなり鋭いらしい。人に言われるまで気づかなかったし、見慣れてしまったので、言われても良くわからないが。
 そういえば、口の中をよく噛むし、噛み方も半端じゃない。ざっくりと音がするくらいに噛んで、犬歯で噛んだときなんか、噛んだ肉の上下に穴があくし。そんなに力入れて噛むからだ、とも思うが。。
 ちなみに、アルミ缶だったら、犬歯で食い破れます。マジです。犬歯をアルミ缶に突き立てると、パカっと穴があくので、そのまんま缶をまわすと、スーっとアルミ缶が切れる。さすがに最近はそんなことはあまりやらないが。(あまりってことは・・・)


物の生命(いのち)  (2002.10.8)

 昔から物持ちは良い方だと思います。物を大事にする、というより、捨てられないというか。捨てられないというのも、もったいないからではなく、捨てるに忍びない場合が多い。
 ほぼ原型を留めて手元にあるものでは、小学校の時に買った「科学と学習」の付録。巻尺と、地図の上の距離が図れる計測器が一体になっているもの(最近「科学と学習」で育った大人の間に、あの付録のブームが起こっているようですね)。カッターも、おそらく小学校のときに使っていたものが、いまだに現役。そういう細かい道具はけっこう現役で長いこと使っているものが多いですな。

 「捨てるに忍びない」というのは、まだ道具としての天寿を全うしていないのに、捨ててしまうのは忍びないと言うことです。きわめて安物のプラスティック製の籐編みをかたどったクズカゴも、20年以上直して使い、クズカゴとしての現役を退いた後も、別の用途で働いてもらってます。

 最近は作り物をするのに、いろいろな珍しい工具なんかも買いますが、買ってみたもののほとんど自分の用途としては使わないとわかったときなんかは、買ってしまって本当にすまなかった、なんて思います。
 その道具は、道具として使われて活躍するために生まれたのに、無意味に買ってしまったことによって飼い殺し状態になるから。そういう時は、その道具が不憫です。
 だから、何とかして使える方法を模索したり、使う人がいたら、高価であってもただ同然であげたりします。まあ、その道具に対するせめてものお詫びでしょうか。
 素人用ではなく、職人が使うくらいの本格的な道具を買ったものの、使わないなんて事になった場合は、さらに輪をかけて、きわめて申し訳ない思いです。

 使うだけ使って、もうどうにも使用に耐えないくらいになってしまって、やっと引退していただきます。でも、そこまでがんばってもらったら、今度はむやみに捨てるのが忍びなくなる。というわけで、天寿を全うした後に、段ボール箱の中なんかに眠っているものも多い。


カブレラよ、甘えるな!  (2002.10.10)

 プロ野球に興味の無い人は、大して面白くない話だと思います。

 10月10日現在、西武ライオンズのカブレラ選手が、本塁打日本記録タイの55本で足踏みをしています。ご存知の通り、昨年の近鉄バファローズのローズ選手に続き、今年もダイエー王監督が巨人での現役時代に樹立した55本の日本記録で足踏みしています。
 昨年のローズ選手の場合は、記録よりもチームの勝利を優先する姿勢が見られたし、実際本人もその気持ちだったと思います。そして明らかに記録阻止の四球攻めに遭いました。
 今年のカブレラ選手は、優勝が決まるまでは記録より勝利の姿勢だったと思う。ところが消化試合になって、その姿勢は一変した。別にプロなんだから、それはかまわないのだ。問題はその意識だ。
 彼は「ストライクがくれば、ホームランを打てる。ストライクを投げて来い!」と、要求しているのだ。これはとんでもないことで、相手に八百長を要求しているのと同じだ。「ホームランできる球を投げて来い!」と言っているのだ。

