赤塚不二夫  (2008.3.16)

 もう、この人を知らない世代もかなり増えたんでは?かつてのギャグマンガの帝王だったのだけど。ま、赤塚不二夫を知らない人でも、赤塚氏が生み出した漫画キャラは世代を超えておなじみね。

 自分は小学校の頃は漫画家志望だった。最初になじんだ漫画は藤子不二夫のパーマンやオバQだったけど、その後におそ松くんにはまった。と言ってもリアルタイムでのおそ松くんではなく、やや遅れている。当時は少年サンデーに連載されていたのだけど、おそ松くんに最初に触れたのはそれが単行本化されたものでだった。おそ松くんにはまったときは、もう連載は終了していたかと。それからはおそ松くんの単行本はもちろん、赤塚氏が描いたものは何でも欲しかった。自分の中での絶対的な存在だったのだ。

 おそ松くんや天才バカボンなどのコミックを見ていると、同一人物、つまり毎回赤塚氏が描いているにしては画風が違いすぎる、という疑問を子供ながらに持っていた。その謎が解けたのはつい数年前。たくさんの連載や仕事を抱えて超多忙な赤塚氏の連載漫画は、赤塚氏本人とフジオプロの漫画家やアシスタントが持ち回りで描いていたのだった。といってもだましていたのではなく、赤塚氏は「赤塚不二夫」の仕事は自分一人のモノではなく、フジオプロを始め編集者など、関わった人みんなのモノだという意識があったそうな。その代表として「作・赤塚不二夫」の名前を冠していたという気持ちだったらしい。そもそも、赤塚漫画のキャラクターは、すべて赤塚氏が生み出したモノではなく、アシスタントやブレーン、友人や編集者が作ったモノも多い。表向きはすべて赤塚氏の創作物だけど、本人もそのつもりはないだろうし、みんなで作ったという気持ちだったみたい。だから無茶苦茶な生き方をしているにも関わらず、氏を慕って集まってきたり、一緒にすごい仕事をした人がいたのだろう。
 赤塚氏は、新しい才能や人材をどんどん表に出すこともしていたようで、そういえば、フジオプロやまわりから育っていった漫画家等が異常に多い。反して手塚治虫氏は閉鎖的で嫉妬深く、虫プロのアシスタントもあくまでアシスタントなのであった。虫プロや周りから世に出た人材もほとんどおらず、新しい芽をつぶす行為をよくやっていたようだ。その屈折した精神が、すごい漫画を生み出した原動力のひとつでもあるんだけど。

 赤塚不二夫氏は、もう数年前から昏睡状態のまま入院している。赤塚氏の元編集者の本で知ったのだけど、離婚後も後妻と前妻がとても仲がよかったのだという。赤塚氏はどんな人かと聞かれると、二人とも声をそろえて、どうしようもない幼稚園児、だと言って笑う。

 小学校の時、初めて買った漫画の単行本が「おそ松くん全集・第20巻」なのである。それを含む全集24巻はまだ本棚にある。もうボロボロのモノが多いのだけど、一生処分できそうもないなぁ。


笑点  (2008.3.26)

 チャンチャカチャカチャカスッチャンチャン パフ♪
と、日曜夕方の風物詩なのである。知っている人も多いと思うが「笑点」というのは、開始当時に大ベストセラーになった「氷点」をパロっている。意外にも、初代の司会者は立川談志だったらしい。自分が観て知っているもっとも古い司会者は放送作家の前田武彦氏で、その後長い期間が南伸介氏。このときが一番おもしろかったかなぁ。観ていたのは小~中学校の頃だったけど、歌丸さんやほかのメンバーも特徴的で生き生きしていたし、回答も落語家のプロの面目躍如のモノが多かったような。
 最近またちょくちょく見てるけど、文字通り日曜の風物詩として観ている感覚か。おもしろさという点では、今の笑点はおもしろいとは思わない。大喜利の回答も明らかにレベルが低い。やっつけ仕事的な回答が多く、見苦しいのは他のお笑い芸人のギャグを流用することが多い点。

 一時期、十数年ほどまったく観なかったのだけど、それはラジオ番組にゲスト出演していた笑点の放送作家が、大喜利の問題も回答も全部自分が作ってます、と暴露したからだった。ラジオで聴いたのか、そのようにしゃべっていたというのを何かで読んだのか、記憶は定かでないけど。それを聴いて馬鹿馬鹿しくなったのだ。数年前に新聞のインタビューで歌丸さんが言っていたところでは「大喜利はすべてぶっつけ本番の真剣勝負です」って事だったので、以前のがガセだったのか、やり方が変わったのかなんなのかは、全くわからない。でも今でも、どうみても事前に打ち合わせがあったとしか思えないやりとりはよく見られる。あうんの呼吸とも思えないし。

