世界で最も小さい歌?  (2003.5.18)

 爽快な気持ちになる詩には雄大なモノが多いけど、俳句などでは逆にミクロや内面の微少なモノを歌ったのが多い気がします。
 その中でもきわめて小さな世界を歌ったモノを見つけました。おそらく世界で最も小さい歌。

「蚊の落とす涙の中の浮島に 船を浮かべて地引ひかさん」
 (豊臣秀吉家臣の知恵者、曾呂利新左衛門が作った歌。)


泥棒村  (2003.5.20)

 今から10年ほど前に、世話になっていた額屋のオヤジから聞いた話だった。

 そのオヤジは若い頃、ある地方を旅していて、ある小さな村に迷い込んだ。宿もなく、他の町や村ともほとんど交流の無いような、一種閉鎖されたような感じの村だったという。
 その村に泊めてもらううちに、オヤジはとんでもない事実を知ってしまった。ごく小さなその村、というより小さな集落は、ほとんど親戚関係のような構成の住人であり、全員が泥棒を生業としていた。
 だからといって、一昔前の漫画のように、お互いの家に盗みに入りあって、生活を成り立たせているというのではない。年に何度か旅行者を装って村の外へ出て、そこでいろいろなモノを盗んでくるのである。決して強盗のたぐいではない。
 そのようなときには盗賊集団と化し、連係プレーで盗みをはたらくことで生きていた。それ以外は、閉鎖された集落でひっそりと質素に暮らしていたという。

 オヤジは、その集落の存在する地域の名前は伏せた。秘密を知ってしまったオヤジは、命と引き替えに、一生そのことを胸の中にしまっておくことを命じられたからである。

 いやいや、オヤジの話はとても真実みに満ちていた。ただ、普段から冗談も言わないオヤジだったが、結構ほら吹きではあった(疎遠になってから気づいた^^;;)。しかも昔話の類いだし。

 でも狭いようでいて、集団が隠れて生きていても、まったく人に知られずに済む場所も多いこの日本。そういう集落が存在しないとも限らないとは思ってしまう。


楽しみは後か先か?  (2003.5.22)

 たとえば食事の時、好きなモノは後に回して楽しむか、それとも先に食べるか。ほとんどの人は、後回しにするのではないかと思う。というか、先に食べてしまう人は見たことがない。
 自分も後に残しておく。嫌いなモノは先に食べてしまうか、なるべく早いうちに食べてしまう。まぁ、細かく言えば、好きなモノを軽く味わっておいて、後は最後にとっておく。
 でも、はっきり覚えているのだが、幼稚園の時、お弁当のサンドイッチを食べるときに、好きな具のモノから食べていた。ずっと心の隅にそのことが引っかかっていた。もしや、好きなモノから食べる方が自然なのではないか?と。

 考えるに、好きなモノや楽しみを後回しにする、というのは、現在と未来という時間感覚を獲得している証拠である。しかも、未来は間違いなくやってきて、そこに至るまでに障害が発生するという心配もないのだ。一寸先はどうなるかわからないような不安の中で生きていたら、はたして後回しにするなんてことをするだろうか?
 動物はもちろん好物から手をつけるでしょう。大好物が手に入ったときに「これは後の楽しみ♪」なんてことをするはずは無かろうもん。

 自分もいつの頃から、目の前にある好きなモノから片づけないで、楽しみにとっておくという行動を獲得したのかは定かではない。明らかに、このような行動は、教育されて獲得したモノだと思う。行動をするとき、もっと言えば生き方として、計画を立てて行うことを教育された結果だと言ったら言い過ぎだろうか?
 教育という言い方が適切でなければ、育った社会・文化の中で身に付く生き方、という事ですね。


