コンピューターソフトウエアの会社でのお話です。
1984年に入社して、わずか二年半の在籍でのお話です。

入社

 1984年に大学を出て、最初に就いた職がコンピューターソフトの会社でした。な~んも考えないで会社を選んで入ったのです。建築学科でしたが、建築方面へ進む気もあまりなかった。
 まだバブルのずっと前の頃でしたから就職するのに大変な思いもすることも無かった。就職活動らしいものもせず、四年の夏頃に就職課の会社資料を見に行ったくらいだし。
 卒論は都市計画ゼミで、四人一緒に執筆していました。その中の一人が会社訪問してその場で面接を受けて内定をとりました。コンピューターソフトの会社です。会社説明会のはがきが来たので行ってみた、という軽い感じです。
 ほんまに今の時代では想像もつかないですね。バブルのときはもっとすごいが。バブルのときは入社してくれる人に車を買ってあげる会社まであったし。
 で、自分のところにも説明会のはがきが来たので、行ってみました。コンピューターの「コ」の字も知りませんでしたが。
 説明会が即入社試験&面接でした。それで、行く前に友人から“SEになりたい”と言え、と言われていました。もちろん何のことかわかりません。
 面接ではたいしたことも聞かれず、まるで世間話でしたね。9月中ごろのことでした。いいかげんだなあ、と当時は思ったけど、そういう普通の会話で人間を見ていたのでしょうね。
 会社は東芝の子会社でまあ大きな会社だったので、即戦力よりは育てる方針でした。その証拠に仮にもSEを育てるのに、同期122人のうちコンピューターや情報関係を勉強したことのあるものは数人でした。ほとんどがまったく関係ない分野。
 もっとも、育てたい場合なまじコンピューターを知っているより、まったく違う分野のほうが伸びるのだそうだ。下手に学校で習っていると、その知識が邪魔をする。なにしろコンピューターの一般論を勉強してもまるで役に立たないので。
 ちなみに、その会社は僕が辞めて数年後、親会社の東芝に吸収されました。

 入社して4、5月は研修。東芝製のパソコンを使ってプログラミングの基礎をお勉強です。なにしろ122人を一度に大会議室で講義するのです。休憩を交えて就業時間内に、ほとんど大学の講義同然です。学生気分が抜けてないといわれても無茶な話。

 初めてプログラミングもどきをやったのですが、これが面白かった。そのあとの配属されてからの大変さのギャップから感じたことは、 趣味でやったらこんな面白いもんもないだろうが、 仕事でやったらこんなつらいもんもないと。
 何がつらいって時間的なこともあるけど、 プログラミングって言うのはどこまでやったら完成かが見えない。とりあえずできたし動くけど、本当に完成しているのかはわからない。いつの日にかプログラムミスのために「落ちる」という可能性はある。
 おまけに自分が関わった仕事のほとんどはオンラインシステムの開発だったが、 納期が約二年後、それなのにもう最初から残業の嵐である。最初から無茶なスケジュールになっているということだったのか?

 6月に全員が各部所、支店に配属になり、わたくしめは関西支店配属と相成った。122人のうち六箇所の地方支店には二人ずつの計12人のみ。その中の一人になったのだった。

 かくして、予期せずして大阪に住むことになったのだが、 これが自分にとってとてもいい栄養になった。大阪に行ってはじめて心から人間関係を楽しめるようになったし。東京にいる時から大阪のラジオが好きでよく聞いていたので、 違和感もまったく無かった。
 関西支店で紹介されたとき「東京の大学へ行っていて、就職で戻ってきた」と思われていたらしい。^^;


 

