毎度有難うございます  (2004.1.29)

 日本と中国は、同じ漢字文化圏、、、では、ある。ベトナムでもかつては漢字を使っていたらしい。韓国は、ハングル文字一辺倒だったのが、近年漢字の復活も進めているとも聞いたような。

 同じ「漢字」という文字を使っているからと言って、筆談が通じるか?というと、これが思ったほど通じない。「手紙」は中国語では「トイレットペーパー」の事だったりする。でも、なんとなく雰囲気はわかりますね。
 中国へ行ったとき、漢字を使って筆談をしてみたことがあるけど、なかなか通じなかった。同じ文字でも意味やニュアンスが違うという場合もあるし、相手には、日本語の漢字が難しくて読めない、ということもあったりする。中国では、漢字を覚えたり書く労力を少しでも減らすために、簡略した文字「簡体字」への移行もどんどん進んでます。本家の中国より、日本の方がより古い歴史の漢字を使っているという部分も多いそうです。

 さて、日本に観光旅行に来た中国人の実話。
タクシーに乗ると、あちこちに文字が書いてあります。
それを見ていた中国人、ある文章を見て震え上がったそうです。
そこには

「毎度ご乗車有難うございます」

との文字が。ひらがなは読めないので、漢字だけ拾って読むと「毎度乗車有難」。
「この車に乗ると毎回災難が有ります」と読めたとか^^;。


威圧感  (2004.2.2)

 大晦日の、ボブ・サップ対曙戦。あまり見る気はなかったのだけど、たまたまチャンネルを変えたら、曙がKOされる寸前の場面だった。いくら何でも、1、2ヶ月練習しただけの曙をメインにした格闘技はないだろ、と思っていたので、負けるのは明らかだと思っていた。でも意外にサップを圧倒している部分もあって、そこはダテに横綱を張っていたのではないな、と感心したりもした。
 ただ、アナウンサーが「曙の威圧感」に言及したときに、不意に昨年引退した横綱貴乃花が思い浮かんだ。そして、改めて貴乃花が並はずれて強い横綱だったと思い当たった。

 全盛期の貴乃花の戦いを見ていたとき、「見るからに威圧感がある」という印象は受けないな、と感じていた。殺気とか威圧感とか、そう言うモノはどこ吹く風という雰囲気だったと思う。主に武道でも、達人であるほどそう言うモノはない。「見るからに威圧感があり、強そう」というのは、まだまだ達していない段階だったりするのではないだろうか。

 これはあらゆる事に言えるように思う。格闘技に限らず。本当に極めたすごい人は、一見なんでもないような雰囲気の人だったりするし。あれはそのようにしているのではなく、極めるとそのようになるのではないだろうか?
 いろいろな分野で、入り立てで少しわかってきた頃が、一番いろいろ周りに「わかった」事を言いたくなるときで、それよりもよくわかってくると、逆にそのさらに奥深くがあったことを悟って、「自分は何も知らなかった・・・」と謙虚になって精進するように。武術などでも、同じような感じなのではないでしょうかねえ。自分の強さを知っているから、むやみにその力を使ったりはしないと言うこともあるだろうけど。


芸術家  (2004.2.4)

 そう言えば?と、最近、ふと思い当たることがあった。
 以前は、新たに出会う人に「芸術家なんですね」と言われることが多かった。もちろん、こちらが絵を描いたりしていることがわかったり、作品を見た人がそう言うのです。でも最近は、トンとそう言われることはなくなった。
 なんでだろ~~♪(もう古っ!?)と考えたら、最近はホームページを通じて知り合う人が多いからではないか?と思ったのだ。あらかじめホームページで、こちらのことがチェックできるし、会っていなくても何度かメールや掲示板でやりとりした人も多い。だから、本人に対する「芸術家」という先入観が無くなっているのか?と。

 だいたい初対面で「芸術家なんですね」と言ってくる人は、創作していることを、ものすごく高尚な行為だと思っている。そういうことを成し遂げている作家を、半ば次元の違う人間と見ているフシもある。
 でも、前にも何度も書いたとおり、自分は「芸術家」ではなく、そう見られたり呼ばれることを好まないし、ある種の嫌悪感も持っている。「芸術」という言葉の持つ本来の意味を取り違え、かけ離れた意味合いを現代では含んでしまっていると思っているからだ。