●あおおにくん  (2003.5.22)
高校時代だったか、教科書で、ゴリラに手話を教える話があったんです。
そのゴリラ、
「~は後で食べるから。」
とか手話で話していたそうですよ。
●Ryoichi     (2003.5.22)
あぁそうそう、忘れてた。
それ、ゴリラの「ココ」ですね。
チンパンジーでもそのような実験はされていて、かなり高度な思考があることはわかってますね。考えたら、犬だってウソを付くし。


デジタルで紙とおさらば?  (2003.5.24)

 パソコンが普及したのは、そんな以前のことではないと思う。自分が使い始めたのは4年ほど前で、そのころにはかなり一般的になっていたのではないかな?なんでホームページやらないの?なんて言われていたので。(しかし、なんで?と言われてもなぁ。^^;)
 他のところにも書きましたが、社会に出た最初の仕事はコンピューターソフトウエアのSEでした。企業のオンラインシステムの構築などをやっていたので、パソコンレベルはさっぱりわかりませんでした。そのころはパソコンではなく、マイコンと呼んでいたと思います。マッキントッシュがグラフィカルインターフェースを発表する前です。一般向けのコンピューターは、まだまだ普及のふの字も無かったですが、オフィスでは徐々に使われ始めていた。

 自分がコンピューター関係の仕事をやっていたのはわずか2年半で、辞める頃、オフィスLANの開発や、社内電子メールの実用開発なんかをやってました。「オフィスから紙が消える!」なんて言われていた頃だと思います。コンピューターにデジタルデーターとして蓄積されるので、紙の山からはおさらばできる、という期待ですな。
 それがどんなたわごとであったかは、もう言わずもがなですね。コンピューターの仕事をやっていた自分たちだって、なに言っちゃんで!と思ってたはずです・・・。
 システムやプログラムを作る段階で膨大なプリントアウトを必要とするから、もう周りは紙の山です。たばこを吸っている新人には「紙の山の中で仕事しとることを忘れんなや」と注意が飛んでました。いくらデータがデジタル化になったとしたって、どうしたってプリントして確認したいですからねえ。(このあたりのことも前に書いたな^^;;)おそらくパソコンを導入した後の方が、紙の消費は増えているでしょう。

 パソコンを手に入れた4年前、バンドルされていたソフトの、オンラインマニュアルなんかをプリントアウトしてました^^;;。ロータスオフィスとスキャナーにバンドルされていたPhotoshopLEをプリントアウトしてバインダーに綴じてました。結局ほとんど見ませんでしたけどね。片面プリントなので、かなりな量になり、その後は試しプリント用にリサイクル。もちろん今は、マニュアル類をプリントアウトなんてしません。でも、画面上でマニュアル見ると理解しにくいんですよねえ。


電車の窓  (2003.5.26)

 先日電車に乗っていたら、とても懐かしい心地良い雰囲気を感じた。窓から風が入ってきていたのだった。
 ずいぶん久しぶりな気がした。以前は、よほど寒い時を除けば、電車の窓は開いているのが普通だったと思う。もう十年以上たつんじゃないだろうか?ちょっと暑いかな?というくらいで、ガンガンにクーラーを入れるようになったのは。ちょっと暑いくらいなら、窓を開ければ良いんじゃないのか?

 前にも「冷房公害」の項で、気ちがいじみた都市部のクーラーの使い方を批判した。暑いのに上着を着て汗をかいている輩は、見放して欲しい。
 新幹線などの超高速鉄道でもないのに、最近では窓の開かない電車も増えてきた。鉄道側が、窓を開けないことを推奨しているのか、それとも窓を開けたがらない客が多くて、それにこびているのかは知らない。
 窓から手や顔を出すと危険とか、もう外気の汚れが目に余るから窓を開けないのか?死ぬほどにクーラーを効かせないと、客足が鈍るという観光施設もあるそうなので、もう誰がどうおかしいのか?というレベルでもないのかも。


震災での安否  (2003.5.28)

 今回の東北の大地震は、ここ東京にも大きな揺れをもたらしましたね。今回は、大きな人的被害は出ていないためか、それほど安否確認の混乱は無かったようです。
 と言っても、大幅な発信規制はありましたけどね。ああいうときは、直後だったら携帯メールの方がつながりやすいそうですが。