関西支店での日々

 コンピューターの会社には二年半いました。
 人間関係には恵まれていて、その点の不満も悩みもまったくありませんでした。「関西支店のおもちゃ」と呼ばれて「会社に遊びに来とる」と言っていただいておりました。
 なにしろ、机の引き出しには同僚の女の子にもらったお土産の「ハリセン」(バチーんとたたくやつ)。そしてネコニャン棒なども潜ませていた。ネコニャン棒とはキディランドで買ったネコの前足の形をしたもので、引き金を引くと手の先が曲がるやつです。それを内輪の会議のときなんかに持っていってたのです。
 三時が近づくと、ちまちまと阿弥陀くじを書く。各ゴールには「200円」「100円+買出し」「50円」「0円」などとならべる。
缶ジュースが100円でしたが、ゴール地点で払う金額が決まり「買出し」にあたった人がまとめて買いに行く。これを同じ部署の課長代理以下、みんなにやらせていたのだから良い時代でしたねえ。(おまえだけだって?)
 もちろんちゃんと仕事してましたよ。「いつしとんねん?」と言われてましたが。忙しくて、そんな遊びも一切やらず、黙々と仕事していると皆が寄ってたかって「どないしてん?」「こいつ機嫌悪いねん」とか言っていく。
 「なにが?普通に仕事してんやんか」と言い返すと「だっていつももっと楽しそうやん」と。

 自分の会社は子会社でしたが、各支店にはさらにその子会社がありました。関西支店は本社+子会社の社員の半分くらいの人数の出向の方がきていました。
 誰がどこの会社の人かわからん状態だったし、うまく楽しくやっていたので、外注さんだとか、本社の人間だとか、そういうことは一切関係なかった。外注さんにもたくさん教えていただいたし、同じ会社の先輩と同じです。出向で来ていた外注の女の子に「外注さんですか?がんばってくださいね。」なんて言われたりもしたっけ。^^;
 会社を辞めようとしたときも、最も信頼していた外注の先輩に相談しました。十年ぶりくらいにその方に会ったとき、その方の知人に「友達」として紹介していただいたのはうれしい限りでした。

 

 大阪に赴任したのはバース・岡田・掛布の三連発で阪神が優勝した年。おかげさまですっかり「六甲おろし」を覚えました。東京に帰ってくる三年後は最下位でしたねぇ。


 

2000年問題について

 関西支店ではシステム開発部門として、技術一課と二課があり、自分は二課でした。二課は主に事務処理のシステムをやりました。当時自分が関わった仕事は主に、兵庫の灘神戸生協の商品管理と財務のオンラインシステム開発、アルプス電気のオンラインシステムのメンテナンス、京都「たち吉」の仕事などでした。
 電子メールなんてまったく普及していなかったし、LANを実用化する開発がなされていた頃です。会社をやめる頃の仕事が、社内メールを実用にする仕事でした。

 仕事のほとんどはオンラインシステム開発でしたが、作成するプログラム言語はCOBOLでした。2000年問題で盛り上がっていた頃(盛り上がっていたわけじゃないって?)、旧言語のCOBOLを理解できる人材が不足しているという記事を読んで、 「何?旧言語なのか?」と愕然としたものです。でも、まだまだ現役の言語ですよ。古いタイプのCOBOLがわかる人がいない、ということだったのか?
 2000年問題が起きかねないシステムやプログラムを自分も作っていたわけですが、言い訳をすると、あれはしょうがないと思う。阪神が優勝した1985年頃のことです。
 第一に、まさか当時作ったプログラムが2000年まで使われるなんて、ほとんど誰も思っていなかったんじゃないでしょうか?それこそコンピューターは長足の進歩で、十年先にはまったく違う姿になっているだろうと思ってましたもん。
 SE、35歳定年説と言われていて、35歳を過ぎたら新しい技術についていけなくなると。メモリなどの資源も今ほど豊富ではありませんから、なるべく無駄なデータ領域は取らないようにします。
 2000年問題がおこる原因は、西暦のデーターを4桁ではなく下2桁に設定したからですが、できるだけ無駄な領域は削りたいため、2000年まで動くわけが無いし、下2桁で十分と思っていたのです。
 自分が関わった2000年問題が起きそうなプログラムは阪神大震災でお釈迦になったものもあったみたいだし、最悪どういう状況が予想されるのかはよくわからなかった。でも、多少なりともかかわった身としては、プロジェクトがまったく違うとはいえ、飛行機が落ちるわけが無いだろうとはわかっていた。

