ブランク  (2003.10.10)

 先日も書きましたが、大阪でコンピューターのSEをやっていた頃、会社関係でよく飲みに行った。ひとつのプロジェクトが終わると、打ち上げがあるし、子会社や外注さんも含めて、チームでの慰安旅行に行くこともあった。

 ある時、会社持ちの打ち上げがあった。当然経費なので、領収書がいる。K先輩が居酒屋の女将さんに「これ、領収書お願いね!」と頼んだ。

女将 「宛名はどないしましょう?」
K  「あぁ、そこブランク(空白)にしといて」

 帰り際に渡された領収書、宛名の欄には「ブランク様」と書かれていた。^^;;


ゆとり教育って?  (2003.10.12)

 文部科学省はますます迷走しているようで、実験材料になっている子供と家庭はたまったもんじゃないでしょう。「ゆとり教育」ということで習う教科の密度を薄くしたり、時間を減らしたりというのがメインになっているけど、それってちがうだろと言う感じですね。円周率を3.14から3にして習わせるとか、また元に戻すとか、理科で出てくる生物の種類を減らしたり、、、。 基本的には「時間」を減らすことを「ゆとり」だと定義しているのでしょうか。

 この件に関しては、もうほとんど言い尽くされているのだろうし、今さらここで書いたところで、たぶん二番煎じ三番煎じになっていることと思いますが。少なくとも、文部科学省を責めてもしょうがないと思うのです。それに、実際に就学児童を持つ親とそうでない人間では、とらえ方考え方も違うだろうから、自分がいろいろ書いても空論になっている部分があるのも否めませぬ。
 習うことが多いとか、勉強の時間が長いということと、ゆとりがない、というのは必ずしも比例するものではないでしょう。思うに、もっとも問題なのは、何のために勉強しているのか?ではないのだろうか?

 自分はご多分に漏れず、小中学校時代はもちろん勉強は嫌いだった。中学二年までは、高校へ行きたいとさえ思わなかった。得意科目はあっても、それは勉強が好き、ということとは違う。何で好きではなかったかというと、なんでああいうものを勉強しなければならないのかが、全くわからなかったからだ。何のために勉強するのか?を親や大人、教師に聞いてみたところで、納得のいく答えを知っているものは皆無だろうし。「自分のためでしょ!」と逆に諭されて、まともに答えられない大人の責任回避を押しつけられるだけである。もちろん今の自分だって、その辺の子供たちから同じ質問をされてもまともな答えはできない。考える力をつけるためとか、将来のため、と言われても、自分が嫌いな教科を嫌々でもやらなければならない、納得のいく理由などは用意されていない。
 そのあたりを曖昧にしたまま、テストのための勉強であり、受験のためであり、いい会社に就職するための手段に成り下がっているのでは、口先だけで「ゆとり」などと言ってみても、同じ実験の繰り返しになるような気がする。たとえ子供自身が納得できなくても、少なくとも大人側がまともな考えを持っているだけでも違うはずである。誰でも向き不向きがあるのに、勉強ではオールマイティを求めていることも、子供を追いつめる原因のひとつでしょう。
 勉強の苦手な子が、運動会で力を発揮できたりもしたのに、不公平をなくすという意味不明な理由で順位を廃止して、がんばったみんなは一緒です♪と表面的な平等を装っているのもおかしいし。それから、何度も言われているけど、受験の状態は同じで、授業だけを「ゆとり」と言ってみても・・・。

 それに、子供たちにゆとりがないのは、まず社会にゆとりがないからであろう。人間は何のために生きているのか?というと、幸せになるためである、というのは間違いのないことで、古今東西老若男女(死語だなぁ・・)善人悪人、一人の例外もなく、幸せになるために生きているはずである。ただ、価値観の相違があるだけで。その幸せの形態は十人十色で無数にあるはずなのに、経済的な成功にしか結びつけていないから、この社会形態ではゆとりがないのではないだろうか?(と、思い切り短絡的に書いてみたけど^^;;)

