悪いのはどっち?  (2006.3.1)

 我が家も勧誘の電話が多い。明らかな悪徳業者もいれば、健全に勧誘している業者もいるようだが。あまりに多いので、NTTの迷惑電話遮断の契約をした。拒否したい電話がかかった後に144にかけて、しかるべき操作をするとその電話は以後拒否される。(解除の操作も簡単で、最大30件を登録できる。ナンバーディスプレイの契約をしていなくてもダイヤル回線でもオッケー)

 某電話会社から契約完了の電話がかかってきた。日中に母親が受けたモノのようである。よくわからないけど、お得なセットプランの契約のようだった。それで本人に確認の電話だったのだが、そんな契約はするはずはない。いや、電話の内容では契約したことになっているのだろうが、母親は断りたいときでも、はっきり言わず「後でかけてください」とかなんとか、その場だけを逃れる言い方をする。それに加えて、元々自分でしっかり考えてやる方ではないし、更にますます難しい事は理解できなくなっているので、内容を理解しているとは思えない。
 幸い、その電話会社の担当者もその点を理解してくれたので「それではキャンセルと言うことにさせて頂きます」と快く応対してくれた。

 こういうとき家族はたいてい怒るものであろう。曖昧に言わずに、はっきり断るときは断れと。でも冷静に考えれば、曖昧な断り方をするのは日本人の特質で、本来はそれほど責められるやり方ではない。「結構です」と断ったら「それで結構です」という意味として強引に契約をさせるというケースが以前にあったが、責められるのは金目当てのそういうやり方のハズ。

 最近は国内でも安心できないけど、海外旅行に出たときは、持ち物には厳重に注意してひったくりや置き引きに遭わないようにするのが当然で、そのあたりが緩い人は「甘い!」と、責められたりする。これも本来は、盗む側が悪いのであって、対策が甘い人が責められるのはよく考えたら理不尽ではある。
 ただ現実問題として、そういう注意を怠った行動をすると、ひどい目に遭うという悲しい世の中だと言うことなのだ。そうでなければ、注意の足りないのほほん人間は、周囲からほほえましく笑ってもらえる存在であれるのに。


突然の読書  (2006.3.3)

 もともと小さい頃から本が好きで、そのまま読書家になった人も多いし、ある日突然本を読み始めたという人も少なくない。自分は後者であった。

 自分が突然本を読み始めたのは、確か大学1年か2年の時だったか。きっかけは、畑正憲氏の「ムツゴロウの青春期」だった。なんかきっかけになる本としては、中学生のような感じだけど^^;。(うちの父親はずっと「畑(はた)」ではなく「佃(つくだ)」と勘違いしていた^^;)
 それまでは、普通の本を一冊完読するというのは、年に何冊も無かったような。そもそも学校の関係でどうしても読まねばならない本以外は、進んで読もうなんて思わなかった。なぜ畑氏の本を買ったのかはまったく覚えていないのだが、一気に読んだ。本そのものをまともに読むことが全くなかったのだから、「一気に」読むなんて事は初めてだったのだ。面白かったという読後感よりは、「(こんなに夢中になって本を読んでいるなんて)自分じゃない」という違和感の方が強かった^^;。その直後、畑氏の一連の「○○記」を読んだので、確かに畑氏の本が面白かったのだけど、「読書」そのもののおもしろさに目覚めた感じだった。

 そしてその後は猛烈に読んだ。それまでまったく読書なんぞをしなかった自分が、直後からの一年で100冊弱は読んだ。いろんな分野に興味があったので、もう読む分野はめちゃめちゃである。そして、その次の1月から記録をつけてみたのだが、1年間で120冊を読んでいた。特に速読を身につけているわけではないから、かなり濃密であったし、まぁそんな時間があったというか・・・。
 小さな本箱があれば自分の持っているすべての本が収まって、なおかつ他のモノまで収納して余裕だったのが、その後は本箱が足らない事態に。それで古本屋に本を売るという事も覚えたり。