 番組中ではバカキャラの喜久蔵さん。今の木久扇さんね(おお!昨年襲名なのに一発変換できた!さすがATOK)。笑点の最初からのレギュラーだったと思うけど、真打ちになりたてだったはず。いつもくだらない回答を連発するので、視聴者から番組へ「喜久蔵さんって本当に真打ちなんですか?」ってお便りが来たことがあった^^;
 自分も笑点の喜久蔵さんしか知らなかったけど、あるときラジオで落語を途中から聴いていた。最後に「林家木久蔵さんでした」とアナウンサーが言ったので驚いた。何となく声には聞き覚えがあるとは思っていたけど、笑点の時とはまるで違う、口もなめらかでテンポもよく(って失礼な言いぐさだな^^;)、なんだか喜久蔵さんを見直してしまったのだった^^;
 そういや小生、昨年ペンギンの解説書を出したンだけど、ペンギン各種と小学一年生をイラストで並べて、身長比較をしているページがある。当初、比較する人間を林家木久蔵さんにするのはおもしろいのでは?と提案し、編集者も乗り気になった。その後話は立ち消えになったけど、ま、やっぱりそのまま実現していたらちょっと内容的にアンバランスにはなっていたかも・・・。


エレベーター  (2008.4.4)

 日本初のエレベーターは、1890年に浅草凌雲閣に設置された。12階建てのうち8階までに設置されていたのだけど、あまりに故障が多く翌年には廃止されたという。

 自分が初めてエレベーターに乗ったのがいつどこでだったのかは、もちろん覚えていない。エレベーターが珍しかった時代でなければ、覚えている人はまずいないでしょうね。
 ただ、生まれ育ったこの下北沢近辺で初めてエレベーターが登場したのは覚えている。南口商店街の中間あたりに現在は丸井アウトレットがある。40年近く前に下北沢に丸井が登場したのが同じ場所なのだけど、そのときに店内奥にエレベーターもついていた。たかだか地上2階の建物なのに。長い間この近辺では、5~6階建ての建築物が最も高い部類で、2~3階建てのスーパーでもエレベータのないところがほとんどだった。丸井ができたのは小学校2~3年の頃だったと思う。店内にエレベーターがあるのを知って、しょっちゅう友人と乗りに行っていた^^;;
 もちろん、エレベーターに乗ったのは初めてではなく、新宿や渋谷ではエレベーターなどは珍しくはなかった。ただ、自分の地元に自由に乗れるエレベーターがあるということが、妙に珍しくてうれしかったのだと思う。1階と2階を往復するだけだからあっという間なのだけど、週に2~3度は丸井に行っていたような記憶が。その近くにあったスーパーは地下1階地上3階で、階段とエスカレーターのみ。ただし裏に業務用のエレベーターはあったので、丸井のが下北沢初のエレベーターというわけではなかった。
 丸井は数年で営業をやめた。その後10数年以上、その土地は閉店した建物のまま、何も営業されずに閉じられたままだった。そして久々に丸井が客のターゲットと商品を変えた店舗を再開したが、それもわずか1~2年しかもたなかった。現在はアウトレット店として何とか営業を続けているが、どうも下北沢の客層と丸井が合わないのではないの?という感じか。それともたたられた土地なのか?^^; 丸井以前はなんの場所だったのかは、全く覚えていないのだけど。

 丸井に下北沢初めての、利用できるエレベーターが設置されて以後も、長い間ほかのところでエレベーターはつかなかった。北口の大丸ピーコックが7~8年前に改装されたときにエレベータが設置されたのだけど、なんだか地元としてはとても珍しいモノのような印象を持った。「ここもやっと」という印象というか。
 駅の北口と南口を行き来するには、踏切か2階の改札横を通らねばならないのだけど、この駅にエレベーターが設置されたのもわずか5~6年前だったか。あまりに古くしかも迷路のような駅舎で、10年かけて改築の途上なのである。


シューマイ  (2008.4.9)