 その二年半のコンピューターの仕事を辞めて、99年春にパソコンを買うまで、まったくコンピューターとは疎遠でした。関わってきただけに、コンピューターを信用していないということもあったし、そもそも切実に必要ではなかったわけです。それが、ちょっと買える余裕ができたときに、やってみようかなあ、と買ってしまったのでした。
 使ってみて驚いた。「???何も進歩して無いじゃん?」
 表面的にはグラフィックなインターフェースになっているからコマンドをちまちま打ち込まなくてもいいし、処理速度も格段に速くはなっている。自分がオンライン開発していた頃は「ラインエディタ」という一行単位で扱うエディタが主流でしたし。でも、その根本の中身はまったく同じ。。。
 考えたら、いま実用として使われているコンピューターはほぼすべて「フォンノイマン式」といわれる方式ですが、これは半世紀以上前にコンピューターが登場してから変わっていないわけです。
 おまけに、あのウインドウズだ!! 仮にも商用だろ?なめとんのか?という思いでした。ようやくまともになってきたが。
現在使っているOSはWindows7ですが、WindowsMeと国産OSのBTRONを使っていたときもあった。Meはココで落ちるな、と予想するところで期待通りに落ちました。忠実に落ちてくれるのをかわいいと思えるようになりたかったが、そもそもが出来損ないのOSだったので、あっという間にお払い箱に。
(BTRONは東大の研究室で生まれたOSですが、二年以上使って一度もコケたことはありませんでした。ただ悲しいかな普及しているOSではなかったのでソフトがない。パソコンは使えるソフトがなければただの箱ですから。)
 基本的には何も進歩していないと嘆くか、たかが50年でそうコロコロ変わられても困るだろ、と意見が分かれますが。

 しかし、パソコンは確かに便利だけど、便利だから時間に余裕ができるというわけでは無いとは皆さんも知っているとおり。どんどん時間をとられますよねえ。


プログラムを組むということ

 乱暴なことを言わせていただくと、目的通りの動きをするプログラムを組むことは小学生でも可能です。プログラム言語を使いこなせれば、一応まともに動いているように見えるプログラムは子供でも作れます。
 では、プロとアマの違いは何か。どの分野でもプロとアマの違いは、ネガティブな状況の対処だと思います。失敗したときに、いかに被害が少なくカバーができるか、そしてもっと言えば失敗しても失敗に見せない(見えない)のがプロです。
 話はコンピューターからそれますが、東京へ戻って就職したのが印刷製版の会社。レタッチとも言います。パソコンでのレタッチ作業などが一般化する前です。すべて手作業の職人仕事。
 二年目から数人の新人の技術指導をしていましたが、やり方はまかされていたので、指導のゴールは、どんな失敗をしても自力で解決できるようにすること、それだけです。そうなればもう卒業で、勝手に仕事できます。
 だからなるべく余計なこと(効率のいいやり方等)は教えないで、結果さえ合っていれば良しとして、自分なりの方法を考えてもらいました。どんな無駄な方法でやっても出来上がりが正しければOK。どんな無駄な方法をとっても、決して本人にとって無駄にはなりません。

 

 プログラムも、あらゆる状況を想定してその場合の対処を組み込みます。問題が起こったときに、いかに被害が少なく迅速に元の状態に戻れるようにするか、それがプロの証です。どんなときにもまったくミスが無いなんてことはまずありえないので、そうなったときのフォローですね。

 オンラインのプログラムなんて、未経験の自分にいきなり組めるはずもありません。既存の似たようなプログラムを改造して、プログラムを組んでみることで実地の経験をつみます。
 優れたプログラムは、誰が見ても内容がわかるようになっています。構造がシンプルで、スキがありません。