 そもそもカブレラの場合は、四球攻めに遭っているわけではない。ここ数試合でも、3打席以上は打っている。一試合1、2個の四死球など、四番打者として当然の結果だ。本人が意識過剰で本塁打を打てないだけなのだ。
 相手チームの攻め方を見ても、記録阻止の四球攻めではなく、野球の勝負のセオリーでの四球だったりする。それを「ストライクを投げてこない!」なんて非難するのは単なる駄々っ子だし、草野球レベルの意識だ。王監督の記録が偉大なのは、カブレラ以上の四球攻めに遭いながら、真剣勝負の中で記録を樹立していることだ。

 別に外国人選手に記録を破ってほしくないのではない(王さんも台湾籍だが)。いつまでも、古い記録を大事にするより、新しい人に記録更新をしてもらったほうが面白い。まあ、もう数年前から、日本のプロ野球には興味を失っているが。しかし、今のカブレラに記録を破られるのは、単なる数字だけの記録更新でしかない。歴史に名前を残すだけの資質が今のカブレラには無い。
 仮に今季、日本記録を更新しても、今の程度のプロ意識であったら、おそらく数年で尻すぼみで消えてしまう気がするのだが・・。

 近年プロフェッショナルは、古い時代にもてはやされた「根性」論だけでは、やっていけないと言うのは誰でも承知している。しかしどの分野でも、本物のプロフェッショナル意識を持てないものは、どんなに技術に優れていても、プロの世界では一過性のものに過ぎないと思っている。
 これまでも繰り返された、記録更新阻止のための四球攻めは、毎年のように非難の的になる。しかし、今年のカブレラのように、相手に八百長を要求するかのような態度も、大いに非難されるべきだ。


寝つきが悪い  (2002.10.12)

 寝つきが非常に悪いんです。寝ようと思ってから、30分~1時間かかるのはザラ。「寝ようと思って」というのは、夜すっかり寝る体勢を整えて、電気を消して、布団に入って「さぁ、張り切って寝ますよ。」という状態です。単なるうたた寝だったら、けっこうコロッっと寝るのに。

 おそらくと言うか、間違いなく「寝る」ことを意識しすぎているのです。寝つきが悪いとわかっているので、なおさら意識過剰になる。よくそういう時は、「寝よう寝ようなんて意識せず、リラックスしたらいい。一晩くらい寝なくたって死ぬようなことも無い」なんてアドバイスがあったりしますが、あれほど役に立たないアドバイスも無いですな。本人はそんなことはわかり切っているのです。意識したくないのに意識してしまうのだ。意識するなと言えば、余計に意識するものなのだ。だいたい、意識しないなんてことができないから、困っているのだ。
 神経的な症状にまでなってしまうと、医師の処方により睡眠薬を使うという手もある。でも今までに聞いた対策で、おそらくもっとも無害で有効なものは次のものだ。

 不眠症の人にある人が「この薬を飲むと、目がさえて眠くなくなるよ。」と言って、まず、この薬を飲むことをすすめた。その薬はまったく薬効の無い成分で作ったダミーの薬だった。どういう納得のさせ方をしたのか忘れたが、夜その薬を飲んだら、コロッと寝てしまったと言う。眠れない薬を飲んだことで、眠ることを最初から意識していないので、まったく寝ようなんて思わないことが、逆にリラックスさせて眠ってしまったのだ。
 で、自分はひどく寝つきが悪い。寝よう寝ようと意識しすぎる。もっとも、そのことでひどく苦しんでいる人ほどではない。寝つきが悪くて困っている、という程度なのである。

 眠りに落ちるタイミングを逃す、ということがたまにある。タイミングを逃して目覚め、そのまま眠れなくなってしまうのだ。そういう時は時計の進みが速い。眠れなくて、1時、2時、とドンドン夜はふけていく。