 時々、自分の子供が本を読まないことを心配している知人なんかがいるが、大丈夫なんじゃないか?と言っている。そもそも、本を読まないと深刻な弊害があるのか?という問題もあるし、自分のように何かのきっかけで突然読み出すこともある。読書もひとつの嗜好なのだろうから、それほど心配することもないし、と思っているのだけど。


ビー玉  (2006.3.6)

 これは以前に雑記帳で書いたのだと記憶してるけど、検索してもどこを探しても無い。なので記憶違いなのか見つからないのか。ま、も一回書きまする。

 現在住んでいる家は20年ほど前に建て替えたもので、それ以前のは昭和初期に建てられたものらしい。なので、思わぬモノが縁の下にあったり庭の土に混じっていたりした。なぜか庭の土の中から、ビー玉がよく見つかった。おそらく昔に庭にばらまいてしまったモノが、そのままめり込んでいたのか。

 さて、大人が考える「子供が疑問に思いそうなこと」と言うのは、本当は全然そんな疑問は子供は持たないことが多い。以前、動物関係か進化論関係の一般書で『ツルはなぜ片足で眠るのか?』というタイトルの本があった。ある書評では、『タイトルを子供の疑問っぽくしているが、小さな子供は片足で寝ているツルを見たら「ツルは片足で眠るモノなんだ」とそのまま受け入れるのが普通で、それを疑問に思うことは少ない』というのがあって、なるほどと感じたものである。

 さてさて、庭の土にめり込んでいるビー玉を時々見つけた自分は、「ビー玉はこうやって土の中で自然にできるものなのか」と思った。ビー玉の中には綺麗な螺旋模様が入っているモノもある。そういうモノも、土の中で自然にできるものなんだぁ、と妙に感動したりしていた。妙に人工的な色合いや模様であっても、綺麗な球形をしていても、そういうところで良く見つけるので、そのままそう思っていたのであって、それが「おかしい、そんなはずはない、なんでだ?」なんて事は思わなかったのだった。んん、、、なんて無垢な少年なんだ(T-T)


初めての静物画  (2006.3.8)

 毎年出品している名古屋でのグループ展に、今回も出品する。良い作品の集まるグループ展に、普通のモノを出しても目立たなくてつまらないので、いつも意外性なモノを出している^^。

 さて今回は静物画を出すことにした。これにはいきさつがあって、企画進行中(これを書いている時点では企画会議等の最中)の色鉛筆技法書に載せるサンプル画に静物画を描いたのだった。自分が描いている絵はほとんどが風景画なのだが、初心者向けの技法書には静物画も欲しいと言うことでいくつか描いてみた。
 それまでは静物画にはあまり興味が無く、まったく描いたことはなかった。まぁ、「まったく無い」というとウソで、学校での美術の時間に描いたくらいのもんである。記憶にある、まともに描いた最後の静物画は、高校三年の美術で描いた絵なのだと思う。今のように本格的に絵を描くようになってからは、作品としては描いた記憶はない。(チョロチョロっと描いたスケッチがいくつかあるだけ)
 なので、必要に迫られて描いてみたのだけど、これがなかなか面白かった。技法書の中で解説を加えてサンプルとして描かせるモノなので、なるべく短時間で描けそうで、しかもそれなりに見えるモノを考えた。で、ミカンなんか割合身近だし、自分の色鉛筆技法でも簡単にそれなりに描けるのではないかと。サンプル用は普通のそのままの丸いミカンで、本の後半の上級では皮をむいて中身が出ているのを用意してみた。描いてみたら、これがとても良くて自分でも気に入ってしまった。
 問題は、自分の技法で皮をむいたミカンを描こうとすると、かなりこの技法に慣れて細々解説されなくても自分で勘で描けないと、ちょいと難しい。それで本用には使わずに自分の個展などの出品用にすることにした^^;。
 手始めに今回のグループ展にちょうど良いなということで出すことにしたのだった。