 そんな大人社会の反映が子供を作るのだから、いくら小手先だけの「時間」をひねり出すようなことをやってみても、何にも改善はしないような。授業に興味を持たせるようなやり方も云々されているけど、それだって馬の目の前にニンジンをぶら下げるような一時的なもので、根本的な解決にはならないと思うのだが。

 貧困や学校、教師不足のために学校に行きたくても行けない子供は世界中にあふれている。その子供が学校に行けるようになったとき、目を輝かせて勉強をするのはなぜか?新しいことを学べるというのもたしかにあるし、貧困から脱出するために学問を身につけたいというのもあるでしょう。でも、純粋に学ぶことの喜びを感じている子の方が、多いのではないかと想像している。きわめて勝手な推測だけど。

 あらゆる学問は、もともと「我とはなんぞや?」から始まっている。様々な分野の学問があるけど、最終目標は「人間とはなにか?」ではないのか。その辺に回帰することも大事なのではないかと思う。
 それに教師の問題だけど、ほとんどの教師は学校を卒業して、そのまま社会へ出ることなく教師の道を歩みますね。あれって問題が多いのではないだろうか?学校という器の中しか知らない教師たちが、子供たちを教育しているというのは・・・・。

 なんかポイントをはずして書いている気がするなぁ^^;;;;。しかも、全くまとまらなかったよ~ん;;;。


スペシャルゲスト?  (2003.10.26)

 作り物でよく楽器を作るくせに、ほとんど弾けない^^;;;。おまけに全く楽譜は読めないし、読めるようになろうとも思っていない。鳴らすと言うことだけなら結構得意であるけど、演奏と呼べるモノはまずできない。唯一それなりに扱えるのは、モンゴルの民族楽器「馬頭琴(ばとうきん)」だけである。友人の披露宴などで、2度ほど民衆の前で弾いたことがあるのだが、なんと1度ステージに立ったことがある。

 馬頭琴は草原のチェロとも呼ばれる楽器で、音的にはチェロに近い。楽器の頭頂部に馬の頭の彫刻があるので馬頭琴である。上に馬の頭があったら重たいでしょ?と言っていた人がいるが、本物が乗るかぃ!
 モンゴルによく行っていた頃、この馬頭琴もよく練習していた。結構大きな音がするので、練習場所には苦労する。昨今は公園でも、どこも楽器演奏は禁止のところが多いし。
 ある時、小田急線登戸近くの、多摩川の土手で練習をしていた。手を休めていると「それ、なんですか?」と声をかけてきたおじさんがいた。楽器の説明と、自分は絵を描いていることなどを話したりした。その方は北里大学に勤める方で、ギターもたしなんでいるようだった。

 何度か手紙などをやりとりしていたとき、相模大野でその方と中国から来日する二胡奏者がライブをやるという話を聞いた。二胡奏者は中国でもかなりのプロだというので、本格的なライブのようだった。それで、その時に馬頭琴も見せに来てくれないか?と言われた。おもしろそうなライブだし、そのくらいお安いご用なので了承した。

 さて、しばらくしてそのライブの案内が送られてきた。場所はビアホールで、入場料はドリンク付きで5000円。そして演奏者名などが書かれているのだが、その次の行を見て固まってしまった。「スペシャルゲスト 伊藤良一 《馬頭琴演奏》」!!!
おいおい;;;。いつ演奏するという話になったんだよぉ?

 連絡を取ったとき「簡単な曲で良いから弾いてくださいよ」と押し切られてしまった。やむなく一曲だけやることになったのだが、それからは連日の練習である。比較的簡単な割には「聴かせる」ことのできる一曲を猛練習した。新百合ヶ丘にある音楽専門学校の、狭い練習室が一般にも提供されていて、そこを一時間500円で借りて練習したりもした。5000円ではなく500円です。幅2mも無い狭い部屋がたくさん並んでいるのです。