 もう、十年くらい続けている入眠儀式として、寝ながらの読書がある。だいたい表に出るときは必ず本を持っていくが、寝るときとは違う本のことが多い。妙に頭を使うものを寝る前に読むのは逆効果だし、だいたい内容が吸収できなくてもったいない。
 寝る前に一番良いのは、椎名誠氏のエッセイだ。中でも文春文庫の「新宿赤マント」シリーズが良い。週刊文春で連載されている「新宿赤マント」の単行本化されたものだ。何より、まったく頭を使わなくて良い。ひとつひとつのエッセイが、短い。内容が無いのにほどよく面白い。・・・寝る前には最高だ。
 そのような、本を読みつつ、睡魔が襲ってくる。面白いのは、睡魔と言うのは突然襲ってくるのだ。徐々に眠くなると言うより、ある時フッと眠くなる。
 読みながら、睡魔が頭の先から始まって、つま先まで電気のように「ビクン!」と走る。そうすると、枕もとの100W白熱灯を消してオネムである。(枕もとに100Wと言うのも、考えものだが)

 この「ビクン!」のタイミングを逃したときも、その後眠りに落ちるのに苦労する。タイミングが悪いと言えば、入眠に適した本を何日も調子よく読んでいて、次の朝は早く起きなければいけないからしっかり寝たい、というときに限って、その前の日に本を読み終わってしまって、次に読む本がいまいち眠りにくい本だったりする。
 これらの入眠用の本は、読んでいて何時の間にか寝てしまっているのではなく、ちゃんと内容は頭に入って読んでいる。睡魔が襲ってきて、寝るときも、キリのいいところまで読んでから寝るから、次の日にはちゃんと続きがわかっている。

 また、寝る前の電話と言うのもいけない。寝る前に要件以上の内容の話なんかすると、脳が刺激されて眠れなくなる。
 以前、名刺はすべて手書きで作っていたことがあって、電話番号のところに「0:00までOK」と書いていた。これは、12時くらいには寝たいからであったのだが、その名刺をもらった者で、12時にかけてくるのが多かった。0:00までOKと言うのは、12時まで話はOKのつもりだったが、皆さんは12時までは電話をかけてきてもいいと解釈するようだ。でも、考えたらそうだなぁ。それで、その次からは、23時までOKにしていた。まあ、ほとんどだれも頓着してくれなかったが。

 かくして、どのように寝つくかということに、何年もの試行錯誤をしたのだった。朝、どうやって快適に起きるかというのも、何年もかけて実験の結果、定着した方法があるのだが、それは長くなるので、また別の機会に。。

 それにしても、寝つきの恐ろしくいい人もいるわけで、予想通り長嶋茂雄さんは、ひどく寝つきは良いそうだ。目を閉じて次に目を開けたらもう朝になっているというくらいに。逆に王さんは寝つきが悪かったと言う。この二人の対比はよくわかるなぁ。

 友人の主婦には、朝、眼がさめたら布団を敷く体勢だったという人もおり、要するに布団を敷く途中で寝ているのだ。モンゴルでのキャンプでも「おやすみ~」と言った瞬間にもう寝ている女の子もいたとか。こいつら、人間じゃねえ!!


寝起き  (2002.10.14)

 今度は寝起きについて。
 寝起きは悪いほうだと自覚していた、学生時代から。でも学生時代は親が起こしてくれるもんで、起こされてもまた寝てしまうだけで、こういうのは寝起きが悪いとか言う以前の問題で。
 社会へ出ると同時に地方支店赴任になり、一人暮らしを始めたら何の問題もなく時間には起きれたので、起こしてくれるから甘えてただけのことで・・・。

 起こされていたころでも、目覚ましが鳴る瞬間をだいたい察知している。目覚ましが鳴る瞬間と言うのは、デジタル式でなければセットされた時間に針が差し掛かった瞬間に、微妙な音がする。目覚ましが鳴る数十分の一秒前のことです。
 しっかり寝ていたのにそれを察知して、でぇーっ!!!と手がストッパーに伸びて、目覚ましが数百分の一秒しか鳴らずに止めると言うことがしばしばあった。で、止めたら寝るのです。