 自分で自由に描いてるだけだと描かないモノでも、今回のように必要に迫られて描いてみて、それで自分の絵の幅が広がるということは多い。次回の個展では、さらにさらに「一人グループ展」に拍車がかかりそうなのだった^^;;;。


電話  (2006.3.13)

 年末に教室にやってきた子供達のお母さんから電話があった。前回は子供がやるだけでお母さんは見守っていたのだけど、今度はお母さんやおばあちゃんも一緒に参加したいとのこと。
 日程の調整があって、折り返しかけ直した。

 電話に出たのは、どうやら下の女の子(幼稚園?)のようである。
「もしもし、●●さんのお宅ですか?」
「●●さん?、、、えと、あ、ん、、あの、、●●さんの子供です…」

 うははははは~~ かわいい (^▽^


ネーミングのセンス  (2006.3.15)

  この写真、言うまでもなくアインシュタインであり、写真のタイトルは日本語で「人間味」とついている。原語でのタイトルがなんなのかは知らない。個人的な好みとしては、嫌いなタイトルネーミングの代表だったり。

 相対性理論で物理学の大発展に寄与したのは誰でも知っていることで、そんなお堅いイメージの学者が、カメラに向かって「あっかんべ」をしているという意外性を表現したタイトルなのは明らか。その、ただそのままというまったく安易なタイトル付けが嫌いなのだが。
 もともとの原題がなんなのか調べてもわからないのだけど、そのまま直訳すると「人間味」なのか、それとも最初に日本語訳か、日本語のタイトルを付けた人のセンスが悪かったのか。
 とはいうものの、自分の好みでセンスが悪いと思っているので、そう思っている自分のセンスが悪くて、実は良いタイトルなのかも知れぬが^^;。それとも時代的にこれが精一杯だったのかなぁ?

 似たように、なんかそのまま過ぎてつまらないネーミングだなぁと感じるモノは多い。障害者施設関係やそのサポート機関や車両などの設備なんかでも、あまりにさわやかさ幸せさを表現しようとしすぎて、「ベタベタ過ぎるじゃん・・・」と感じるモノも多いのだが、ま、ちょっと支障がありそうなので、ここでは具体的に書くのは控えましょうぞ。
 ベタベタなネーミングなのだが、わざとそれを狙って、かえってセンスの良いネーミングなのもちまたには多い。すぐに思いつくところでは「港の見える丘公園」で、前にも書いたと思うけど、これはとても良いセンスで、響きもリズムも良くヒットだと思う。

 まぁ、だからといって、例えば前述のアインシュタインの写真に、自分ならどんなタイトルを付けるんだ?と言われると、ん~~~・・・だったり^^;;。こういうHP的な場だったら、おちゃらけたタイトルを平気で付けるところだけど。

 そうそう、絵や工作は自宅でやっているので「アトリエ」のように言われるけど、どうもアトリエという響きは好きではない。それが似合う人は良いけど、なんかアートしている人のための響きのようで、自分的には似合わないというかしっくり来ない。なにか名前を付けても良いんじゃないか?と言われたこともあるけど、特にわざわざそういうのも必要ないし、なんちゃら工房の方がまだ良いかなぁ?と。絵や工作をやったり教室に使ったりしている部屋なので、人に言うときは「工作室」という呼び方をしている。

余談だけど、アインシュタインはノーベル賞をもらっている。相対性理論で受賞したと思っている人が多いと思うが、受賞したのは「光電効果の法則」の発見についてであり、相対性理論では受賞はしていない。


各国のわがまま  (2006.3.17)