 プログラムが完成したかどうかの判断は非常に難しいと前に書きました。プログラムを作って、コンピューターが理解できる機械語というのに翻訳します。これをコンパイルというのですが、この段階でエラーが出たりして修正を繰り返す。文法的なミス、スペルミス、などはわかりやすい。
 文法的なミスというのは、要するに「つじつまが合っていないところがある」ということです。よくコンピューターは馬鹿だという理由のひとつが、ピリオドひとつ忘れただけでも、コンピューターは理解できない、などのことがあります。こういうのはかわいいほうです。ミスが一目瞭然だから。最も困るのは、「つじつまの合っている」ミス。

 

 極端な例ですが、「A×B」というプログラムを組んだ場合、自分はA×Bのつもりで組んだのに、A×Cにしてしまった。これは明らかに作り手のミスです。
 ところがコンピューターにしてみれば、A×Cというプログラムはなんら非論理的ではないから、エラーではない。しっかりつじつまは合っている。だから、誰かが結果が違うのに気づかないと、コンピューターはしっかりとA×Cで忠実にお仕事をしてくれます。

 よく銀行のオンラインがダウンして大騒ぎすることがあります。かつての「みずほ」などは論外ですが、桁を間違えたためにダウンするというケースがあります。
 たとえば、ある処理をするために必要な「桁」というのをプログラムで設定します。Aという業務では“最高”で十億円の桁の数字を扱うから、10桁のデータ領域を設定するわけです。設計段階で10桁を設定します。
 しかし、膨大なプログラムを作る過程で、これを誤って9桁に設定してしまうこともよくあるわけです。そうなると、誰かが気づくまではわかりません。コンパイルしても、9桁でも10桁でも論理的に処理が合っていればエラーにはなりません。
 テスト段階で最悪の状態を見込んで10桁を入れてみるのですが、テスト漏れのケースもあるでしょう。この場合、たとえば11桁の数字は扱う処理としてありえないのでそのような大きい桁のが入ってきたときは、処理の誤りを警告するようにプログラムしたりします。
 ところが10桁は正常な処理なのに9桁しか取っていなかったら、プログラムはダウンしたりしてしまう。まったく対処外の出来事だからです。テストもOKで実務で使い始めて、数年間は9桁の処理しか扱わなくて表面上平穏でも、あるとき10桁の処理が入ったときに、初めてプログラムのミスが発覚したりします。
 今はどうだか知りませんが、とっくに手を離れたプロジェクトの担当者にお呼びがかかります。基本的に担当した人しか内部の仕組みはよく把握してませんし。
 それがために、いつ自分の手がけた仕事がこけるかもしれないというストレスで、胃潰瘍で亡くなったなんて記事も見ました。
 かように、理屈の合っている誰も気づかないミスは、もっとも怖いのです。


労働組合

 自分のいた会社は役職以外は全員労働組合に属すことになってました。どうしても労働組合に籍を置きたくない場合は退社するしかないのです。管理職になったら労組から脱会します。
 昨日まで会社に文句言う側だった人が、今日は弁護にまわるのです。でも、役職付きになったら会社側に不満を言ってはいけない立場になるので、われわれに「○○についても(文句を)言っといてな」なんて言うわけです。

 そしてその労組は、コンピューター関係会社の労働組合の連合会である「電算労」というのに属していました。「電子計算機労働組合」の略語です。ちょっと名称が違うかもしれないが覚えていない。後ろに「連合会」かなんかついたかも。
 ココから先の話は、関西支店の話です。本社や各支店にはまたそれぞれの会合があります。