 しかし、そもそも寝起きの良い悪いって、どういうことを言うのかと、ふと考えてしまった。分け方としては、まず体質的なものと性格的なものに大別されるように思うのだが。「精神的なもの」と書こうとしたが、たいがいの場合は、そんなたいそうなことでなく「性格」の範疇ですな。
 体質的なものでは、低血圧とかいろいろあるでしょう。気持ちは前向き(?)なのに、身体がついていかないという。性格的なことは、耳の痛い人が大勢いると思うので、あえて書くまでもアルマイ。

 ここで、寝起きのいい悪いという基準を考えるに、どの程度のものが良くて、悪いのか?一応ちゃんと起きるには起きたのだけど、身体がいつまでもシャンとしないとか、頭がボーっとしたまんまだとか。こういう人は多いが、果たして、こういうのは寝起きが悪いと言っていいのかどうか?それ以前に布団から出られない状態もあるわけで、こちらは明らかに寝起きが悪いのだから。

 もう、朝は早朝からすっきりお目覚め、早起きのスズメさんたちとさわやかにご挨拶、なんていう田中星児人間は、国宝級の目覚めの良さだが(今時知らんか)。森田健作も5時には起きていて、でも「朝は友達がいない」と嘆いてたな。親友の京本政樹に朝5時に「なんだ!まだねてるのか!?」と電話してヒンシュクをかっていたとか。

 自分も一応、時間には起きるものの、すっきり快適にお目覚めとはいかない。そこで、どうしたら、気持ちよく目覚められるのか、というのを試行錯誤した。20歳前のときから、5年以上研究を重ね、今の方法にいたっている。
 最初は誰でも考え付くであろう、音楽を使って起きる方法。朝、目覚めたい時間の前にタイマーで音楽が流れるようにするのだ。ステレオで普通に部屋に流すと言うのは、けっこうウルサイし、音が散漫な感じがする。そこで、枕もとで効率よく聴こえるようにスピーカーを工夫した。いらないラジオのスピーカーを取り外し、昔ながらの電気スタンドの蛇のような金属の蛇腹風のネックと組み合わせて、ベッドの頭の部分に取り付ける。ちょうど、ピンポイントで音楽が耳に入るように、スピーカーの方向を調整するのだ。
 それで、試してみた音楽は、朝聞くのにさわやかで元気の出るのが良いだろうと、当時好きだった中島みゆきの「時代」を使ってみた。確かに朝聞くのは気持ち良いが、やっぱり毎日聞くわけにはいかないし、いまいちだった。
 そこで次はクラシック。FMラジオにセットして流すようにしたのだが、これは大失敗。いったん音楽で目覚めた後に、聞きながら寝てしまうのだ。
 ここで、この実験で最初から排除した方法は、目覚ましを二つ三つと鳴らすと言う方法。どうしたって、不愉快だからだ。

 そんなこんなで、現在まで勝ち残った方法は、起きたい時間の少なくとも30分前にはラジオのスイッチが入るという方法。押さえに一応、電子目覚まし時計はセットしておく。ラジオを使う場合どの番組を用いるかと言うのが重要なのだ。大阪にいたころは、その時間帯にFM大阪で岡村孝子がDJを毎朝やっていた。もちろん録音だが。あの人の声とか雰囲気が好きなので、これはとても良かった。
 東京へ帰ってからは、最初は主に文化放送を使っていた。ちょっとバラエティっぽいニュース番組があった。でも、それも何となくせわしなくなってきた。(DJが小倉智明氏だった)

 結局たどり着いたのが、NHK総合。朝と深夜のNHKはなんだか当り障り無くて気にならなくていい。朝もウトウトしているときに、当り障りの無い内容の正しい日本語は耳に心地よい。今も朝はNHK総合ラジオと決めている。音量の調整が難しく、夜寝る前にやっと聞き取れるぐらいが寝起きの耳にはちょうど良かったりする。

