物の生命(いのち)2   (2003.2.21)

 前に、「物の命」と言うのを書きましたが、つづきを。
 小さい頃から、どんな物にも、命や心があるような感覚を持っていました。多分に擬人化された部分を持った感じで。

 筆箱の中に鉛筆が並んでいて、一本だけ離れていると、寂しかっただろうから、今度はほかの鉛筆の中に入れてやったり。石は石で、石としての生き方以外の扱いをされると辛いだろうとか。(石の本来の生き方がなんなのか、考えたらなんだか分かりませんね^^;;)

 そうやって思い返すと、命や心を持っていると感じていた対象は、個体に限られています。液体状や気体にはそう言うことはない。土や砂のように境界がはっきりしていなくて、形を変える物には、そう言う感情は抱いていなかったと、今はっきりと分かりました。ま、形を変える物でも、その物体自体で完結していれば、そういう感情は抱いたのでしょう。ひとかたまりの粘土とか、アメーバーのように、形は定まっていなくても、そのものの境界を持っている物とか。
 もちろん、現実界の物だけでなく、漫画のキャラクターなど、二次元の物も対象になっていました。

 両親からそういう感覚を引き継いだとは思えません。母親もそういうことを言ったり、振る舞ったりしているのを見た記憶は皆無だし、父親は超唯物論者だったし。宗教的な感覚でもなく、何となく物心ついたときからあった感覚なんですね。

 いらついたとき、腹が立ったときに、物にあたると言うこともしばしばありますが、ほとんどの場合、実際に打撃を加える前に思いとどまっているのは、そういう感覚を今でも持っているからなのです。
 まぁ。めんどくさがりなので、物は良く投げるのですが。^^;それじゃ、いかんだろうって?

素朴な疑問  (2003.2.22)

 以前から不思議に思っていたことがある。紳士服の量販店、コ○カや青○とか、メガネの量販店、メガネスー○ーやメガネド○ックの類の店舗。
 あれらの店、店員よりお客の方が多いという光景は見たことがない。つまり閑古鳥が鳴きまくっているようにしか見えない。

 でも、経営不振で店舗が閉鎖になったとかいうケースも見たことがない。そして、次々に華々しく新店舗がオープンしていく。いったいどこで利益が出てるんだ?
知人の服飾業界にいくらか詳しい人に聞いても謎だった。

東京もよいとこ  (2003.3.24)

 自分はここ東京の世田谷で生まれて育ちました。東京生まれの人間にありがちですが、東京はいやだ、田舎で暮らしたい、なんて思いに駆られたこともあります。
 そうするとすぐに思いつくのは、農業などをやりながら暮らすという方法ですね。そういうのをマジに考えたこともあります。

 で、今こうしているということは、もちろんそうしなかったということです。そのときは、東京は人間がまともに生きていくところじゃない、不自然な場所だ、嫌だ、ここから逃げたい、と考えているわけです。いまは、前向きに考えてみれば、東京は良い意味で便利でおもしろいところだ、と思えるようになったのでした。

 そもそも、逃げたいと思っていたときは、別に生きるのに困っていたわけではなく、東京の嫌なところをあげつらって、では、どういう所へ行って、なにが出来るのか?と、考えを巡らせている余裕があったわけです。
 理想に思っていた田舎は、たまに息抜きに行くからとても良いのであって、そこで普段の生活を送って、しかもやったこともない農業などが出来るのか?と考えたら、ひたすら怪しい。ただ現状が嫌だということで、それを今住んでいる場所から逃げたい、ということと一緒くたにもしていたように思う。だいたい、「逃げる」という動機で移り住んだら、その先でも同じことになるんじゃないかとも思ったのだった。でも、逃げることで道が開ける場合だってあるのだから、これは何とも言えませんね。