 だいたい月に一回その電算労の会合があります。各会社から二名ずつくらいが出席。うちの会社は毎年新人がその連絡員になります。
 要するに、労組に何も期待してないのですね。新人がそんなものに関わっても役に立たないし、担当にされてもわけがわからない。そもそも何年も会社にいて一通りいろいろわかって、自分なりの意見をもつようになってからでないと、労組に関わる意味はないと思う。単にメンバー揃えでは。
 さすがに新人が毎年のように担当になるのはほかの会社では見当たらなかった。時々新人らしい人もいるが、必ずベテランの人が一緒。これも問題で、ベテランの人が一人前の労組精神を持つように洗脳しているとしか見えなかった。会合はもちろん共産党の会合の雰囲気で行われます。新聞記事からの情報もほとんどが「赤旗」からのもの。もっとも、共産党の会合がどういうものか知っているわけではないのですが。。
 単に担当者を送ってつじつまを合わせるために自分が選ばれているのはわかっているのですが、 会社組織に属して(研修は除く)数ヶ月にもならないのに、そんなところへ行かされても何の実感もないし、意見もないのです。会社経営者側に不満があるのが前提になっているみたいなものですが、不満も持ちようがないほど未経験で、本当にただ出席をしているだけ。

 ストライキというのもやりました。ある日の何時から何時まで仕事をストップするというのを全社的にやるのです。一方的にそういう通達が来ます。ストップといっても一時間かそこらです。お茶でも飲んでいるわけです。そして、その時間分の給料はさしひかれる。まったく、単なる儀式でした。

 ある日、当時成立しかけていた、いわゆる「スパイ防止法」に関する通知が労組の本部から送られてきた。悪法だから皆でこれに反対しよう。と言うわけです。いきなりです。それまでにそれに関する議論がされたとは聞いていない。書類にも、その法律の悪いところばかりが一方的に書かれている。まるっきり悪い部分しかない法律を通すはずはありません。政府側はそれなりにメリットは主張しているはずです。みんなで反対しようというのなら、反対する言い分はもちろんあっていいのだが、肯定する側の言い分も聞いて、その上で論じ合わなければ民主主義もくそもない。だから、何でいきなり「反対しましょう」なの?と言う感じです。

 またある日、うちの労組の委員長と副委員長が本社からやってきた。若い人でしたが、何年も委員長をやっているようでした。労働環境の改善は誰もが望むことでした。残業が多すぎる。これを改善するための働きかけとして、残業代のアップか何かを突きつけるということだったと思う。これも、ハタと疑問に感じてしまったので、その委員長に意見をいたしました。
「目的は残業を減らして、労働環境を改善することですよね?」
「そうです」
「でも、そのことと、金額的なことを主張するのって方向がずれてませんか?」
要するに、残業代をアップしてくれちゃったら残業を減らせとは言えないわけで、目的がずれてしまわないか?ということです。残業代をアップしたら、残業を減らさないという条件を飲むと言うことであって、駆け引きするにも、やり方が違わないか?と。しかし、大幅にアップを要求することで、残業を減らさざるを得ない方向にもっていく、という作戦だったようで、そんなもんか?とあきれたのを覚えている。

 電算労の会合ではたびたび「出向」の問題が議論されました。出向は悪い労働環境である、という前提の話でした。できるだけ、出向というものはやめるべきだと。それを聞いて、「そうかなぁ?」と思ったのでした。うちの会社にもたくさんの出向の方がきていました。当時民営化されたJRからの出向の方もいました。その人たちの様子を見たり、話を聞いても、出向に対する不満などは影も無いからです。むしろ楽しんでいるように見える。案の定、あるときの会合で実際に出向している人が意見を述べた。
「自分は出向しているが、不満は一切無い。労働環境が悪いわけでも、扱いが悪いわけでもなく、むしろ自分の会社にいるよりも気持ちよく仕事をしている。そうやって、頭から出向という形態が悪いといわれても納得はできませんが。」と。それまでの会合のタブーを破った意見でした。

 ココまで書いてきたのは、あくまで自分が関わった労組関係のことで、ほかの会社での実態は知りません。しかし、自分の経験した範囲では、労組が形骸化するのは無理ないな、と思ったのでした。


コンピューターの専門家?