 さて当日、なんだかんだ言って民族服まで用意して臨んだ自分なのでした。^^;;
ギターと二胡の演奏の合間に一曲だけ弾きました。緊張してスムーズにはいかなかったけど、そこにいたすべての人が初めて聞く音色と曲だったのが幸いもしたか。二胡の奏者もとても喜んでくれたのは、これまた幸いだった。ギター演奏したのが北里大学の職員だったため、客のほとんどは北里大学の先生達という内輪だったのも幸いだった。さらに良いことに、その先生の何人かとは、いまでも季節の挨拶や個展などでのつきあいが続いている。

 今年、福島の友人から緊急の連絡が入った。お兄さんが福島の病院に入院していたのだが、筋萎縮性症候群のようなものにかかっているらしい。それでも、病名がはっきりせず治療法もはっきりしていなかった。それで、ある特殊な治療器具のある、良い病院をネットで調べてくれないか?と言うことだった。いくつか調べてみたが、これは、と言うところがわからない。
 一応いくつか候補を調べて伝えた後にハタと思い出した。北里大学の先生を知っているではないかと。それでメールで、その友人が探している病気の治療のできる装置のあるところを知らないかどうかと尋ねた。するとなんと、その方面の日本一の権威が大学病院にいるとのことで、その先生を紹介してもらった。それまで他の病院への紹介状を渋っていた福島の病院の先生は、その大学の先生の名前を出したとたんに、顔色と態度が変わって協力的になったという。

 北里に転院し、世界的にも珍しい症状の病気であることが判明し、治療にもメドが立ち、また福島に帰って順調にリハビリを続けているという。多摩川での出会いが、いろいろなおもしろい経験と、人の命を救うことにもなったのだった。


子供の発想  (2003.10.28)

 白い壁に黒い点を描いてみます。これが何に見えるか?と、大人に聞くと、「点」と答える人が圧倒的だそうです。
 反して子供に同じ質問をすると、「ハエ」「テントウムシ」「たばこのこげ跡」なんてのは序の口。おお!と言うようないろいろな発想で答えるそうです。

 よく面白みのない大人を「子供の心を忘れた」云々、と表現することがあるけど、あれって逆じゃないのか?と思っている。確かに忘れた、という部分はあるのだろうけど、よけいなことを知りすぎた、と言う方が近いような気がする。それと、忘れたのではなく思い出せないということもありますが。

 成長して、いろいろなことを経験して覚えていくというのは、知恵をつけることでもあるけど、よけいなことを覚えていく作業でもある気がする。(生きることを難しいと思うようになるのも、よけいなことをたくさん考えるようになるからだし。)
 前述に絡めた部分で言うと、どんどん制約を覚えていくのではないかと思う。壁に書いた黒い点は「点」にすぎないのであり、それをいろいろなモノにたとえて言うことはばかげたことと見なされ、誰も面白がってくれなくなる。だから、だんだんそういうよけいな発想も封じるようになる、ということはあるのでしょう。いつまでも、子供のような発想と純真さを持ち合わせている大人はいるものですが、その本人のキャラはもちろんだけど、その人を取り巻く環境が、それを封じなかったと言うこともあるのではないか。

 かくいう自分も、黒い点を見て、そのようにいろいろな発想で答えるというケースは少なくなっているとは思う…、、いや、そうでもないか?^^;;;
 最も子供の頃のような感覚を、ありありと思い出すのは雲の上。いや、超常ヨガかなんかで翔ぶわけではなく、もちろん飛行機に乗ったとき。
 前にも書いたけど、飛行機に乗るのは大好きで、できる限り窓際に座れるようにする。そして、機外を眺めているのが大好きなのだ。機上から雲を眺めていると、雲がいろいろなモノに見えてくる。おそらく子供の頃にそう発想してであろう様に、雲が象に見えたりポパイに見えたり、いろいろなモノに見えてくる。そんないろいろなモノが機外にあふれてくるのだ。そんなモノが見えている自分に気づくと、自分の実年齢とのギャップに気づいて、なんだかおかしくなってくる。
 空の上という日常とはかけ離れた異空間にいることで、日常の慣らされた感覚から解き放たれているせいかもしれないと思っていた。しかし最近、とても空がきれいで、雄大な雲も出る。それを眺めていたら、空の上と同じように雲がいろいろなモノに見えたりした。どうも、雲には子守の能力があるようだ。