 日本が「拉致問題の解決無くして国交正常化はありえない」と言ってるのに対して、北朝鮮は「日本の姿勢は正常化を妨げるものだ」と非難。
 北朝鮮やイランなど、核疑惑の国に対しては、特にアメリカが「許さない」という態度。平和のために核武装を許さないのではなく、「俺はまともだから大丈夫だが、おまえらはまともじゃないからいかん!」と言ってるにすぎない。もちょっと率直に言うと、「俺は良いんだ。おまえは駄目だ。そう俺が決めたんだ!」という幼児にも劣るわがままを言ってるのだ。核問題に関しては、北朝鮮が「いかんというなら、なんでお前はやめないんだ?」とアメリカを非難する内容はスジが通っている(あくまで理屈としては)。そもそもアメリカ自体が核査察を受け入れていない。
 IAEA理事会では、イランの核開発が平和目的と認めることは難しいとして非難しているが、笑うしかないことに、非難している奴らは軍事目的でも核を利用している。
 かつての日本のひどい侵略や統治の仕方を非難している中国は、遙かに残虐な侵略支配をチベットに対して現在でも続けていて、「内政問題であり、口を出すのは内政干渉だ」と突っぱねる。また、少数民族に対して残虐な抹殺をしているのをわかっているのに、どこもまともに中国を非難しない。
 かくいう日本は、最低限の仕事である、国民の生活を保護する機能がまったくない。

 いちばんの元凶って国家というシステムの存在?


気象庁の威信  (2006.3.20)

 長期予報なんかが外れることが多くて、気象庁に対する風当たりが強かったりする。そこでこのたび気象庁は、コンピューターのシステムとプログラムを最新高速化して、予報の精度を上げ威信回復を狙うという。そのターゲットになったのがサクラの開花予想。気象庁の威信をかけて、サクラの開花予想を最新のシステムで高精度で予想すると。二度ほど予想を発表したが、そのどちらもデータは一致していて、新しいシステムは順調なようだ。

 しかし、威信をかけるターゲットがサクラの開花予想というのがいかにも日本らしい。平和からはほど遠い国から見たら「なんじゃそりゃ?」という題材なのであろう。でも、その平和ボケの点でも日本らしいし、皮肉なしに良いなぁと思う。
 お隣の韓国では、桜前線ならぬ「キムチ前線」があって、キムチの漬け頃の前線がある。この場合はあくまで「漬け頃」の助言みたいなものなので、予想が当たるとか外れるとかいう問題はないのだろうけど、やっぱりコンピューターで解析したりするのかしらん??

 サクラの開花予想のために多額の予算を投じる、という事には非難の声が上がったとは聞いていないし、おそらくそういうことも無いのではないかと。まぁ別に、サクラの開花予想のために作ったシステムではなく、新しいシステムでまず最初に「サクラ」をターゲットにしたということなんだろうけど。

 心配なのは全国の桜の木。桜の木の寿命は短いし、植樹した時期が同じというのが多く、かといって新たな植樹を順次やっているという話も聞かないし。桜を見られる場所が極めて限られてしまう、という事態にはならないのだろうか?


他力現状打破  (2006.3.22)

 大ベストセラー、養老孟司氏の「バカの壁」を今頃読んだ。しかも友人に借りて^^;。養老氏の本は口述筆記のモノも多く、その手の本はわかりやすく読みやすくて面白い。やや専門的に文語体で書かれたモノは、極めて読みにくい。氏が定義したような造語があったり、文章もリズムがあるわけではなくハッキリ言うと退屈になってしまうのだ。んで「バカの壁」は、確かに啓発的でもあり面白い部類ではある。でも、率直に言ってあんなに大ベストセラーになるほどかなぁ?と思ったのだが。
 氏の本ではそれ以前にもっと目からウロコで面白いのが何冊もあり、そちらの方がベストセラーになっても良さそうなので、やはり売り方の問題もあるのだろう。テレビにも良く露出するようになって名前と顔も売れ、新書で買いやすく分量も読みやすく、タイトルのヒットでもあるような。