 一般の人にとっては、コンピューターの仕事をしているなんてすごいことだし、ましてやオンラインシステムなんて言葉を聞いた日にゃ、ものすごいことをやっていると感じるかもしれません。自分だったらそう思ったでしょう。
 事実、オンラインやデータベースのシステムを作るとなると、単体のプログラムを作る作業の比ではないですけど。

 自分は最初からオンラインシステムの作業チームに入れられました。初めての仕事のとき、教育担当だった課長代理の一言を覚えています。
「今度のやつは“リセット・デバイス”でやって」と。今度も何も、今回が初めてやんけ。もちろんリセット・デバイスが何を意味するかもわからないし、質問のしようもありません。あっけにとられるだけです。
 当然、課長代理もそんなことはわかっているわけで、この言葉をきっかけに自分でどう取り掛かるかを見ていたのでしょうが。
 その課長代理、子供に「お父さん毎日会社にゲームしに行っていいなあ」と言われていたそうで、へこんでおりました。^^;

 最初の仕事は、兵庫の灘神戸生協の商品情報オンラインシステム開発で、僕は途中から入っているわけです。最初に出席したプロジェクトチームの進捗会議の言葉もわけがわからなかったのに、不思議にはっきり覚えています。
田中さんという外注さんが「わたしはこのプログラムで何か想定外の事態が起こったときは、みんな“アボート”させるようにしてるんですけどね。」と。
 アボート(Abort)というのは「妊娠中絶する」という意味の英語で、この場合プログラムを強制終了させるということです。うちの会社は東芝の子会社でしたが、東芝は大型の汎用コンピューターは作っていませんでした。
 東芝と日本電気は業務提携していて、NTIS(日電東芝情報システム)という共同の会社も作っていたので、NECの汎用コンピューターを使っていました。NEC系のCOBOLでは強制終了させる命令語は「アボート」だったのです。IBM系のCOBOLでは「Abend(Abnormal-end《異常終了》)でした。

 

 そんなわけのわからん言葉の続く、しかもどう質問のしようも無い会議に出ていたわけですが、本当に不思議にほとんどの言葉を覚えていました。まあ、いちいち教えてもらうよりも、仕事の雰囲気や流れを感じ取るほうが重要だとはあとで思いました。

さてさて、大型の汎用コンピューターなんて扱っていたのだから、パソコンなんてチョロイだろうと思うでしょう。それがとんでもないのです。
 よく東京出張してNTISへ行ったのですが、そこでデータベースの開発という複雑なことをやっていた人でさえ、パソコンはやったことないしわからん、と言っていた。パソコンはそれ程普及もしていませんでしたしね。ウインドウズなんて登場するずっと前です。

 あるとき、灘神戸生協の二つ目のプロジェクトが終わって、チームが割合暇なときでした。何と言うところだったか忘れたけど(確かインテックス大阪だったか…)、関東の幕張メッセみたいなところでパソコンショーをやっていると言うので、視察と言う名目でみんなで(もちろん就業時間中に)出かけました。会場にはたくさんのパソコンと(当時はマイコンとか言ったでしょうか?)コンパニオンのお姉さんがいます。
 われわれは、一台のマシンの前で戸惑っています。スイッチの入れ方からしてわからないのです。当時はフロッピーを入れて起動したと思うのですが、もちろんそんなやり方もさっぱりわかりません。
 ど素人然とした我々一向はおたおたします。下手に触って壊したらまずいしと、パソコン恐怖症のお父さんのような心境です。そこへコンパニオンのお姉さんが笑顔でやってきます。
「コンピューター触るの初めてですか?」
「ええ、まあ」
お姉さんは、起動して操作して見せてくれます。我々は黒船に沸き返る浦賀市民のようにいちいち感心していました。