 中華食堂なんかで「焼売」って漢字を見ると、即座に「シューマイ」って読めるんだけど、全然違うところで「焼売」を見ると、一瞬「あれ?なんて読むんだ?」って思いません?^^;
 書くときも、普通は「シューマイ」って書く人が多いだろうから、漢字で書こうと思っても「あれ?どう書くんだっけ?」と。


ラジオのニュースで  (2007.4.14)

 夜、本を読みながら、何気にラジオニュースも聴いていた。

 「今日未明、~~~~で、帰宅したところ部屋が荒らされた跡があり、調べてみると机の引き出しに入っていたはずの預金通帳が無くなっているのが見つかり、すぐに警察に通報しました。~~~~」

 「無くなっているのが見つかった」って、よく聞くニュースの読み方だけど、考えたら日本語がすごくおかしいだろ。「無くなっていることがわかった」の方がまだ自然では。


成果主義  (2008.4.20)

 明け方に、今までに見たことのない夢を見た。自動車販売代理店で働いている夢だった。最初の展開ではバイトか派遣社員の立場だったみたいで、仕事は和気あいあいとやっているような感じだった。
 ある日(ここからは社員になっている展開のようで)出社すると、後輩がニコニコというかニヤニヤしながら「おめでとうございます」という。なんでも、営業成績がトップだったというのだ。つまり、そこの店舗での売り上げ台数トップだと。
 成績を示した棒グラフのようなモノを見ながら、「ふーん・・・??」となんとなくしっくりこなかった。夢の中では、売り上げトップと言っても、お客に売るときの最終契約書の手続きをした数が多かったというだけのことだったからである。それ以前にほかの社員が売り込んだり、交渉していても、最後の手続きをした者の売り上げに計上される方式になっているのだった。「それでトップと言われても・・・」と腑に落ちなかったのだった。
 そのあたりから、半分意識が夢から覚めていったのだけど、いつもより緩やかに覚めているというか、「成果主義」の意味を考えながら意識が現実に戻っていったという感じだった。
 現実の売り上げ成績は、そういう決め方なわけはないが、それでも誰かの成果にするというのは、どういうことなんだろう?と、うつらうつらと考えながら、なかなか眠りに戻れなかった。

 ひとりのセールスマンが、猛烈にセールスに邁進して顧客をどんどん開拓して、たとえば月間に30台を売ったとする。その30という数字が営業成績として認められるんだろうけど、そのセールスマンの成績だけにして良いのか?と腑に落ちなくて、うつらうつらと考えていた。
 確かに、一生懸命働いたそのセールスマンは立派としても、その行動を支える社内の目立たない仕事は無数にある。そういうモノの評価って、どのようになされるのだろうと。ショールームに来て新車なり新製品を薦めて売れた場合、その人の成果になるのだろうけど、お客はそのショールームの雰囲気の良さや店内の対応など、いろいろなモノがトータルでプラスに働いて購買意欲につながったりもするので、それを司った人達とのトータルの成果として考えなければならないのでは?と、うつらうつらと頭が思考していた。また、経理や総務など、目立たないけど社員を支えている仕事が、そのトップセールスマンがバリバリ働ける下地を作ってもいる、と考えられるし、なんだか「成果主義」という、現代では当たり前の評価の仕方が薄っぺらに感じてしまった明け方なのだった。


ゆがめられる和食  (2008.4.30)

 日本食が世界に広まるにつれて、海外でおかしな日本食が登場することを憂う声は多い。それで、正しい日本食かどうかを審査する基準も検討されたりしていたけど、そういうのもどうなんだ?という声も多数だったり。
 気持ちはわかるけど、日本食が一人歩きしてとんでもないモノが日本食と思われる事は、もうどうしようもないのではないかとも思うのだが。日本国内においてさえ、「言っているおまえの国はどうなんだ?」と言うモノが無数にあるし。
 中華料理屋は無数にあるけど、正しい中華料理を出している店が、どれほどあるんだ?そもそも正しい中華料理がどういうくくりなのかも難しいけど。カレーに至ってはほとんど日本食だし。先日「インド風カレー」というカレー屋の看板を見て、「これはかなりおかしい表現だよなぁ^^;」と悩んでしまった。「和風カレー」ならよくわかる。でも、元々インドからのモノなんだし。ジンギスカンがモンゴル料理だと思っている人はほとんどいないだろうし、韓国焼き肉も、元々は韓国ではやらない食べ方を日本が始めて、韓国にも逆輸入されたという事を聞いたこともあるが。