 さて「バカの壁」の中に、こんな文章があった。

かつて脚本家の山田太一さんと対談した際、彼は「日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している」と言っていました。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱することが出来ない、という無意識の表れでしょう。

 はは、確かに!と思うと同時に、思い当たることもあった。このHP内の「ゼロの世界」にも書いたが、自分はUFOについては、昔は強く肯定していたが、現在は否定も肯定もしない立場である。地球以外に異星人はいて当たり前だと思うが、地球に宇宙船で飛来してきているか?については確証できることを知らないし、真偽を明らかにしなければいけないと狂信的にも思っていないので。
 科学者で異星人の存在を否定する人はほとんどいないと思うが、UFOはほとんど否定している。一般にUFOを信じている人達は何パターンかに分類されると思う。

 宇宙の中の地球や生物について興味があって、純粋に科学的な視点で可能性を考えて信じている人。ロマン的な心情で信じている人。狂信的に信じている人。等々であるが、UFOが存在して地球にやってきてくれないと困る人達というのがいるのだ、ということに数年前に気づいた。そういう人達が存在していることに気づいたのではなく、狂信的な人の多くはUFOが存在しないと困るという人達なのだな、と気づいたのだ。
 誤解を覚悟でやや決めつけるような書き方をするけど、端的に言えば他力本願なのだ。現状の自分を取り巻くすべてが嫌で、でも自分で行動して切り開くのも嫌。つまり自分の人生に自分の責任で行動をするのが嫌で、宇宙人にやってきて楽園の惑星に連れて行って欲しい、あるいは今の地球の状況をすっかり変えて欲しいと思っているのだろうと。自分も少なからずそういう部分もあったからそう思うし、自分も接した事のある狂信派の人達の言動を、そういう視点で見てみると実に腑に落ちる。
 気づいてみるとそりゃそうだろという感じなのだが、そういう視点で見ると言うことをしたことがなかったのだ。
 先に引用した「サラリーマンの大半が天変地異を期待している」というのとほとんど同じ願望にも見えるが、自分の出来る範囲でやるだけやったけど、もうらちがあかないというのと、もっともらしいことを「言うだけ」で、変化は外部の力に期待しているという大きな違いがあったり…。


ペンギンよ大志をいだけ!   (2006.3.24)

  昨秋の個展でもっとも人気のあった作品のひとつです。板に焼きゴテで焦がして描いています。お買いあげになったのは、近所に住むスイス人小説家のゾペティさん。(日本語でいくつものすばらしい小説を書いております)
 一応板の裏に壁掛け用の金具があるのだが、そのままでは彼がやりたい飾り方が出来ないので、新たな金具をつけて持って行った。
 無事に飾り付けた板を眺めながら「いいねえ~。このペンギンが空を指しながら "be ambitious" って、飛べないペンギンが空を飛ぼうと・・・」とか、「西洋人だと、このポーズでナポレオンを連想するね」とか言っていて、何か変だな?と思ったのだった。
「あれ?クラーク先生は知ってるの?」
「・・・?知らない。」

  やっぱりそうだったのだ。ほとんどの平均的日本人(どういう表現だ?^^;)は、クラーク先生の名前と「ボーイズ ビー アンビシャス!(少年よ大志をいだけ!)」の名言は知っていて、この作品がそのパロディであるというのはわかると思う。この銅像のポーズも、写真などで見たことがある人は多いだろう。でもどうやら、クラーク先生が有名なのはやっぱり日本国内だけだったのだ。ゾペティさんも在日年数が長いからといって、知っているわけではなかった。

 自分としては、そのパロディとしてのおもしろさを狙ったし、多くの日本人はそれはわかって観ていたと思う。日本人以外だとパロディであるということはわからないようなのだが、それでも、ペンギンが空を指して「ペンギンよ大志を抱け」と呼びかけているだけで充分面白いらしい。ふ~~ん、、新しい発見というか、面白いもんだ^^。

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