 自分は一時期モンゴルにはまっていて、友人からも、移り住んでもやっていけるんじゃないか?などと言われていた。冗談として聞いているからこちらも笑っているが、マジな話だったらとんでもないことで、やっていけるわけはない。
 何しろ、遊牧民としてやっていけるんじゃないか?という話なのだから。向こうの都市部に住むのだって、気楽にやっていけるかどうかの自身もない。ましてや習慣も食生活も違う土地で、厳しい遊牧生活を営めるなんて微塵も思わない。自分たちは、過ごしやすい短い夏に遊びに行っているから楽しいのだ。

 石垣島を中心に沖縄も好きだが、やっぱり時々遊びに行くという良さはある。そう思うようになってからは、大いに東京に生まれ育っていることのメリットを感じるようにもなった。ただ、この近辺の、地元民を置き去りにしたような繁栄はちょっとなぁ。。

 田舎暮らしと言えば、夫婦で山に移り住んで、自分たちでログハウスを建て、全て自活しているような人が時々紹介されますね。なんか、いつも旦那さんはワークシャツでバンダナを巻き、奥さんは庭でハーブをやっていて、パンを焼いたら評判になって、パン教室もやっている、というパターンのような気がするのだけど、気のせい?

白猫?  (2003.3.26)

 ふと、しょもないことを考えた。
老化するに従って、毛が脱色していくのは人間だけなんだろうか?
もし、動物にもあるとしたら、黒猫が老いたら、白猫になったりして(爆)。


・>白髪
 馬がそうですよ。
 なので、白馬はじーさんです。
(あおおにくん 2003.2.26)
・>白髪猫
いますよ~年寄りの黒猫には「白いもの」が混じっていました。
(MOTAI さん 2003.2.27)

「平年」  (2003.3.28)

 天気予報では、温度の予報を出すとき「明日は平年に比べて暖かいでしょう」などと告げることがありますね。

 あれ、昔から「そんなこと言われたってしょうがないじゃん」と思ってました。いちいち平年の体感気温を記憶している人なんかいないだろうから、「今日」と比べてどうなのか?を言ってもらわないことには、予報が役立たない。まあ、もちろん、その後にちゃんと「本日との温度差」の予報が出ますが。

 さて、花粉症ですが、そろそろ飛散のピークにさしかかるそうです。前にも書いたように、ずっと花粉症です。昨年、花粉の飛散量が史上最高だと言うことだった。でも今年は「昨年より多い」予想らしい。と言うことは、史上最高記録を更新するはずなのに、そう言う話は聞いていない。

 前述の温度の話と同じく、花粉の飛散量も「平年より云々」と言われる。ここ十年くらいで、平年より少ないというのはほとんど無かったのではないかな?なんだか毎年「今年は平年より多いでしょう」という、他人事の様な口調の予報が出されているように思う。

 「平年」というのは、過去何年間かの平均ではなかったかなぁ?(忘れたけど)
年々異常気象で、その平年値が毎回書き換えられているんではないのだろうか?でも、ここ数年「異常気象」という言葉を聞かなくなったような気がする。昨年から、夏はそれなりに暑かったし、今回の冬は暖冬の予想を覆して、久しぶりにまともな冬だと思うし。
 そう言えば、中学の時の教科書の巻末に(多分地理関係)、日本の各地の気温が表になっていた。その中で、東京の季節別の気温が、夏は最高28度、となっていた。そのときでさえ、おいおいいつの資料だよ?と思っていたもんだった。今、夏の最高が28度だったら、冷夏でエアコン業界がピンチになるんではないか?それとも、気温を測るポイント地点の問題なのか?

マラソン中継  (2003.3.5)

 マラソンのテレビ中継を見ていて、いつも疑問に思うことがある。 走者の前を中継車と、先導する白バイが走っている。
あれは、電気自動車や電気バイクというわけではあるまいに。
そうすると、微量とはいえ、選手に排気ガスを吸わせながら、マラソンをさせているのではないか?