 コンピューター技術者には、ハードとソフトの分野があり、ハードの人はどうだったかわかりませんが、ソフト分野だった我々は、機械が違う、ましてやパソコンと汎用コンピューターほども違うと、まるっきり操作法なんてわかるわけが無いのです。
 オンラインシステム開発もほとんどがNECの汎用コンピューターを使っていましたが、IBM系のを使うことになった人は、やっぱり戸惑いはあったようで す。ある程度そちらの扱いに慣れないといけません。もちろん、まるっきりゼロからなわけはありませんが。

 そういえば、そのチームが割合暇だったとき、ちょうどハレー彗星がやってきているときでした。リーダーの主査を筆頭にみんな興味を持っていて、仕事中でも星座表をつついていたりした。ちょっと、おおっぴらにそんなことをしているのもまずいかな、というので会議室を取って、ハレー彗星の観測談義を話し合っていたりした。このチームでやった灘神戸生協の財務システムというプロジェクトが社長賞に輝いた。一枚の表彰状と微々たるお金しか出なかったので、そのお金でチーム全員分の記念メダルを作って、リーダーの主査には我々でワリカンして「優秀監督賞」のタテを特注して贈ったのだった。贈り主は「ハレー彗星観測隊員一同」。

 ちなみに当時扱っていたNECの汎用コンピュータは「ACOS-6」(エーコス・ろく)という機種でしたが、まさか今でも現役で動いてないですよねえ。その辺の事を知っている人がいたらぜひ教えてくださいませ。
 ACOS-6を制御するアセンブラ言語(説明省略)は「GMAP(ジーマップ)」というものでした。そのせいで、SMAPが出てきたときに、どうしても「エスマップ」と最初に頭に浮かんでしまったのだった。


情報処理試験

 コンピューター関連の資格として、情報処理の二種、一種、特殊がありました。もちろん特殊が最高位です。
 前にも書いたように、同期入社のほとんどはコンピューターにはまったく関係ない学校出身でしたから、情報処理の資格を持っているのは一人か二人でした。二種から順に受けていきますが、誰でも受けることができます。

 大学では建築学科にいましたが、建築の資格には一級、二級の建築士があります。よく勘違いされるのは、建築学科を卒業すると、二級の資格がもらえると言うもの。調理師の資格が、調理師学校卒業とともに与えられるからでしょうか?
 建築の場合は、卒業すると「二級を受験する資格」が得られるのです。二種情報処理の試験はしっかり試験勉強すれば、それ程難しいものではないと思います。でもその割りに合格率は高くない。
 受験者は専門学校生、コンピューター関係の仕事をしている人などがいますが、学生の合格率は高くて、実際にバリバリ仕事をしている人の合格率の低さが足を引っ張っているのじゃないかと思うのです。
 バリバリ仕事している人はだいたい試験勉強をしている暇が無いし、資格をとるメリットを感じていない人が多いからです。
 これから仕事に就こうとする人にとっては、資格を持っていると言うのはそれなりのメリットがあるでしょう。しかし、資格の内容と実務はあまり関係ないし、資格をとっても月に千円とか二千円の手当てが増えるだけだった。(もちろん会社によってまちまち)

 会社では毎年の試験に参加させられました。受験費用は会社もちですから、強制的です。もちろん勉強する暇もないし、かったるい。そもそも、資格をとってもどうということは無いとわかっています。
 上司も、「はよ、合格せいや」と言いますが、言っている本人も資格はもっていません。資格をもっている仕事仲間も合格したのはほとんど学生のときです。支店の子会社の方は、ほとんど専門学校出身でしたから皆持っていました。

 建築家の資格は前述のように二級、一級ですが、一級を持っていないと仕事になりません。よほど競争相手のいない地域で無い限り、二級で仕事が成り立つのは難しい。それほど建築家として仕事をするからには一級を持っているのが当たり前で、一級の資格は
 「足の裏についたご飯粒」と言われます。
「とっても食えないし、とらないと気持ち悪い」というわけです。