 法隆寺の宮大工だった、故・西岡恒一棟梁の次の言葉がもっとも的を得ていると思っている。

今の人は、物マネをしてすぐに芸術家になりたがる。ちょっと人と変わったもんつくったら、自分は芸術家だと言いますわな。昔は芸術家みたいなものはおまへんで。みんな職人でんな。職人のなかで達した人が、後世になって芸術家と言われるんで、生きているうちに芸術家と言われる人はおらんわ。

 芸術家と呼ばれて、いい気持ちになる人がいるのはわかるが、自分で自分のことを「芸術家」だと言っている人は、見たことはない。さすがにそこまで厚顔無恥な人はいないのだろうか?(横尾忠則氏は、電話をかけたときなどに「芸儒家の横尾ですが」と言うらしい。)
自分が会ったことのある人では、「芸術をやっている」と言う人には会ったことがあるけど、「芸術家なんです」と言う人はいなかった。似ているけど、これは大きな違いだと思うのだ。さすがに後者を言うのはよほどのことだし。まぁ、もちろん日本語として「芸術家なんです」という文章はおかしいのだけど、要するにその類の言い回しです。

 何かの席で紹介されるとき、「芸術家の~」とか「アーティストの~」なんて但し書きをつけられることがあるけど、あれは顔から火が出るほど恥ずかしいことなのです。自分にとっては。どうしてもつけるのなら、単に「絵を描いている~」とかそういう言い方にして欲しい。恥ずかしいというのは、もちろん、自分はとてもそんなに達したモノではない、という思いがあるからです。
 西岡棟梁の言うとおり、誰でも簡単に芸術家になりすぎるけど、同じく、軽々しくその言葉を乱用しすぎていると思う。

 絵を習いたい、と言ってうちに来る人の多くは、学校や社会のゆがんだ芸術観によって、「絵を描く」という楽しむ行為を、難しいモノにされてしまっている。それを少しでも、誰でも日常で当たり前に楽しむものである、という風になればいいと思い、芸術撲滅運動などと一人で息巻いていたりする^^;。


「旅」と「旅行」  (2004.2.6)

 「旅」と「旅行」。同じ事を言っているようだけど、やっぱり違う。手元の辞書によれば、どちらも同じような意味だけど、
「旅」= 我が家を離れていっとき他郷に行くこと。
「旅行」= 徒歩または交通機関を用いて他の地方に行くこと。
なんていうこざかしい書き分け方をしたりしている。車で行こうが電車で行こうが旅は旅なのだ。
 「旅」は、古くは「多比」と書かれていたようで、万葉集巻第七に書かれていたのがもっとも古いようである。(「この度は…」の「度」も、「多比」と書かれていたので、漢音表記の問題なのだろう)

 「旅」と「旅行」では、何が違うって、やっぱりその軽さ、存在感でしょうかね?どうも「旅行」と言ってしまうと、ルンルン♪で観光地廻って、沖縄あたりだと○○ビーチ♪でトロピカルして、おみやげは国際通りで「ちんすこう」、北海道だったら富良野のラベンダー畑で写真撮って来ましたぁ♪、ってぇ雰囲気になる。ツアーだったら旅行だろ、という気もするが、それが難所を巡るコースだったりするとたちまち「旅」になる。
 英語だと、「旅行」=「Travel」、「旅」=「Trek」と言ったところか。トレックは、あのスタートレックのトレックで、直訳すると「骨の折れる旅」になる。

 旅先を描いた絵を公開する場合でも、「旅行で描いた」というのと「旅先で描いた」では、まるっきり言葉の密度が違ったりする。(自分で思っているだけか?^^;) 「スケッチ旅行」と「スケッチの旅」では、後者の方は、修行めいた雰囲気も漂わせているように感じるのだけど?