 かつての阪神大震災。自分もあちら方面に3年ほど仕事で住んでいたので、元同僚などの安否がとても気にかかった。電話はすぐに通じるわけ無いだろうからとはがきを出した。でももし被害が大きかったら、はがきなんて本人に届くのか?と言うところまでは考えずに出した。^^;;

 大震災のその日の夕方、二人の先輩から電話をもらった。どちらも関西支店時代に一緒に仕事をしていた外注の方で、外注といっても同僚と同じようなもんだった。
 大阪で仕事を続けていたその先輩は「心配しとるやろうと思って」とわざわざ電話をくれた。もう一人の先輩の方(S氏)は、その数年前に淡路島の実家に戻り地元で働いていた。やはり「心配しとるやろ思て、電話してん」と。

 そのときの会話は、大震災の地域からとは思えないモノだった^^;;。
以下S氏と自分(R)の会話のごく一部。

「うちんとこは、全然平気や。棚からモノが落ちたくらいでな。どや、遊びに来んか?」
「怒られんで^^;」
「コアラもおるし」
「へ?淡路島ってコアラおんの?ほんまに?それ野生のコアラちゃうの?」
「ここ、オーストラリアか!」
「ほんまはSさん、死んどんのに気づいとらんのちゃうの?」
「おぉ! ほんまや!魂の緒が見える!(肉体と魂を結んでいると言われているヒモのようなもの)」

 その数年後に実際に淡路島に遊びに行ったのだが、ホントに被害は少ないようだった。
かと思うと、本当に紙一重の地域の差だけで大被害だったりで、消息不明の知人もいた。


かき?  (2003.5.30)

 小学校一年の時だった。母親にお使いを頼まれた。
お題、、いや、買い物は「かき、200グラム」。

 早速お店に行った。
「すいませ~ん、かき200グラムくださ~い。」
 お店のお姉さんは怪訝な顔をした。
「え?200グラム?2キロじゃなくて??」
「はい。200グラムだって。」

 と、果物屋のお姉さんは柿ひとつをはかりに乗せてみた。
「これ一個でけっこう200グラムあるわよ。う~ん、、ねえ、もしかするとそのおつかい、魚屋さんじゃない?」

 なに?なんで魚屋に柿が売ってるんだ?自分には全く話が見えなかった。なにしろ、あの「蠣(かき)」という貝の事なんて全く知らなかったのだった。
 もちろん帰ってから、母と姉の笑いモノになったのは言うまでもない。


リアルな会話  (2003.6.1)

◆ 椎名誠著 「麦酒主義の構造とその応用胃学」(集英社文庫刊)より

 小説の会話を書いていく上で、いつも気になるのが、どのくらいリアルに表現していくか、ということである。
 多くの小説はどのようなジャンル、シチュエーションであっても、その創作の発信場はたいがい一人の作家の頭の中である。頭の中であり得べき会話を組みたてて会話の文体にしていく。したがってそれらの会話は、おおむね「嘘の組みたて」である。
 本当の会話と、小説の会話を注意深く吟味していくと、嘘である小説の会話が圧倒的に理解しやすい。何を言わんとしているのかよくわかるし、その会話によって双方の動作までこまかく読みとれることが多い。
 けれど通常私たちがいろんな人と交わしている会話はとてつもなく未整理かつ偏向していて、他の人がちょっとその場で聞いたくらいではなかなか理解できない、ということの方が多いようだ。

「だからあべさんのところまであれしてやんないと誰もわかんないから」
「わかんないかね」
「言うだけのこと言ってやんないとちゃんとみてくんないからだめだよ」
「言ってやんなきゃあ。誰か言ってやんなよう」
「よばればいい」
「よばれるかねえ」
「言ってやんなよう。言ってやんなきゃあ」
「だからみんなのうちの誰かが代表してあれしてやんないとわからないから」
「そ。言うだけのこと言ってやんないとちゃんと。あれしてやんないと……」