 情報処理試験がなぜ、実務をやっているものにはあまり関係ないかというと、たとえば、必ず2進法の計算なんかを勉強しますね。バリバリで仕事している人にとっては、2進法の計算なんてチョロイと思うかもしれません。ところがとんでもない。仕事で2進法の計算なんてまずやりません。2進数を10進数に直すことはデバッグなどのときにやりますが、「しかたなくやる」わけであって、誰も2進法の計算に通じようなんて思っているわけではありません。
 しかも、一つや二つの計算ではありませんから、ちまちま手計算なんかしてられません。対応表やリファレンスカードという、その2進数があらわすコードの意味の表がありますから、それを見るわけです。実務で2進法の計算をやることはまずありません。
 だから、もちろん計算法は知っているのですが、手計算なんかでやれと言ったらかなりまごついて、学生にはかないません。

 今はどうだかわかりませんが、当時は入社試験用の肩書き以上の意味はありませんでした。会社員でなく、自営だったらそれなりの意味はあるでしょうが。だから、その方面の仕事につきたい人は、それ以前に勉強してとっておくことをオススメします。(今は資格の名称が変わっているようですが)


サポセン?

 サポセンと言えば、つながらない・まともな返事がない・失礼、、など、利用する側の文句には枚挙にいとまがない。決していい加減なところばかりというわけでもなく、自分が利用したところで、とても親切で的確な所もあった。
 まぁ、サポセン側にとっても馬鹿野郎なユーザーが多いのは想像に難くない^^;。

 コンピューター関係の仕事をしていたころ、自分は東芝関係の子会社にいて、大型コンピューターでは提携関係にあったNECに問い合わせることも多かった。
 自分の関係の会社では大型コンピューターは作っていなかったので、あちらの機械を使っていたのだった。現在においても「マニュアル」というのは、本当に必要なときに役に立たないモノであるのは変わりない。
 あえて弁護すれば、自分も、ユーザー企業に納めたシステムの操作マニュアルを書いたことがあるのだけど、いったいどのレベルで書いたらいいのか判然としないのだった。
 結局は、な~~~んにも知らない人が、そのマニュアルの通りに順序を追って操作していけば何となる、というレベルで書いたのだけど、かえってわかりにくいかもしれない。

 さて、そのNEC製の大型汎用コンピューターを使ってシステム開発をしているとき、提供されたマニュアル(当然、技術者向けマニュアル)を読んでいてもわからないところが多い。説明されている通りにやってもその通りにならない部分が多い。そんなときには頻繁に作った工場のサポートに電話する。一般向けの窓口ではなく、内部的な窓口である。だから、サポセンという表現は適当ではない。なので、通常のように専門のサポセン人員がいるのではなく、たまたま電話をとった人が連絡をとるのだ。

 最も多かったのが「担当者が異動してしまったのでわかりません」。
 なめとんか・・・。
 ひどいのになると、出荷時期に開発が間に合わなかったので、マニュアルに書いてある部分は無いままに出荷しているというのもある。
「あ~、その機能はまだ開発中なんですよ」
 なめとんか・・・。
開発担当者と話ができたモノの、不具合の原因がわからず
「なにかわかったら教えてくださいね」と、逆に言われたり。
 なめとんか・・・。

 繰り返すが、これは、今のような一般のパソコンユーザーとサポセンの会話ではないのである。ま、そうでないからよけいにあからさまなのかもしれないけど。

 当時はまだパソコンというモノは一般に出回っていなかったけど、コンピューターの「ハード」の面、要するに機械作りでは日本は良い線いっていたと思う。でも、重要なソフトの面、これはやはり歴史の長さには勝てないという感じだった。当然、アメリカにはかなわないという感じだった。
 何事においても、ノウハウの蓄積の歴史は大事で、ちょっとやそっとで追いついたように見えても、実は砂上の楼閣みたいなものだったり。