 今では日本国内でも普通に見られる海苔巻きの「サラダ巻き」とかも、アメリカ辺りからの逆輸入じゃなかったっけ?? そう考えると、時代とともに移り変わっているのが当たり前の言葉が少しずつ変わるのを「言葉が乱れている」と憂慮するのと、なんか似たようなモノもあるのではないかと思ったりするのだった。


権力者の陣頭指揮  (2008.5.16)

 中国四川の大地震が、連日ニュースで報じられている。中国内のテレビ報道では、いち早く被災地へ飛んで被災者を励まし、率先して救援活動を陣頭指揮する温家宝首相の行動を、これでもかと流している。救援隊も救援物資も届かずに、困り果てている被災者の状況は報道していないらしく、人民よりも海外人の方が悲惨な状況を良く知っているという、妙な状態だったり。
 温家宝に続いて胡錦濤主席も現地へ飛び、移動の機内での救援活動方針の打ち合わせのような話し合いが映し出されていた。「まず被災地までの移動路を即刻復旧せよ。その次は・・・・」の様に。これらはどう見ても人民向けのパフォーマンスが第一である、というのは海外には軽々とお見通しなのだけど。

 日本でも、大災害の時に総理が被災地に行ったり、大臣が訪れて関係各部門に指示する姿が報道されたりする。そういうときもいつも思っていたし、今回の中国首脳のその姿を見ていても、やはり違和感がぬぐえない。建前上、時の権力者が視察に行くのはまぁわかる。でも、彼らは災害救援活動の素人であるのは間違いないし、いちいち指示していることは「お前が言わんでも、救援隊や作業している面々には基本的すぎてわかっていることだろ?」と。もし、そのときの首脳たちの陣頭指揮があってこそなのだったら、なんとお粗末な救援隊だよ。ああいう姿を見ていると、かえって足手まといになりに行き、余計な時間と気遣いをさせるだけなんじゃないのか?といつも思うのだった。お偉いさん方が現地へ飛んだり移動したりする時間とエネルギーで、もっと有効な救援活動や救援物資の供給もできるのではないの?と。
 一応、関係各部門の総指揮者が最高権力者なので、自身が現地の状況を肌で知ってくるのは必要ではあるけど、なんだかいつもいつも余計なパフォーマンスが過ぎる。


丁寧な仕事  (2008.5.23)

 先日、雑誌向けのイラストを納品した。郵送する前にメールで出来上がりを添付画像で送っていたのだけど、その直後に郵送した原画を見た編集者から次のようなメールが来た。
「(原画をじかに見ると)メールで見るのとは、線の丁寧さ具合が全然違いますね。手が震えるほどでした。」

 これ読んで嬉しさと同時にちょっと目から鱗だった。「丁寧」にやっているつもりはなかったのだ。いや、いい加減にやっていたという事ではなく。
 そのイラストは、描くモチーフと掲載サイズの関係で、いつもよりやや描きにくいケースだった。掲載サイズが小さいのだけど、ポイントとなる部分も小さいので、原画も小さいと非常に描きにくかったのだ。それでせっせせっせとちまちまやっていたのだけど、それは「丁寧」にやろうという意志ではなく「ちゃんときれいに見えるように」「出したい雰囲気がちゃんと出るように」「下手に見えないように」やっていたのだった。依頼内容を100%以上カバーし、一般の読者には挿絵として楽しんでもらえて、同業者には「下手なんじゃないの?」なんて思われたくない、という思いもあったり^^;
 なので、結果的に「丁寧」になっていたのであって、「丁寧にやろうとした」のとでは、全然ちがうんだろうなと、妙な感慨があったり。どちらがより良いという意味ではなく。


薬局にて  (2008.5.29)

 先日、鼻風邪か喉風邪の微妙な軽い風邪をひいて、薬局に薬を買いに行った。買おうとしていた薬は、錠剤とカプレット(一発変換出来ないじゃん)の2種類があった。どう違うのか?と聞くと、パートっぽい女定員は
「錠剤かカプレットです」と言う。
だから、それをどう選択するのがよいのかを聞いてんだろ。
「効果は同じなんですか?」
「そうですね」
値段も違うから
「使用量はどちらが多く入ってんですか?」
「こっちは○○錠で、こちらは○○錠ですね」
だ・か・ら、それぞれ何回分入ってるのかを聞いてるに決まってんだろ!
その後も似たような「おまえはアホか」と言うようなやりとりをせねばならなかった。
 結局、えいやで錠剤の方を購入。マニュアルバイトより使えんぞ。

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