記憶の螺旋   (2003.10.30)

 記憶の思い出し方で、昔から感じる事がある。どうも、記憶というのは、現在から過去へ「一直線」に遠ざかっているようには思えない。
 人生を、映画のフイルムを例えるのを聞いた事がある。真新しいフイルムに、現在が映像を焼き付けていて、過去はそのまま遠ざかっていくが、いったん起きた事柄はそのフィルムに焼き付けて固定されている。思い出すとは、その過去のフィルムを覗くという事になるのだが、過去のフイルムは現在から一直線に遠ざかっているため、古くなるほど曖昧にしか思い出せなくなる。

 現在ではこの考えは間違いである事はわかっている。記憶というモノは、何の脚色もされずに事実のままとどまっている事はあり得ないと、ほぼわかっているからである。
 誰の「記憶」でも、日々刻々脚色が加えられて変わっている。事件の目撃証言でもその辺がネックであって、何度も目撃者に確かめる事で、より事実とは違う記憶が作られていってしまう。

 で、前述の疑問だけど、自分が過去を思い出すときに、一直線につまり「直線状に」遠ざかっている記憶にアクセスしているという感じはしないと、ずっと思っていた。
 うまい表現がないけど、近いニュアンスなら、現在を中心点にして、螺旋状に遠ざかっているという感じの方が近い。螺旋というのは、上から見ると中心点をぐるぐる回りながら遠ざかっている。だから、一直線に過去が遠ざかるときに比べたら、ついこないだの記憶地点とずっと前の記憶地点には、ほとんど距離の差はない。

 螺旋の図 もちろん、記憶が新しいからいつでもはっきり思い出せるわけでもないし、過去だからぼやけているわ-けでもない。ただ、大まかに言ったら、図のように、現在からちょっと前までは急速に遠ざかるけど、それより先は、緩やかに現在を取り巻きながら遠ざかっている、という方がしっくりくるのだ。この図では、かなり時間の隔たりのある過去同士でも、現在からの距離はさほど違わないのがわかると思う。

 なんか抽象的な説明になりやんしたが、時々ふっと思う事でした。


チャレンジドと呼ばないで  (2003.11.1)

 (朝日新聞 平成15日10月30日 朝刊の投書欄「声」より)

鍼灸師 (横浜市 41歳)

 「チャレンジド」はすてきな言葉との26日の投書に、視覚障害者(弱視)の立場で抵抗があります。チャレンジドとは神から挑戦することを与えられた人々のことだそうですが、なぜ障害者だからといって様々なことに挑戦しなければならないのでしょうか。
生まれた時、障害を負った時から挑戦することを義務付けられているなんて、まっぴらご免です。 障害を克服するために努力する姿は、健常者から見れば美しいと思うのかもしれません。しかし、ほとんどの障害者たちは障害の克服なんて大げさなことは考えていないと思います。ただ、障害を受容し、当たり前のこと、好きなことに対して自然体で向き合っているだけです。物事に対して一生懸命に取り組む姿が美しいのは、障害の有無には関係のないことです。
 障害者であっても平凡な生活を送っている人間がいることを知っていただきたいと思います。どうか、チャレンジドと呼ばないでください。


「夢」という言葉  (2003.11.3)

 ずっと昔から、不思議に思っていて、時々なんの気なしに、ふっと思い出したりすること。寝てるときに見る「夢」と、将来の「夢」。それぞれを表す意味は同じではないのに、どうして同じ言葉で表すのだろうと。
 そして、英語でも「Dream」と同じ単語で表す。日本語だけならまだしも、多国語でも同じというのがなんか不思議な気がする。
 もちろん同音異義語は無数にあるけど、この「夢」という言葉は、なんかそういうことであっさり片づけては、身も蓋もないような気がしていた。