学級委員  (2003.3.7)

 現在東京方面では、夕方に「3年B組金八先生」シリーズの再放送を放映していて、時々見ています。シリーズの最初は自分も同じ年代で、シリーズの2までをリアルタイムで見ていた。
 そのときには気づかなかったのだが、今回の再放送を見て気になったことがある。「学級委員」の存在である。

 自分は小学校6年のときに学級委員長をやったが、もちろん進んでやったわけではない。学級委員のほかにも各種委員があるが、誰も積極的にやりたいという者などいなかった。もちろん、中学でも同じだ。平たく言えば、誰が犠牲になって学級委員になるか?と言う感覚である。高校の時には1、2年に広報委員というのをやった。これとて運悪く担当してしまっただけで、出来ればやりたくなかった。今振り返っても、別にやって良かったとも思っていない。附属高校だったので、3年になると推薦に有利になるようにと、それまで委員をやっていなかった者が積極的に名乗りを上げた。積極的と言ってもその程度の理由のものだ。

 さて、気になったというのは、「おそ松くん」をはじめとする、赤塚不二夫氏の漫画の中のことである。小学校の頃、赤塚不二夫氏の大ファンで、一連の作品を読みあさった。漫画の中で度々、学級委員長選出の場面が出てきた。その中で、立候補者が出るのだが、みんな自分がなりたくて立候補するのだ。
 ギャグマンガではあるが、その時代の日常の感覚が反映されているはずだから、その当時は学級委員というのは、積極的になりたいものだったのだろう。
 赤塚氏のその一連のマンガは昭和30~40年代が舞台で、自分が登場人物と同じ年代として行動するには一世代は古い。と言うことは、それから一世代後の自分たちの時代には、もう学級委員というのは出来ればなりたくない面倒なものであったと言うことだ。というより、できればよけいなことには関わりたくない、という感覚が蔓延していたと言うべきか。

 金八先生の最初のシリーズでは、当然自分と同じ世代なので、やはり学級委員は「誰かが引き受けなくてはならないから、引き受けた」という役回りである。そして、もちろんその後のシリーズでも同じ。出来れば、そんな面倒なものを、ましてや受験期にやりたくはないので、学級委員長を金八先生はねぎらっている。

 小学校の時に「おそ松くん」にはまっていて、描かれているおそ松くん達は自分と同じ年代でも、その時代背景がずれているため、自分には、なぜそんなにしてまで学級委員になりたいのかが理解できなかった。読んでいる当時には、時代背景が違ってきているための感覚のずれだとは気づいていなかったし。

となり町  (2003.3.9)

 前回につづいて、赤塚不二夫氏の漫画を読んでいて疑問に思っていたことです。むさぼり読んでいたのは小学校高学年の時。
 赤塚氏の漫画の中には、頻繁に「となりの町」という表現が出てきました。となりの町からやってきて、迷子になった子供とか、となりの町まで行く、とか。
 このニュアンスが全く分からなかったのです。自分は今住んでいる、東京の都市部で生まれ育ちました。町というのは連続していて、どこで切れているものでもなかった。誰でもそうなのかはわからないけど、自分が生まれ育ったところというのは、町名や番地にしても、どこまでがどういう町名なのかは意識していない。強いて言えば、繁華街が駅周辺にあるので、それが、次の駅と自分の最寄りの駅で離れているくらいの感覚である。少なくとも自分が日常で知っている範囲で、住宅地や建物がとぎれている地域というのは知らなかった。

 この「となり町」の感覚を理解したのは、旅を良くするようになってからだった。最初の頃に良く旅をしたのは、北海道。集落という言い方は失礼かもしれないが、ひとつのまとまった単位の町があって、そこから離れていくと、しばらくはほとんど人家らしいものは無い地域があり、やがて次のまとまった町が現れる。

 赤塚氏の漫画の舞台になっているのは、都市部に近い場所なので、それほど町同士が離れているわけではないにしろ、それに近い感覚であったのだろう。だから、「となり町」の「ニュアンス」を理解したのは大人になってからのことだった。