 ただ、ちょっと早く起きたいときには注意が要る。6:30~40の間は絶対に避けなければならない。この時間は、あの朝から元気いっぱいのラジオ体操なのだ。ウトウトの頭にあの油の乗ったラジオ体操のお父さんのキンキン声はどうにもいけない。うっかりその時間にセットしてしまったり、タイマーの時計がちょっとずれてて、6:40にしたつもりが、実際は38分で、体操に差し掛かっててしまったときは最悪である。
 あのラジオ体操は、毎日生放送でやっていると知ってとても驚いた。毎日どこかの町で人を集めてやってるのだなぁ。^^ しかも、先代の体操のおじさんが、友人のそのまた友人のお父さんだと知って、また驚いた。

 かくして、今夜もタイマーをセットして、当り障りの無い本を読みつつ睡魔を待ち、明日の朝、当り障りの無いNHKで目覚めるのだった。


DoCoMoビルの時計版  (2002.10.16)

 新宿駅南口のタイムズスクエア、そのさらに南にNTTDoCoMoのビルがある。エンパイアビルのような形だが、もともとは鉄塔の予定だったそうだ。DoCoMoの電波塔のために鉄塔を立てる予定だったが、鉄塔では景観を損なうのでビルにしたと聞いた。
 けっこうあのビルのデザインは評判が悪いみたいです。あの形が、あたりの景観にそぐわないと。でも、あのようなビルを建てたかったのではなく、鉄塔をビルにしたので、致し方ないかと。自分はあのビルは嫌いではありません。何とかして、絵にしようと思いました(絵にならなかったが)。

 さて先日、タイムズスクエアの中の東急ハンズに行くために南口で降り、歩いて行った。方向的に、DoCoMoのビルを正面に見て歩いていくことになります。

DoCoMoビル ふとビルを見ると「??・・・!!」。ビルの上のほうに巨大な時計版が備え付けてある。以前はそんなものは無かった。何の目的でつけたのか?あのスペースが空いていたから、サービスと、眼をひかせるためなのか?
 アイディアという点では、一つの可能性として考えられなくは無い。でも非常に気に入らない!何が気に入らないって、デザイン的に野暮ったい。もっと、デザインのしようもあっただろうに、、というのは個人的な好みであって、その辺の意見はさまざまでしょうが・・・。
 そして、何よりも気に入らないのは、確かに現代の技術なら、あの程度のことは可能だろう。でも可能だからって、やるべきではないこともあるのだ。そう、時計など取り付けるべきではないと思っている。
 写真では小さく見えるが、実際はかなり大きい。大きさから言うと、時計の一番上面の長針の重さは5kgや6kgじゃあないだろう。あの大きさなら紙で作っても数kgは下らない。高さは優に200mはあるんじゃないか?そんなところから、たとえ1kgでも落ちてきたらどうなると思っているんだ?
 もちろん、技術的にあらゆる安全策を考え、強度的にも問題ないと確認して取り付けたのだろう。でも、外れて落ちる可能性はゼロではない。
 外的な要因が何も無くても、材質の疲労や思わぬ崩壊で落ちる可能性はゼロではない。その上、台風などの自然災害での破壊は大いにありえる。時計の針の形からして、プロペラのように長く平べったく、風にあおられやすい。その場合の強度も考えているのだろうが、そのような外圧がかかれば、崩壊の危険性は一気に高くなる。

 先日の強大な台風で高圧線の鉄塔が折れ曲がったのは記憶に新しい。でもあれは必要不可欠な施設であり、通常考えられる外圧より高い強度に設定したにもかかわらず、それをはるかに上回る力がかかってしまったゆえの崩壊だ。まあ、基礎工事などに手抜きか、うそがあった可能性もあるかもしれないが。
 DoCoMoの時計の場合は、あっても無くてもいいものだ。無くても良いのにアソビでつけたものだろう。それを、一歩間違えたら大惨事になるようなものを、取り付けて良いと思っているのだろうか?自社ビルだからといって、何をしても良いわけではない。あのように大きなビルなら、たとえ中に自由に入れなくても、周りに与える影響で言えば、一種の公共ビルである。やって良いことといけない事はちゃんと考えてやらねばいけない。