 ちなみに旅先で絵を描くことはほとんど無い。画材を持って行って、気合いを入れて出発しても、まず描くことはない。ほとんどは帰ってから描く。
 いい景色を見つけたら、描くよりもぼーっと眺めている方が好きなのだ。それで、描きたいと思ったら、写真に撮っておいて、それを参考に雰囲気を再現しようとしたりする。絵描きによっては、そんな絵の描き方は邪道中の邪道と言うだろうけど、自分はいいのだからそれでいいのだ。^^

 こういう言い方をしていると、団体ツアーなんて大嫌いなんだろう?と思われるが、そうでもない。海外を一人旅したことはない。モンゴルも内蒙古自治区もアジアも、いずれもツアーである。あまり一般向けのツアーではなく、普段は一人旅をしているような連中が集まっていたので、雰囲気は巷のツアーとは違うかも知れないが。
 そしてやっぱりそういうツアーでも、どうも旅行という言い方には抵抗がある。ツアー中、全く風呂にも入れない毎日が続いたりするのだから、気持ち的には「旅」であり、トレックなのだ。
 ま、「旅行」と表現したくないのは、見栄の問題でもあるのだけど。^^;


「フェア」と「アンフェア」  (2004.2.8)

 欧米、特にアメリカでは「フェアであること」が最大のポリシーのようである。「アンフェアだ」と言われるのが、最大の侮辱なのだ。
 確かにフェアであるというのはとても大事で、日本はなんだかんだとフェアでない部分が多く、その点見習いたいモノだ、とは思っていた。
 でもその反面、なんかしっくり来ないモノがあったのも事実。フェアと言いながら、一番アンフェアな事をやっているのが彼の国、というのはさておいて、なんかいまいちしっくり来なかったのだ。

 先日、ふとそのことについて頭をよぎったのだけど、それでフに落ちた。「フェア」=「公平」、と単純に考えていたからしっくり来なかったのだと。もちろんそう言うこともあるのだけど、要は白黒をはっきりさせないと気が済まない、という部分が大きいのだろう。
 それは、世界に広まった剣道の特集をNHKで見ていて、そう思ったのだった。前にも大相撲についてそのように書いたけど、日本の武道はスポーツではない。第一が精神鍛錬のためのモノであり、「勝ち負け」という結果は本意ではない。
 でも、欧米人にとってそれらはスポーツであり、そのスポーツの結果は「勝ち負け」でしか評価できない。まぁ、短絡的にそう決めつけるのも一方的だけど、大方がそんなところでしょう。だから、柔道は体重別になり判定などと言う、勝ち負けを主眼に置いたルールが作られた。
 フェアに勝ち負けを決めるためには、体格の違うもの同士で対戦するというのはアンフェアであるという理屈であろう。柔よく剛を制す、とか、勝ち負けがすべてではない、という精神は入る隙間もない。誰が勝者なのか?を決める必要があるのだ。
 これは、善悪の判断にも同じような事が言えるようで、善玉か悪玉かははっきりと決めないといけない。アジアのように、誰でもが善悪の二面性を持っていて、なんていう曖昧さは受け入れられないだろう。だから、ハリウッド映画の「ゴジラ」は完全なる悪怪獣にされたのだろうし。今の世界情勢でも同じで、ソ連が崩壊した今、アメリカが善であるためには、「ならず者国家」を設定しないと困るのだ。

 完全なる勝者は一人でなければならなくて、何事も争って勝者を決めなければいけない、という欧米型思考と、まぁまぁいいじゃないか、というアジアの曖昧さはどこに根本的な違いがあるのだろう?と考えてみる。おそらく、一神教で唯一絶対の創造主しか認めない宗教と、多神教で何でもござれの宗教の違いなのだろう。


欧米と一言に仰いますが・・・
欧の方は、歴史が古く、お互いが判っているので、基本だけを規定して大雑把。
米の方は、隣の奴と基本が違うので、事細かに規定しないと「アタリマエ」が通用しない。
サッカー、ラグビーから派生したアメフトはメジャー持ち出して測りますからね。
(2004.2.8 玄武さん)


紅茶は苦手  (2004.2.10)