 いま、自分は絵の題材として、この「となり町」の雰囲気をテーマにしたものを、好んで描いくことが多い。

5曲目の怪  (2003.3.11)

 今時は、音楽のアルバムと言えばCDですが、その昔はLPだった。そのころから不思議に感じていたことがある。
 誰でも、気に入って買ってきたアルバムの中での、一番のお気に入りの曲というのがあるでしょう。それが自分の場合、かなり高い確率で5番目の曲なのである。
 アルバムの構成の仕方として、多くの人に好まれそうなモノをその辺りに配置していて、自分はその一般的な好みにはまっているだけなのかなぁ?

 アルバムの中でも、シングルカットされたりして、特に流行った曲が5曲目に入っていると言うことではなく、初めて全曲を聴いてみて、5曲目を気に入る事が多いということである。でも一番多いパターンは、探していた曲の入ったアルバムをようやく手に入れてみると、だいたいその曲は5番目なのである。

 ちゃんとデータを取ったわけではないので、全部調べてみると、たいした確率ではないのかも知れない。単にほかの順番の時に比べたら、5番目である場合が多いから、強く印象に残っているのかも知れないが。
 同じようなパターンを持つ人は、他にもいるのだろうか?

偶然  (2003.3.13)

 「偶然」というのが、自分の人生の中には多いと感じます。
 この世に偶然というものはなく、全て意味があって起こっているのだ、という思想もありますが、自分は、良いことが起こったら「ハッピーな偶然」と喜びたいです。強いて言えば、その偶然に対して、自分がどのように反応して活かしたのか?そのように、後から自分で肉付けする意味の方が大切だと思います。すばらしく活かせたなら、自分にとって意味のある偶然だったと。

 誰かの話をしていたら、その人が現れたなんてのは序の口「そういや、あいつどうしてるかな?」と、ふと思ったら、電車が止まったときに、その人が目の前の乗車口から電車に乗り込もうと並んでいたとか、旅行中に旅の途中の乗換駅で、昔の友達に会ったり。
 5年ほど前、地下鉄銀座線に乗り込んだら、離れたところから「伊藤くん!」と呼ぶ声がした。そちらを見ると、大阪にいた頃に同僚だった人がいる。東京に遊びに来てたまたま乗っていたと。そんな例はまだまだある。

 偶然が多いと言っても、もちろん前述のような恐ろしくすばらしい偶然は、年に一回くらいのもので、印象が強いし、そう滅多にないケースばかりなので、頻繁に感じるのだが。

 おもしろいのは、石垣島の宿でのこと。見覚えのある男がいた。先方も覚えてくれていた。二人して、どこであったのかを思い出そうとした。沖縄のどこかだとばかり思っていた。
 そして、ほぼ同時に二人で思い出したのだが、全く両極端の地の、北海道・知床の民宿で会ったことがあったのだった。前に会った北海道から帰った数ヶ月後、その彼からハガキをもらっていたのだが、知床をツーリング中、エゾシカに「ひかれて」バイクは大破、本人も骨折して入院していたとか。エゾシカはそのままひき逃げしていったという^^;;。

 えーっ!!と驚いたケースは、友人(Kさん)がそのまた友人(Aさん)と一緒に絵を習いたいと言ってきたときの事。KさんがAさんに僕のことを話したときに、Aさんは、僕の名前を聞いたことがあると言った。なんとAさんは僕の個展の案内ハガキをもっていた。
 あるお店に行ったときに置いてあった案内ハガキを見つけ、表に印刷されていた絵が好きでずっと持っていたという。その数年後にAさんは、Kさんから僕の名前を聞いて驚いていたのだという。こういう巡り巡ってくる偶然もいくつかあって、こちらが知らないのに知られているというケースもあるらしい。うーむ、うっかり悪いことが出来ん。^^;;;

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