 この会話は映画のロケのとき、メイキングビデオの中に偶然入っていて、おばさんたちの姿は映ってはいない。録音操作のミスで入っていたものだったが、一人のオバさんの怪獣じみて太い声がおもしろくて、かなり強烈な、しかし何を言っているのかナゾに満ちた会話であった。おもしろいのでヌキ書きしたが、実際の私たちのリアルな会話というのはおおむねこんなもののようだ。
 テレビドラマが空疎に思えるのは、やっぱりそこで交わされている会話にあるような気がしてならない。
 テレビドラマの会話は、そこで話している事柄がみんな正しく明確である。言っている言葉の内容にあまりムダがなく、用語の組みたて、文法も正確である。語尾まで非常にはっきりと語られ、あまつさえ、他の人々は一人の喋りが終わるまでじっとおとなしく聞いている。
 だからドラマを見ている人は、小説の会話を読む以上にそこで語られている話の内容を理解することができる。


不自然なセリフ  (2003.6.3)

 前回に続き、小説やドラマでの会話ですが、自分がいつも不自然だと思って引っかかっていたケース。

 例えば、電話で話している場面だったとする。画面、または文章で描写されているのは、電話で話しているこちら側の人間だけですね、普通は。そして、その会話のセリフですが、
 「え?なんで今日来なかったかって? ちょっと野暮用でさぁ・・」
なんてセリフがあったりする。これ、現実には絶対にないですよね、「なんで今日来なかったかって?」という部分は。ドラマや小説だと、電話の向こうの声を描写できない場合、このようにまるで視聴者や読者に説明するようにセリフを組みたてる。
 現実の会話だったら、その部分がよく聞き取れなかったら、「なに?」と聞き返すのだし、もし上述のように相手の言葉を復唱する人がいたら、是非教えていただきたい。
 このようなセリフを見つけると、どうしてもその不自然な描写にうんざりしてしまうのですだ。


「ご縁がなかったと言うことで…」  (2003.6.5)

 前にも雑記帳の中に書きましたが、就職の合否の連絡の仕方で、「連絡がなかったときは、ご縁がなかったと言うことで・・・」と言うのがありますね。自分も、東京に戻って何社かの面接を受けたときに、頻繁に言われた言葉である。本当に無責任な言い方だと思う。
 言われた当時も「ふざけんな!ばかやろう!」と胸の内では思ったものだった。採用しないものはもう無関係だから、手を煩わせたくないし、断るというのは言いにくいものだという心理の問題なのは百も承知。さすがに新卒採用時はそう言うことはあまり聞かないが。

 最近はインターネットでの就職試験を行うところも増えているようで、当然サーバートラブルなどでつながらないというケースだってあるでしょう。先日、新聞の投稿欄にその「被害者」の声があった。会社側に連絡して、もう一度試験をやらせてもらえるように頼んだが、「上手くつながらなかったということは、ご縁がなかったと言うことでしょう」と拒否されたという。他人事ながら、きわめて腹立たしい。言わせてもらえば、その程度の会社なのであって、採用されない方がラッキーかもしれない。インターネットでの就職試験というのは、経費や時間の節約の目的があるのだろうけど、もちろん替え玉その他諸々が発生しやすい、きわめてずさんな方法だと思うのだが。

 会社側は、そのように人間を扱うということが、その会社の信用を失う一歩だというのがわからないのかなぁ?何百人を試験する会社だって、ちゃんと郵送なり何なりで合否の連絡はするだろう。中途採用だったら、多くてもたかだか数十人だろうし、自分がかつて言われた会社は、どう見ても応募はそんなに多くはなかった。その程度の対応も出来ないというのは、やはりその会社はたかがしれていると言うことだと思いたい。

雑記帳16< エッセイメニュー >雑記帳18