 えっと、、、コーヒーは大好きなのでよく飲むのですが、紅茶は苦手なんです。でも、自分が紅茶を苦手だと自覚したのは、ほんの5~6年前にすぎない^^;。
 それまでは、時々は自分から進んで紅茶も飲んでいた。それは、いつもコーヒーばかりなので、たまには紅茶も、という感じだったように思う。コーヒーの飲み過ぎもよくないだろう、という程度の意識で。
 でも考えたら、紅茶をおいしいと思ったことはほとんど無いし、今日は紅茶が飲みたい!と思った記憶もない。アップルティーなどは、飲む前の香りはとてもいいと思うけど、ひとたび口に含むと、何とも苦手な味だった。

 それが何の拍子だったのかまるで覚えてないけど、「あ、自分は紅茶が嫌いなんだ」と認識した。 なんでそれまで自覚していなかったのかは、振り返ってみても不思議なこと。^^;
 そうするとフに落ちることがぞろぞろ出てきた。要するに、フレーバー系がだめなのだ。ハーブティーは、特に好きではないけど嫌いと言うほどではない。それほど香りが強くないからか?
 花粉症にいいからと、ユーカリのアロマオイルを薦められて買ったこともあるけど、その強い匂いがきつくて、全然よくなかった。芳香剤の類も、たいていは苦手だし。

 子供の頃、床屋さんで最後にかけられるスプレーの匂いなどは、その匂いで頭痛を起こしたほどだった。今はそんなに、ヘアースプレーをぶっかけたりと言うことはしないと思うが。だから匂いには敏感で、人工的ないい香りは、ほとんど苦手だというのは自覚していた。なのに、紅茶が苦手だというのは全く意識していなかった。それ以来、形式的にコーヒーと紅茶を飲むバランスを考慮するなんて事はしなくなったのだけど、、、やっぱり、なんで自覚していなかったのかが不思議だ・・・・。

 でももしかすると、本当においしい紅茶を飲んだことがないためもあるかも知れないし、そうやって、苦手だと決めつけてしまうのも問題かなぁ?という気もするのだった。


香りと匂い  (2004.2.12)

 前回、香料が苦手だという事を書きましたが、もちろん好きな香りというのもある。これは結構同じように好きな人が多いと思うけど、靴屋に漂う新品の革靴の匂い、これはなんか好きですねえ。
 革製品には詳しくないのでよくわからないけど、あれはどういう香りなんだろ?原料の革そのままの香りではないような。靴屋独特の香りですね。かといって、革靴が好きなわけではない。サラリーマン時代にスーツを着ていたときは、そのような革靴を履いていたけど、いわゆるビジネスシューズはそれ以来履いていないと思う。
 礼服なんかを着るときでも、黒い革のウオーキングシューズだったりする。小学校の頃はランドセルだったけど、新品のランドセルの香りは覚えていないですね。よくある光景で、ランドセルを買ってもらって、うれしくて家の中でしょって歩いていた、という記憶もないし。
 新車の室内の香りが好きだというのもよくわかる。特に自分の車だったらなおさらでしょう。

 自分は好きではないけど、なんとなくその感覚はわかる気がする、というのは、排気ガスの匂いが好きという人。煙たいような排気ガスではなく、ガソリンを燃焼した香りがいいという。タクシーの排気ガスの独特な匂いも、まぁ好きだという感覚はわからないではない。自分的には嫌いだけど。
 最も身体が拒否するのは、排気ガスではないのだけど、昔、地下鉄などで時たま漂ってきた匂い。何らかの排気ガスのような感じだったけど、あれは何だったんだろう?ちょっと説明が難しいけど、ひとたび吸い込むとその場で頭痛を起こすような、刺すような匂い。昔の都営新宿線の構内で、よくその香りをかいだ記憶がある。

 昔は好きでもなかったけど、今は懐かしくて、時々その匂いがするといい感じがするというモノには、石油ストーブの燃焼している匂いがある。古本屋の店内の匂いも嫌いではないけど、地元に冬には店内で石油ストーブを使っている店がある。なんだかタイムスリップしたような独特な感覚におそわれる。記憶を呼び覚まされる時って、匂いによるモノが一番ダイレクトなような気がする。