 寝ているときの「夢」は生理的な現象であり、将来の「夢」は、つまり希望や理想を表す。でも、どちらも頭の中で、主に映像的に起こることである。希望の意味の「夢」は寝ている時の「夢」の様に、まさしく「夢見ている」様な有様だからなんだろう、と自分の中で結論づけている。
 寝ているときに見ることに対する単語の「夢」が基本であって、「理想・希望」を表す「夢」は言葉を借りてきていると言うことかと。

 ま、暇な考察でした^^;。


おっちゃんの料理  (2003.11.5)

 えっと、前にもちょこっと書いたような気がするのですが、地元世田谷の下北沢商店街に、「キッチン南海」という定食屋がある。知っている人はよく知っているという、フライがメインの定食屋チェーンです。チェーンの割には、各店舗料理がかなり違うし、近所で材料の買い出しなどをしているので、フランチャイズ店なのかもしれない。っと、、フランチャイズ店がなんなのかもわからずに書いているのだが。^^;;;

 奥に細長いちーさなカウンター形式の店で、7人も座ればめいっぱい。手前に座っている人がいると、奥から出てくるのも大変なのです。以前は奥さんらしき人と二人でやっていたのだけど、亡くなったらしく、今は娘さんらしき人と二人でやっている。
 最近、ちょっと行く機会が無いのだけど、結構好きで食べに行っていた。取り立てて「旨い!」と言うことはない。いや、こんなことを書いては、作っているおっちゃんに大変失礼なのだけど。
 まぁ、平均以上な味のフライ料理である。でも、結構満足するのです。それは、店主のおっちゃんが料理をしているからなのです。
 おっちゃんと顔なじみなわけではない。会話をしたと言うこともない。顔は覚えているだろうが、ただの一客とおっちゃんにすぎない。でも、おっちゃんの働きぶりを見ていると、とても満足して食べて店を出られるのだ。

 おっちゃんは50も半ばを過ぎただろう。5年ほど前だったと思うが、客の兄ちゃんとおっちゃんが話をしていて、「おっちゃん52やで」と言っていたのを聞いたからだ。
 おっちゃんは、仕事がとてもリズミカル。皿にご飯を盛るのでも、ころもをつけた具を油に落とすのでも、それを油から上げて包丁で切るときでも、すべてがリズミカルで、まるで踊っているようだ。
 そして、妥協を許さない気持ちがあふれつつも、顔からは充実感が見て取れる。「おっちゃん、張り切って作っちゃうからね。たくさん食べてや」と全身が言っているようだ。
 食欲のない時にフライ料理などは、普通食べられたもんじゃ無いでしょう。でも、ちょっと食欲の落ちているときでも、不思議においしく全部食べられてしまったりしたのだ。それはひとえに、おっちゃんが客に満足して食べて帰って欲しいからであり、それと同じくらいおっちゃん自身が、自分の仕事が大好きで誇りを持っているからだと思う。
 おっちゃんを見ていると、料理を食べさせる仕事の本質が、見えるような気がする。やはりなんと言っても第一は、お客さんに満足して欲しいという気持ちなのだ。売り上げを伸ばす手段として、お客を満足させるにはどうするか?なんて姑息な二次的な気持ちではない。
 日本を代表するフランス料理の三国清三シェフも、料理にはとてつもなく厳しくても、それをお客に感じさせてはいけない、と戒めているらしい。自分の料理で、お客に満足して帰って欲しいのだ。
 それらと比べると、ラーメン関係に多いが、一流料理人とおだてられて、客にまで食べ方の厳しさを強いるのなどは、どんなに味自体は良くても、料理人としては三流も四流もいいところだろう。事実、横浜方面でたまたま入ったラーメン屋が、そのような有名な主人の店だったらしかったのだが、全体に高飛車な雰囲気であふれていて、腹が立って旨いのかまずいのかがサッパリわからなかった。

 商店街を通ると、まだまだおっちゃんは元気にお店をやっている。また近いうちに食べに行きたいもんだと思っている。


「将来」と「未来」  (2003.11.7)

 以前、日本語を学んでいるミャンマー人に、次のように聞かれた。

「将来」と「未来」とでは、どう意味が違うのか?