 自分は建築学科出身だが、もちろん学校で学んだ建築などたかが知れている。建築は無人島みたいな場所で、周りにまったく迷惑が及ばない状況でもない限り、自分勝手なデザインや構造物を建てていいとは決して思わない。たとえ建築基準法上問題がないとしてもだ。法律は最低限のラインなのだ。そこから先は、施工主と建設業者の良心の問題か。
 どのような建物でも、そこに住んだり利用する者が、安全で快適に過ごせるのはもちろん、その建築物の周りに対しても、安全で快適な状態を提供するのが基本だと思っている。もっとも、学校ではそんなことは一部の教師しか「ほのめかさない」。はっきり言って世間知らずなために、そういうことが頭に無いであろう教授や講師も多いし。

 DoCoMoビルの場合は、わざわざ時計をつける必要なんかないし、無くてもいいものを危険を冒してまでつけてはいけない。あらゆる面から考えて、とっとと撤収するべきだと、ビルを見上げて歩きながら思ったのだった。


苗字あれこれ   (2002.10.18)

 日本人の苗字、全部で3万種類くらいあると聞いた(3千の間違いだったかな?エライ違うゾ)。先祖代々のものもあれば、新しく作ってしまうものもある。帰化した人の苗字なんかはそうですね。けっこうアバウトに新しい苗字が作れてしまうみたいです。
 帰化するわけじゃなく、元から日本人の苗字をもっているのに変えることも出来ます。ただしよほどの理由がある場合で、前に本で読んだのは「屁」さん。いや、漢字は違ったかもしれないが、とにかく「へ」さん。あまりに語感が悪いので、苗字を変えることが認められたとか。
 地名でも語感が悪いから変わったというのはありますね。代表的なところでは、北海道の「千歳」。もともとはアイヌ語に当て字した「支笏(しこつ)」だったけど、「死骨」みたいだから「鶴は千年」をもじって「千歳」。

 さて、ワタクシ伊藤は藤原の末裔ということらしいですが、苗字をどうやって決めたかは、そのときに住んでいた場所や状態というのもけっこうあります。地名をそのまま苗字にしたり、村の北に住んでいたから「北村」とか。それで特殊な苗字がある地方に集中していたり、ということもあるのでしょう。
 面白いのは「状態」「位置関係」「数量」を示す語が使われている苗字は、ほぼ間違いなく、相対する苗字があるそうです。高田⇔安田、大田⇔小田、太田⇔細田、などなど。「高」に対して「安」というのは「価値」を対比させているようですね。「低田」という苗字は聞いたことが無いし(あるのか?)。
 昔、広島カープに「外木場(そとこば)」というエースがいましたが「内木場(うちこば)」もあります。そして、対比する苗字がある場合、たいていはその中間に「中」がある。中田、中野、中橋、中山、・・・・。
 そういえば、距離関係を表すものもありました。遠田⇔近田とか。
 では、天野に対するのは何なのか?地野さんているのかな?それとも、もうちょっと発想を変えたほうが良いのか・・・。重田に対するのも、よくわからない。軽田さん?

 小・中学校のときの同級生に「悪原(あくはら)」というのがいた。きわめて珍しい名前だと思う。これも逆は良(善)原というのがあるのか無いのか、わからない。いろいろ、あるのかないのかわからないと疑問を書いたが、要するに調べてないのだけど・・^^。

 かように、苗字の対比関係を探して考えてみるのも、けっこう面白いものです。

雑記帳6< エッセイメニュー >雑記帳8