ビールだ!  (2004.2.14)

 以前にも書いたけど、お酒はほどほどに飲めても、お酒そのものはそれほど好きではない。間違っても、個人的にお酒が飲みたい、と思うことはなかったですねえ。個人的というのは、つきあいとかではなく、ひとりなのに飲みたいという。
 そんな中で、ビールはまぁ、割合好きな方です。苦い方が好みで、ドライは嫌い。この世の中のすべての飲食物の中で「ビールが一番うまい!!」と言っている、作家の椎名誠氏も、ドライはビールではない!と豪語していた。あれは刺激の強いジュースだと。その意見には賛成ですね。
 おもしろいことに、英語でドライビールというと、矛盾した単語になるらしい。ドライは「禁酒」という意味でもあるからだ。

 さて、ここのところはあまり活気がないような気がするけど、あちこちで地ビールが盛んでした。岩手の「銀河高原ビール」というのが、ラベルのデザインがすごく良くて、とてもおいしそうなので、買ってみたことがある。ん~~~、個人的には好みではなかった。濁りビールのような感じで、すっきりうまい、という感じでもなかったし。従兄弟はとてもうまい、と言っていたのでやはり好みの問題か。
 沖縄のオリオンビールは、以前はウインドサーフィンのイラストだったり、沖縄のビールだなぁ、と言う感じだったのに、近年は本土のビールのようなラベルになってしまい、ちょっと残念に思っている。

 地ビールと言えば、おもしろいことに中国なのだ。あちこちにいろいろなビールがある。その中でもなんと言っても旨いのは「青島(チンタオ)ビール」。聞くところによると、水がとてもいいところなので旨いとか。中国で初めて飲んで、とても旨かったので感動した記憶がある。

 それから数年以上してから、横浜の中華街で久々に期待して飲んだ。最初の印象が強かったからか、いまいち激しく旨い、という感じではなかった。どちらかというと、軽くさわやか系と言ったところか。もっともそれは、中国でまずいビールも、いくつも飲んだためだったのだろう。その中でも記憶に強く残っているのは「南京ビール」。確かその名の通り、南京のあたりで飲んだのだと思う。まずかったのだ。なんだか、ビールにカラメルとウイスキーを混ぜたような印象だった。記憶にはないけど、ビール自体も冷えていなかったと思う。 東南アジアでは、ビールを冷やしていなかったりする。ビールはもちろん、ジュースだってわざわざ冷やしてなかったりする。暑い夏なのになんで冷やすんだ?という、うっかり納得してしまいそうな理屈だったりする。
 最近はそんなことはないだろうけど、20年以上前のインドネシアだったら、レストランに入って、たとえばコーラが飲みたいとき「コーラはあるか?」ではいけない。「”冷えた”コーラはあるか?」と聞かないと、ぬるいコーラが出てきかねないのだ。「冷えた、冷たい」はインドネシア語で「ディギン」と言うのだが、このディギンをつけることを忘れると、暑さをしのげなかったりする。中国語で何というのかは知らぬ。

 と言うわけで(どういうわけだ?)、話がまとまらないのでつづく・・・。(つづかん!)


8・1・3  (2004.2.17)

 自分の誕生日は8月13日です。だから、その数字が気になることがあります。
 一番目にとまるのは、朝のテレビなんかを見ていて、時刻表示が8:13の時。何気に画面を見るとその数字だったりする。そういうことがやけに多い。
 また、東京方面のFM放送にJ-WAVEと言うのがあるが、そこの周波数が81.3Mhzである。その他にも、何かのおりに、偶然813という連番に出会ったりする。

 そのことを不思議に思っていたこともあった。で、そのことを意識してみたら、やっぱり何でもないことだったりする。
 要するに、813と並ぶ数字に出会うときには「ハッ…!」っと意識するけど、その他の無関係の数字の時は、意識に留まっていないだけだったのだ。テレビの時刻表示も、ほかの時間の時もいくらでも目に入っているし、時刻も読み取っている。でも、それが8:13だと、「また813だ」と意識に止まる。