 言われてみたら、これはかなり難しい質問だった。なんとなく使い分けている単語であって、その言葉の違いを意識したことなどはほとんどない。
 しばし考えた末、「未来」は「自分の意思とは無関係に起こるこれから先の事」で、「将来」は「自分の意思で決めることの出来うる先の事」、の様な説明で答えておいた。つまり、自分の意思で「いずれ○○したい」というように、行動を起こした結果やってくる「先」は「将来」であって、特定の個人なり団体なりの意志に依存しないのが「未来」であると。ちょっと極端ではあるけど、こんなところが妥当だと思ったのだ。どちらも肯定的な表現である点では同じでしょう。

 では、辞書にはどう書かれているのか?と言うと、特に両者に違いはない。ほぼ「未来」=「将来」で書かれている。そうかなぁ?


目に見えないハンディキャップ   (2003.11.11)

 5年以上前に、新聞の書評欄で見つけて、これは是非読みたいと思う本があった。タイトルや著者をメモしなかったので、探しようがなく、ずっとわからなかった。
 先日、ひょんなことから、他の本の中にその探していた本の内容が書かれていて、やっとタイトルがわかった。

 エマニュエル・ラボリの「かもめの叫び」という本なのだが、生まれつきのろう者(聴覚障害者)で、その後女優になって成功した、フランス女性の自伝的な本である。
 以前の書評で興味を持ったのは、彼女が7歳で手話を覚えて、初めて言葉を獲得する以前は、「時間の概念が存在しなかった」という点だった。言葉を獲得することによって、自分が「私」であることを知り、生きているということを知り、それまで「現在」しかなかった世界に、過去と未来が発生した。言葉を獲得する以前の記憶は、時系列が混沌としているという。驚くことにフランスでは、1976年まで法律で手話を使うことが禁じられており、学校教育でも1991年まで公的には認められていなかった。身振り手振りを用いるのは、下品で挑発的で、官能的な行為の言語と見なされていた。美しくなく、見苦しい言語とされていたのだ。

 この本で、いろいろな発見があったのだが、改めて「なるほど!そういえば」と思い直すことも多かった。あらゆる障害の中で、聴覚障害というのは、唯一の目に見えない障害である、と言う点もその一つである。

「車椅子に乗っている人や、盲目の人、手足を失った人は一目でわかる。でも、聞こえない人はわからない。障害が目に見えないから、他の人たちは、ろう者であるという事実を消してしまおうとする。ろう者の人たちが皆、聞こえることを望んでるわけじゃないことを知らないのだ。彼らは、私たちが同じように望んでいるだろうと勘違いして、無理にも自分たちと似せたがる。だから、お互いにフラストレーションがたまるのだ。私たちが欠けていると思っていないものを、勝手に埋めようとするから。」

 以前の雑記帳にも書いたのだが、勤めていた会社の同僚に聴覚障害者がいた。彼と会話をするために手話を覚え、それにつれ、どちらがどう障害があるのかはっきりしなくなってきた。
 彼は聴覚がない分、他の感覚が鋭く、そういう意味では、自分はその部分が障害だと言えなくもない。彼は運転免許証を持っていると言った。
「聞こえなくても免許って取れるんだっけ?」と聞くと、問題はないと言った。
「だって、クラクションとか鳴らされても、わからないでしょ?」に対しては、運転しているのが聴覚障害者であると示してあるので(ステッカーか何かだったか?・・)、後ろの車の運転手は手を挙げることになっている。そうすれば、バックミラーでわかる。と。
 自分はその時すでに免許を持っていたが、そんな話は初めて聞いた。18の時に取ったので、その後に出来たルールなのか?でも、やっぱり、他でも聞いたことはない。

 それらの話を聞いたときは気づかなかったが、確かに聴覚障害は、わざわざ示さないと障害であることは非常にわかりづらい。話しかけても声が届かないために、無視されたと勘違いされることだってあるだろう。
 前述の会社の時には、彼が聞こえないのをわかっているのに、たびたび後ろから声をかけている上司もいた。ま、それはただの無神経とか鈍感の部類だと思いますが。

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