 いかに日常で、意識に留めずにやり過ごしている事が多いかと、改めて気づく。もっとも、それは悪いことばかりではなく、何でもかんでも意識に留めていたら、とても神経が持たないだろうし。
 とはいうものの、それでもやはり、偶然の確率を遙かに超えて、自分に意味のある数字にあたる気はする。。


プライド   (2004.2.19)

 プライドと言っても、格闘技団体のことではありましぇん^^。以前、時々利用している画材屋があった。お店はまだあるのだけど、すっかり敬遠するようになってしまった。どうにも、近寄りがたい雰囲気を漂わせるようになったからです。
 その店は一家でやっているらしく、店主がどうにも気むずかしい雰囲気を漂わせている。いや、実際に気むずかしいのだと思う。そういう顔をしている。「顔じゃぁない、心だ」なんて言葉は古いモノになって、やっぱり人間は顔なのだ。もちろん美形云々の事ではなく、心のあり方は顔に出る。

 さて、その画材屋。時々、足りなくなってすぐに欲しい画材を買ったり、たまに額入れなどもしてもらっていた。店主が気むずかしい感じがする、といっても、もちろん買いに来たお客にそんな表情を見せるわけではない。愛想がいいわけではないけど、まぁ常識的な応対はする。
 ある時、お店に入って見本で飾ってある額縁を物色していた中年の女性が、ひとつの額を指さし、「これ、まわりはプラスチックですか?」と聞いた。店主は「いえ、スティール(金属)フレームですよ。」と、どこか断定的な口調で答えた。女性は、少し考えて「また来ます」と言って出て行った。
 その直後店主は「失礼しちゃうなぁ!うちにプラスチックの額なんか置いてあるわけ無いじゃないか!」と、憤慨していた。お客である僕が店の中にいるのに、独り言で吐き捨てていた。

 なんだか、ここの店主の商売人としてのレベルが、見えたように感じてしまった。この店主は、お客の立場でモノを考えると言うことができないのだな、と。その額のフレームは、表面が「テカって」いて、素人目にはプラスティックと見えないこともない。でも、絵を描いてて額をいくつも買ったことがある人なら、まぁプラスティックではないな、ということはわかる。それに、そんな妙な安物を並べている店ではないな、というのも、まぁわかる。でも、画材屋に来るお客は、そういうある程度知っている人ばかりではない。プラスティックかどうか、判断がつきかねたから素直にそう聞いたのだろうし、ほかの店でスティールのつもりで買ったら、安物のプラスティックだった、という経験をしたのかもしれない。いずれにしろ、確かめたかったから聞いたのであって、店主に憤慨されるいわれはない。それ以来、なんかその店主がうさんくさく見えた。

 それから1年くらいぶりに、その店に額のマットを買いに行った。マットというのは、水彩額のガラスの内側で、絵を取り囲んでいる厚紙である。通常、それを絵の大きさに合わせて、45度角で窓を切ってもらう。そのマットだけを頼みに行った。こういう事は珍しいことではなく、手持ちの額に違う絵を入れたいので、マットだけを切ってもらって買うというのは、ごくあることなのです。
 ところが店主は「マットだけっていうのはやってません!」と半ば突き放すように答えた。マットだけではもうけにならないのはわかるが、なんだかものすごく高飛車な雰囲気を感じた。まるで「うちは、マットだけを切るなんてド素人相手の商売はできないよ!」と言っているようだった。その店では、以前はマットだけでも切ってくれていたのだ。
 油絵用とは違って、水彩額はそれほど高価ではないが、一般の人が絵を飾りたい場合、額が絵と不釣り合いでなければ、マットだけ切り直して入れ替えるというのはいい方法だと思う。いやしくも額を商売で扱っている以上、お客がそうしたいと言えば、快く応じる義務がある。店の方針でそう言うことができない場合は、「丁寧」に断ればいいのである。
 仕事にプライドを持つのはとても大事なことだけど、「プライドが高い」と言うこととは全く違う。どんな仕事であっても、「プライドが高い」というのは、悪い事でしかないと思っている。

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